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トヨタセリカの新車情報
トヨタセリカの最新情報まとめGRスープラに「スープラ45周年記念」特別仕様車が登場。ボディカラーは「みかんブラスト」含め計2色、合計900台のみが生産予定
トヨタ・セリカ
セリカ (Celica) は、トヨタ自動車が1970年から2006年まで製造・販売していたハードトップおよびクーペ型の乗用車(スペシャルティカー)。日本国内の取り扱い販売店はトヨタカローラ店。
また、この項目では以下のモデルについても記述する。
日本初のスペシャリティカーとして知られ、初代モデルは大ヒットを果たした。歴代モデルには斬新なデザインが採用され、北米や欧州にも輸出された。また、モータースポーツにおけるベース車両としても長く活躍し、そのモデルライフ間にマカオグランプリ、IMSA、WRC、パイクスピーク・ヒルクライム、NASCARなどで優勝を収めるなどの活躍を見せた。
派生車種が数多く存在しており、登場当時からカリーナと兄弟車種であったほか、前輪駆動化後はコロナともプラットフォームを共有するようになった。
通称は「ダルマセリカ」または「ダルマ」。由来は、当時としては珍しく、ボディがだるまのようにふくよかなため。また、スラントノーズのフロント部を正面から見ると、ラップアラウンドタイプのメッキバンパーがダルマのひげ面に見えるからであると言われている。生産台数は41万1815台。
1970年12月に登場。前年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー・EX-1をベースとしている。登場時のボディタイプは独立したトランクルームを持つ2ドアハードトップクーペのみである。キャッチフレーズは「未来の国からやってきたセリカ」。同時に誕生したカリーナと車台を共用した。アメリカで大成功したフォード・マスタングに倣って、好みのエンジン、変速機、内装を自由に選べる“フルチョイス”と呼ばれるシステムを採用。ただし、ヤマハ製の2T-G型DOHCエンジンを積んだ最上級モデルの1600GTは“フルチョイス”の対象外だった。皮肉にもGTの人気が圧倒的に高く、現在でも雑誌などの旧車特集でA20/30型が特集される際は、ほとんどの割合でGTが登場する。
1972年8月のマイナーチェンジではリアコンビランプの方向指示器を独立させたうえにアンバーに変更したツーピースタイプとなる。燃料タンクの位置がトランク床下から後席背後に変更となり、給油口の位置もリアガーニッシュパネル裏(左右尾灯間)からリアピラーに変更された。モータースポーツ用ベース車としてサスペンションを強化した1600GTV(VはVICTORY=勝利の意味)を追加した。
1973年4月には、前年のモーターショーに出品されたコンセプトカー「SV-1」を元にテールゲート(バックドア)を備えた3ドアリフトバック (LB) が登場している。LBの燃料タンク位置は、初期のクーペと同じトランク床下であるため給油口はリアの中央ガーニッシュパネル裏にあり、エンブレムを引いて蓋を開ける。従来からのクーペには2,000 cc(18R型)エンジン搭載車を追加。LBでは1,600 cc OHV/1,600 cc DOHC/2,000 cc SOHC/2,000 cc DOHCの計4機種のエンジンが設定され、とりわけ高性能版の2,000 cc DOHCを積んだLB2000GTの人気が高かった。
1974年1月のマイナーチェンジで、クーペのフロントノーズのデザインがエンジンフードの長いLBの物に統一される。クーペに2000GT追加。1600GTのホイールキャップが廃止された。
1975年には昭和50年排出ガス規制への対策に伴い、シリーズ全体のマイナーチェンジを実施。この時、主として排ガス対策機器を納めるため、ボディサイズは全長25 mm、全幅10 mm、ホイールベース70 mm、フロントトレッド50 mmとそれぞれ拡大され、室内も従来のイメージを残しつつ、ダッシュボードが大きく変更された。またLBの一部グレードには衝撃吸収バンパーが設定されている。その一方で1400 OHVモデルや1600 DOHCモデルは廃止された。
1976年には2,000 cc DOHC搭載モデルが昭和51年度排出ガス規制適合車となる。
モデル末期の1977年には特別仕様車として、「ブラックセリカ」が登場した。なお、最終型の時点で型式がA30型に統一されている。
