ランボルギーニディアブロSVの評判・スペック

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ランボルギーニ ディアブロ SV

ディアブロのフロント外観(98年(H10)11月、新型時の5.7 VTのフロント)

ディアブロのリア外観(98年(H10)11月、新型時の5.7 SVのリア)

ディアブロの内装・インパネ(98年(H10)11月、新型時の5.7 SVのリア)

メーカー ランボルギーニ
車種 ディアブロ
グレード SV
販売期間 1998年11月