1977年8月、2代目にフルモデルチェンジ。先代と同じくプラットフォームはカリーナと共通。ドアは先代と同じサッシュレスタイプで、センターピラー付のボディ構造となる。この代よりトヨタアメリカ()のデザインオフィスである、キャルティデザインリサーチ()がスタイリングを担当。空力重視のスタイリングであり、日本初の三次元曲面サイドガラスが採用された。
当初の搭載エンジンのラインアップは1.6 Lの2T-U型(OHV・シングルキャブ)、および12T-U型(OHV・シングルキャブ)、2T-GEU型(DOHC・EFI)、1.8 Lの3T-U型(OHV・シングルキャブ)、2.0 Lの18R-U型(SOHC・シングルキャブ)、および18R-GU型(DOHC・ツインキャブ)の計6種類が用意されていた。
1977年11月、1.8 LモデルのMT車用のエンジンが3T-U型から昭和53年排出ガス規制適合の13T-U型(OHV・シングルキャブ)に差し替えとなる。
1978年3月には、リフトバック(のちにクーペにも追加)にサンルーフ付き(日本車初/手動)を加え、翌4月には米国市場での対フェアレディZを主眼にした、上級モデルのセリカXX(MA40型)が登場する。
1978年5月、1600GTを除く1.6 Lモデルに3速AT車が追加される。同時に1.8 Lモデルの3速AT車用のエンジンが3T-U型から13T-U型に差し替えとなる。1600GTに搭載される2T-GEU型エンジンが昭和53年排出ガス規制適合。110 psから115 psに出力が向上。これに伴い、GT系グレードに標準装備されていた衝撃吸収ウレタンバンバーがGT系グレード以外の全グレードでメーカーオプション扱いで設定される。
1978年9月、一部改良。1.8 Lの3T-EU型エンジン (OHV・EFI) 搭載の1800ST-EFI、1800XT-EFIが追加。当初は5MTのみの設定。昭和53年排出ガス規制適合。同時に、2000GTの18R-GU型エンジンのEFI化(18R-GEU型)により、昭和53年排出ガス規制適合。また、18R-U型エンジンも21R-U型(SOHC・シングルキャブ)に変更、昭和53年排出ガス規制適合。全グレードが昭和53年排出ガス規制に対応完了。これに伴いリヤオーナメント(リヤエンブレム)が「TOYOTA」から「TOYOTA CELICA」に変更となる。
1979年8月、マイナーチェンジ。
フロントグリルが変更され、ヘッドライトが角型4灯になる。他の変更点は外観ではセンターピラー・リアコンビネーションランプ 車体もエンジン前のフレームが変更されている。
このマイナーチェンジ時のキャッチコピーは「名ばかりのGT達は、道を開ける」。これはDOHCエンジンを設定していたセリカに対し、直列6気筒SOHCエンジンを搭載してGTを名乗っていた日産・スカイライン(C210型・通称ジャパン)を挑発したものであった。
1980年1月、4ドアセダンのセリカカムリが登場する。こちらはカリーナの姉妹車である。
1980年8月、GT系リフトバックのみリアサスペンションがこれまでの4リンクコイルリジッド式から、セリカXX同様、セミトレーリングアーム式に変更。リフトバックのみ変更。セミトレーリングアーム車はA50系。セミトレーリングアームのみホイールも14インチに拡大された。また、21R-U型エンジン搭載車のATがこれまでの3速ATから4速ATに変更される。
販売終了前月までの国内新車登録台数の累計はXXを含めて13万7165台。
1981年7月にモデルチェンジ。車台はカリーナやコロナと共通。先代より一層スペシャルティカーの要素を強めて登場した。キャッチコピーは「世界、新CELICA」。ソアラが誕生したことにより、こちらはXXシリーズ(GA60/MA60型)も含めて、ターゲットを従来より若い世代へシフトしている。直線的なラインで鋭いウェッジシェイプを描く4気筒系ボディ(ショートノーズ・ショートホイールベース)は先代同様にリフトバック (LB) とクーペの2種類。エンジンは1,600 cc・DOHC・EFI (2T-GEU)、1,800 cc・SOHC・シングルキャブレター (1S-U)、1,800 cc・OHV・EFI (3T-EU)、2,000 cc・DOHC・EFI (18R-GEU) の計4種類となる。
登場当初は4気筒系ボディ全車に日本車初となるライズアップ(ポップアップ)式ヘッドランプが採用されていたが、1983年のマイナーチェンジでリトラクタブル式ヘッドランプ(通称ブラックマスク)に変更となる。このモデルは2010年現在、日本車として唯一のポップアップ式ヘッドランプの採用例となっている。
1982年9月、2,000 ccDOHCに代わって1,800 ccツインカムターボ (3T-GTEU) GT-T系が追加された。とき同じくして姉妹車種のコロナ・カリーナにも同名のグレードが追加設定された。
1982年10月にはWRC・グループBホモロゲーション用のGT-TSが200台販売された。
1982年まではRA63型(最高出力240 ps)にて参戦していたWRCは、1983年からは日本初のツインカムターボエンジンである3T-GTEUを拡大した4T-GTEUをさらに2,090 ccまでボアアップし、370 psを搾り出すTA64型にてWRCに参戦。1984年から1986年まで、モンスターマシンが顔を揃えるグループB時代のサファリラリーで3連覇を飾った。
1983年8月のマイナーチェンジではドアミラーの標準装備。GT系に60扁平タイヤを採用。1,600 cc・DOHCのエンジンが2T-GEUから4A-GEUに変更。これに伴い1,800 cc・OHV・EFIの3T-EUが廃止された。
なお、このモデルは2代目セリカXXとほぼ同時期に発売されたため、セリカXXの人気の影に隠れる形となってしまった。そのため、セリカとしてはマイナーなモデルとなっている。TA61型をベースにしたコンバーチブルが北米市場向けに生産されており、1985年に貿易摩擦解消のため9台限定(RA65L/2,400 cc/オーバーフェンダー、当時600万円)で日本でも販売されている。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は15万1297台。
ツインカム・ターボが登場した1カ月後の1982年10月にグループBカーとなるGT-TS(TA-64型)が発売された。この車は当時のFISAのグループBカーの基となる200台生産が要求される型であり、この中から更に高度な改造を施した20台のエボリューション・モデルを製造することができた。純粋なラリーカーのベース仕様車であり、改造を前提とした簡素なモデルのために、価格も市販量産型のGT-Tよりも10万円安価な169万円である。同時期に日産自動車が同様の目的で準備した日産・240RSが改造を要しないラリー仕様で200台生産されたこととは対照的な手法を採った。
エンジンは、市販型1,770 ccの3T-GTEU型のボアを0.5 mm拡大しボア85.5×ストローク78.0 mmとした排気量1,791 ccの4T-GTEU型が搭載された。これは競技規定でターボチャージャー付エンジンは係数1.4を掛けた値の排気量でクラス分けされるため3T-GTEU型では2,500 cc未満のクラスに入れられてしまうことを避け、タイヤ巾のより広い3,000 cc未満のクラスに入れるようにという配慮からである。エンジンに関する変更はこのボア拡大のみで160 hp/6,000 rpm、21.0 mkg/4,800 rpmといった値は3T-GTEU型と同じ。
当時の4気筒エンジン搭載のセリカの市販車には、後輪サスペンションが上位グレードの独立型セミトレーリングアームと下位グレードの固定型4リンク式リジッドの2種類があった。ツインカム・ターボエンジン搭載の市販車は全て前者で、GT-TSは改造度の高さとラリー競技での整備性の高さから固定型サスペンションを採用していた。
ボディもスポイラーやオーバーフェンダーといった付加物は装着されておらず、フロントフェンダーの素材が鋼板から「R-RIM」と呼ばれるウレタン樹脂になったのが唯一の変更点である。車両重量は主にリアサスペンションの変更により標準のGT-Tよりも約35 kg軽量化された1,110 kgとなっていた。
1985年8月、4代目にモデルチェンジし前輪駆動への大変革となった。FFコロナ/カリーナのフロアパンをベースにしているため、型式も「T」となり、セリカにはコロナクーペとカリーナEDという姉妹車も生まれた。『流面形、発見さる。』の広告コピーが象徴するように、スタイリングは、先代モデルを流動感ある曲線でなめらかに整形したかのようなラインを採用し、その後のトヨタ車やダイハツのクーペ風軽自動車「リーザ」にも影響を与えた。クーペはコロナ・ハードトップと統合されコロナクーペとなり、ボディタイプはリフトバックのみとなった。なお、トヨタでは4代目からリフトバックのことを「クーペ」と呼ぶようになった。
1986年にはトヨタ初のベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)をもつフルタイム4WDである排気量2,000 ccのGT-FOUR(ST165型)が登場した。
1987年8月のマイナーチェンジでは2,000 cc・16バルブ (3S-FE) 車が追加。1,600 ccDOHC (4A-GE) 車は廃止。同時にGT-FOURのセンターデフ手動デフロックがビスカスカップリングによる差動制限に変更された。
1987年10月にはトランクルームを持つ専用ボディーのコンバーチブル(ST162C型)が日本でも正式にラインナップに加わり、3S-FEエンジンを搭載して発売された。コンバーチブルは米国のASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション=現)によってオープン化改造を行っており、太平洋を往復する生産ラインが後のモデルのコンバーチブルでも継承されることになった。
1988年5月には1,800 cc車もDOHC化 (『ハイメカ・ツインカム』4S-Fi) され、これでセリカ全車がDOHC化された。
生産終了前月までの新車登録台数の累計は3万9992台。
1989年9月、セリカは5代目にモデルチェンジ。CMにアメリカの俳優 エディ・マーフィを起用。 先代のイメージを踏襲しつつ、ニューエアロフォルムと呼ばれる未来感覚にあふれる個性的なスタイリングを纏って登場した。プラットフォームは先代をベースとしていながら、サスペンションのリファインが行なわれて剛性が上げられている。さらにフルタイム4WDであるGT-FOURのリアデフには、日本初のトルセンリミテッド・スリップ・デフを装着した。限定車として、油圧制御式アクティブサスペンション装着車が用意された。オーディオは10スピーカーのスーパーライブサウンドシステムがオプション設定された。2ドアクーペも用意され、アメリカやカナダ等の北米地域(アメリカ自治領含む)で販売された。
ラリー競技への参加用車両として、クロスミッションを標準装備したラリーベースグレード「GT-FOURラリー」が設定された。オーディオ、エアコン、パワーウィンドウなどの快適装備が省略された以外にも、標準装備されるタイヤはほかのグレードよりも1サイズ細いものが装着され、アルミホイールはオプション設定もされなかった。
1990年8月には、先代と同様に輸出仕様車のみの設定のクーペボディを、ASCによって改造されたコンバーチブル(ST183C型)を追加した。3S-GE型エンジンとデュアルモード4WSが搭載され、上級グレードとして本革シートを装備したTYPE-Gが新たに設定された。GT-FOURには前後ブリスターフェンダーにより、ワイドボディ化されたGT-FOUR A(ST185H型)が登場した。Aはアドバンスを意味する。
1991年8月にはリアコンビネーションランプやフロントとリアの細部の意匠が変更された(エンブレムがトヨタマークに変更)。ドア内にサイドインパクトビームが追加され、後席3点式シートベルトが装備された。トランスミッションはシンクロナイザーが強化されるなどのマイナーチェンジが実施された。標準ボディとワイドボディ2種類が混在していたGT-FOURは全てワイドボディ化され、GT-FOUR Aはラインナップから消滅した。またGT-FOURは標準装備のタイヤとホイールが15インチ化されている。
同年9月、WRC用のホモロゲーションモデルGT-FOUR RCが発表された(RCとはラリー・コンペティションの略)。生産台数はグループA規定の5,000台で、日本国内ではそのうちの1800台が販売された。輸出モデルはカルロス・サインツ・リミテッドエディションと呼ばれた。
1992年8月には ダークブルーマイカメタリックのボディーに青い幌のLIMITED 300も国内300台限定販売された。
1993年9月 - 生産終了。在庫販売のみとなる。
1993年10月 - 6代目と入れ替わる形で販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は7万4115台。
1993年10月に販売が開始された6代目のセリカは、より一層高められたスポーツ性を特徴とした。全モデル3ナンバーサイズとなったシャシーは新しい設計で剛性が向上、カリーナEDとコロナ・エクシヴと共用される。重量は逆に20 kg程度軽量化(ST205,ST185前期型比)されている。まずはNAモデルが先行発売され、ラインナップはハイメカツインカム3S-FE (140 ps) 搭載のSS-Iと、スポーティツインカム3S-GE (MT:180 ps/AT:170 ps) 搭載のSS-IIの2グレードが発売された。また、SS-IIにはセリカとしては初採用のスーパーストラットサスペンション装着モデルも用意された。スーパーストラットモデルのMT車にはビスカスLSDが搭載され、オプションでスポーツABSも選択可能とし、更なるスポーツドライビングを実現した。2ドアクーペも用意され、アメリカやカナダ等の北米地域(アメリカ自治領含む)で販売された。
1994年2月には、新しいWRCホモロゲーションモデルのGT-FOUR(ST205型)が登場。搭載されるツインカムターボ3S-GTEはレーザークラッドバルブシートや、インジェクター容量の拡大 (430 cc → 540 cc)、メタルガスケットの採用、Dジェトロ燃料供給方式や水冷式インタークーラーなどにより255 psとなった。駆動方式は先代同様フルタイム4WDだが、スーパーストラットサスペンションを装着しブレーキも対向4ポット(前)、対向2ポット(後)のアルミキャリパー4輪ベンチレーテッドディスクとなり制動力も向上した。また、大型リヤスポイラーやフードエアスクープ、ウォータースプレー、ミスファイアリングシステムなどを装備したWRC仕様車が、国内限定2,100台販売された。このGT-FOURは、TTEのオベ・アンダーソン監督の意見を取り入れて造られていた。
1994年9月には日本市場向け量産型としては3代目となるコンバーチブル(ST202C型)を発売。ASCが引き続き手掛けた電動幌開閉装置は先代までの油圧式からオール電動モーターに変更され、3分割のレールが外側に広がりながら重なり合う「アウターフォールド機構」の採用で省スペース化を実現。後部座席幅が260 mm広がり、大人男性2人でも窮屈にならない程度に改善された。また、リアウインドウに初めてガラス(電熱線入り)を採用。幌を閉じた状態はクーペタイプに見劣りしないスマートなシルエットとなった。ボディはクーペと異なり、3ドアリフトバックではなくノッチバックボディを採用している事が一番の特徴であろう。これによりクーペタイプとほぼ変わらない重量と剛性を実現している。ST202CはST183Cなどと同様に北米仕様のセリカクーペをベースとしているため、ST200型セリカクーペのフロントマスクを日本独自のデザインにして販売していたカレンとは、トランクパネルやテールランプなどリア周辺の部品が共通している。
1997年12月にはエンジン改良等のマイナーチェンジが行われ、特にSS-II、SS-IIIに搭載される3S-GEエンジンはマイナーチェンジの枠を大きく超える改良が施された。3S-GEのエンジン本体の変更点は、VVT-i採用のBEAMSとなったことが挙げられる。VVT-i採用に伴って、オイルポンプの吐出量の増量化、オイル通路の新設、プーリーの追加、タイミングベルトカバーの形状変更、タイミングベルトの歯数・材質の最適化、ECUの変更などが余儀なくされた。その他、エンジン関係の変更点としては、シリンダーヘッドガスケットのメタル化や、シリンダーヘッドの形状変更、バルブ挟み角の変更、ピストンの軽量化、インジェクター噴射口数の増加、ダイレクトイグニッションの採用など、枚挙に遑がない。エンジンのみならず、同時に補機類にも数々の改良が加えられている。補機類の変更点としては、熱線式エアフロメーターの採用、サージタンク容量の拡大、フライホイールの軽量化、スロットルボア径の拡大、インテークポートにポートファンネル形状の採用、ステンレス製エキマニの採用、エキマニの等長化、触媒の小型化、新ダイアグノーシスの採用(国際規格化)、熱害警告装置の廃止(全グレード)などがある。以上のようなフルモデルチェンジに迫る改良の結果、最高出力と燃費を大幅に向上させている (200 ps)。同時にエクステリアも変更を受け、マルチリフレクター(ハイビーム)プロジェクター(ロービーム)ヘッドライトを採用、GT-FOURとSS-IIIには大型リアスポイラーやサイドマッドガードが標準装備された。インテリアの変更点は、メタル調パネルの採用(全グレード)や、エアバッグの小型化(全グレード)、ホワイトメーターの採用(3S-GE搭載車)などがある。以上のような目まぐるしい改良が行われたにもかかわらず、販売的には苦戦を強いられ、わずか1年半後には次期モデルにバトンタッチすることになった。
GT-FOURとコンバーチブルは次期モデルのZZT230系は市販に至らず、ST200型が最終モデルとなった。
HKSの手によってチューンされたST202型は日本産FF車として、初めて0 - 400 m加速で10秒を切るタイムを出した。
1999年8月に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。販売終了前月までの新車登録台数の累計は8万9810台。
1999年9月に7代目と入れ替わる形で販売終了。その後のトヨタの4WDスポーツカーは2020年販売開始のGRヤリスまで待つこととなる。
1999年9月にフルモデルチェンジ。CALTYが外装デザインを手がけた、縦長のヘッドランプと短めの角ばった段差を持ったリアデッキが特徴。
ダウンサイジングしたボディは前輪駆動専用設計(4WD「GT-FOUR」の設定はなし)となっており、ロングホイールベース、ショートオーバーハングとなり、高速走行時の安定性向上が図られている。
また、路面追従性・運動性を高めるためにリアサスペンション形式がバイザッハアクスル式ダブルウィッシュボーンとなっている。既に同一プラットフォームのFF仕様リアサスペンションは、コスト等の兼ね合いからトーションビームの固定車軸となっており、ハンドリングが重視されるスポーティーカーには不向きであったため、同プラットフォームを用いた既存の5代目ビスタ、およびビスタアルデオの各4WD仕様をベースに仕立てたものである。同様の手法は、後の3代目カルディナや2代目アベンシス(ただし、日本仕様は初代扱い)、初代オーリスの兄弟車のブレイドでも行われている。
新設計のZZ系エンジンは、先代から200 cc排気量ダウンした1,800 ccとなるも、トップグレードSS-IIが搭載する2ZZ-GE型エンジン(ハイオク指定)は連続可変バルブタイミング・リフト機構(VVTL-i)を備え、190 psを発揮する。エントリーグレードのSS-Iは実用エンジンの1ZZ-FE型を搭載しているが、同型エンジンを積む車種の中では最も出力の高い145 psとなっている。なお、環境性能はSS-I、SS-IIともに☆1つの「平成12年基準排出ガス25%低減レベル」となっている。
軽量化と自然吸気エンジンへの回帰は、開発時期が重なっていたMR-Sでも同様であり、パワー&ドライブトレーンを共有する両車は、一部の実験データも共有している。ともにそのハンドリングは、特にイギリスでの評価が高い。
GT-FOURが廃止され、車格の低いカローラレビン/スプリンタートレノとの統合が図られ、排気量も小さくしたこともあって、ライトウェイトクーペへとコンセプト変更している。その結果、同グレードの先代から60 - 90 kgの軽量化を果たしている。特にSS-IのMT車に至っては車両重量1,090 kgと、SS-IIのMT車よりも30 kg軽く、スーパーストラットパッケージ車と比較で50 kgの差が発生している。SS-Iでは、SS-IIと比べて内装・外装を適度に省略/簡略化し低価格を実現している。SS-IIとの仕様、装備の差は、1ZZ-FE型エンジン (145 ps)、リアはディスクでなくドラムブレーキ、電動格納が省略されたドアミラー、マニュアルエアコン、本革でなくウレタンステアリングとウレタンシフトノブ、リアスポイラーなし、マフラーカッターなし、60扁平。これにより、SS-Iは発売当初で標準価格は168万円となった。ただし、その後のマイナーチェンジにより価格が若干上がっている。
2006年4月、販売終了。ここまでの国内新車登録台数の累計は2万7013台。これによりセリカは7代36年の歴史に幕を閉じた。ただし北米ではサイオン・tCの名前でセリカ同様の4気筒FF2ドア・スポーツクーペが2004年から2016年まで1代目・2代目を経て販売されていた。
トヨタがアンダーソン・モータースポーツ(現TMG)と契約して最初のラリーであるRACラリーに、TA22型セリカでデビュー、9位で入賞した。翌年開幕したWRC(グループ2)には最高出力を135 psまで上げたTA22型で参戦。1974年からはカローラレビンがメインとなりセリカはサブ車両となるが、1976年からは再びセリカ(RA20型)にメイン車両を戻した。エンジンは18R-Gを1,968 ccにボアアップ、最高出力200 ps。1978年まで活躍した。
また1972年には見崎清志が1600GTを駆り、マカオGPで初のクラス優勝を達成。1973年にはニュルブルクリンク6時間レースと、スパ24時間レースでもクラス優勝を収めるなど、世界中でセリカは活躍を見せた。1977年にはドイツツーリングカー選手権に、シュニッツァーが製作したRA20ベースのセリカLBターボがGr.5クラス(シルエットフォーミュラ)へ出場した。またこれを1979年にトムスが輸入し、日本国内レースでも活躍している。
1978年WRCの1000湖ラリーからRA40型(最高出力230 ps)が参戦。1981年にはアイボリーコーストラリーにて準優勝を飾る。なお、1979年のRACラリーからDOHC4バルブのエンジン使用が許可されたため、ベース車両はRA63型に移行。1982年のニュージーランドでアウディ・クワトロ勢を破って優勝を収めている。
また、1977年のF1日本GPで、オフィシャルカーとして、LBモデルが使用された。
それまでのRA63のグループ4カーを代替する競技車両として、前年に発売された200台生産のGT-TSから高度な競技専用の改造を施した20台のエボリューション・モデルが西ドイツのケルンを本拠地とするトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) で1984年に製造されグループBの公認を取得することになった。エンジンの開発とテストは日本で行い、車両の開発はドイツのTTEで行った。
エンジンは、ベースの排気量1,791 ccの4T-GTEU型をボアφ89×ストローク84 mmとして規定いっぱいの2,090 cc(換算値2,926 cc)まで拡大した360英馬力/8,000 rpm、35.0 mkg/5,200 rpmの4T-GT改となった。ターボチャージャーはそれまで他のセリカのレースカーで使用していたエアリサーチ社の物からラリー競技での実績やサービス性を考慮してTTEと同じドイツのKKK製K27型を採用した。吸気側のインタークーラーに備えたリリーフバルブと高度調整装置付きウェイストゲートバルブにより如何なる気圧環境下でも0.8 kg/cmの過給圧を保つことができた。燃料供給方式はトヨタグループの日本電装(現デンソー)製のEFI、点火方式も日本電装製の電子制御ESAを採用した。
ターボチャージャー以外にもレース用部品を多用しており、変速機はトヨタとヒューランドが共同開発したドグクラッチ式5速マニュアルトランスミッション、クラッチはボーグ&ベック(現ボルグワーナー)製、デファレンシャルと後輪車軸はソールズベリー製、ブレーキは4ピストンキャリパーのAPロッキード製を使用していた。タイヤはピレリ製の前165-16、後195-15という大径細身のものを採用し、ホイールは当初マグライト製を使用していたが、後にスピードライン製に変更した。
ボディ側では、前後重量配分を改善すべくエンジン、変速機の位置を後方へ100 mm移動させ、トランクリッド上にはトランク内に設置されたドライサンプ式オイルタンク用のオイルクーラーが搭載していた。市販車ではライズアップ式であったヘッドライトが重量と信頼性を重視した固定式となり、大きく張り出した前後のフェンダーを含む多くの外板が軽量な樹脂製に交換されていた。
後輪駆動のTA64はアフリカのラリーで真価を発揮し、1984 - 1986年のサファリラリー、1983・1985・1986年のアイボリーコースト・ラリー、1986年のコートジボワール・ラリーで優勝を飾っている。
また日本初のグループCカーとして、トムスと童夢が共同開発したマシンのベース車両もセリカであった(トムス童夢・セリカC)。
グループBとグループS構想が急遽廃止されたため、1987年のトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)はスープラ(前期型・7M-GTEUを搭載し最高出力410 ps)をST165型までの繋ぎとした。5,000台の販売規定をクリアした1988年にようやくX-TRAC製6速ミッションを搭載したST165型のGT-FOURを投入した。しかし他メーカーとは違い、ラリーで使うことを想定して開発されたわけではないST165型の開発は難航した。ユハ・カンクネンは最初にドライブしたときこのマシンの素性・フィーリングを高く評価したが、一方でエンジンパワーと信頼性の不足に悩まされ続けた。しかし4WD技術、信頼性、軽量化、セッティングなど様々な面での熟成が進んだ末、1990年に遂にランチアの牙城を破り、カルロス・サインツが日本車初のWRCタイトル(ドライバーズチャンピオン)をもたらし、並行参戦していたアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) でもサインツがチャンピオンとなった。
またT160型はTRD USAとオール・アメリカン・レーサーズによってIMSAのGTOクラスにも投入され、1987年にクラスチャンピオンとなる活躍を見せた。
1992年にWRCに登場。空冷式インタークーラーとツインエントリーセラミックタービンを搭載した標準のGT-FOURに対し、GT-FOUR RCは水冷式インタークーラーと、耐久性を重視して金属製のタービンブレードを使用したターボチャージャーが搭載された。ワイドボディ化によりタイヤ選択の幅が広がり、ブレーキサイズの拡大により制動力が向上。1992年に再びカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得すると、1993年にはユハ・カンクネンとともに、日本車初となるWRCマニュファクチャラーズに加え、やはり日本車初となるドライバーズとのダブルタイトルをもたらした。
WRCでは1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったが、直前になっても車両の開発状況が思わしくなかった。特にスーパーストラットサスによるハンドリングチューンは難航し、結局ラリー・オーストラリアでのデビューとなる。この年は前半がST185であったこともあり、トヨタにとって2年連続2冠制覇となった。また同年はディディエ・オリオールがフランス人初のドライバーズチャンピオンに輝いている。
しかし、重い車体と決まらないハンドリング、縮小されたリストリクターによる出力低下にチームとドライバーは悩まされ続け、WRCの勝利は1995年のツール・ド・コルスのみ。コルシカでは、最低重量を下回るまで軽量化が進むが、出力低下には対応出来ず、同年のラリー・カタルーニャで、リストリクターに車両規定に違反する細工が施されていたことが発覚。これはターボをクランプするとリストリクターがスライドし、その隙間から多量の吸気を得られるというものであった。結果、この年の全ポイント剥奪およびWRCへの1年間の出場停止処分がFIAによって下され、ST205型でのトヨタのWRC活動は2年足らずで終了した。出場停止期間に加えもう一年活動を自主的に休止したトヨタは1998年にWRCに復帰するが、新規定であるWRカーのカローラWRCを採用したため、結局セリカでのワークス活動は1995年が最後となっている。
このようにセリカのモータースポーツ史では汚点のような扱いを受けているST205型だが、アルミン・シュヴァルツがヨーロッパラリー選手権 (ERC) で総合チャンピオンを獲得している他、JGTCのGT300クラスでもRACING PROJECT BANDOHが運用し、2度の優勝を挙げている。
2000年にトヨタがNASCARの統括するレース(グッディーズ・ダッシュシリーズ)に初挑戦する際のベース車両として用いられた。V6エンジンを搭載したストックカーのセリカは、2001と2002年にランキング2位となり、2003年にドライバーズチャンピオンを獲得した。
SUPER GTのGT300クラスにはZZT231型セリカが2003年第三戦から登場。2003年度はウェッズスポーツ・シグマDUNLOPの2チームがセリカを投入した。3S-GTEエンジン・フロントダブルウィッシュボーンサスペンション等、多くのコンポーネントを前年のGT500スープラから流用し、FR化されたGT300セリカはデビューシーズンで両チーム合わせて4勝を挙げるなど結果を見せた。しかし、期待された2004年シーズン以降、コーナリングマシンとした車の特性もあり、絶対的なスピード不足に苦しむなど開発も難航。それでもウェッズスポーツにより2008年第二戦までZZT231セリカが使用された。
トヨタでは工場見学記念品として、見学に来た子供向けにモデルカーを配布しており、2014年現在は3代目プリウスがモデルとなっている。それ以前は歴代プリウス、2000GTだった。しかし、トヨタに寄せられた「セリカもあった」との声を受け調査が行われ、記録や図面、金型は残っていなかったが、最近になって偶然ゴミの中から実物(初代・A20/30型)が発見されたため、幻のモデルカーの実在が確かめられた。このモデルカーは現在歴代のモデルカーとともに、トヨタ会館で展示されている。展示の説明では1970年から2000GTであったとされていて、セリカの配布がいつ頃行われていたかは、記録が残ってないために明示されていない。
松任谷由実の時のないホテル収録曲の、「よそゆき顔で」には、『観音崎の歩道橋』といった具体的な地名とともに『白いセリカ』と本車種が具体的に挙げられている。なお、このアルバムが登場したのは1980年である。
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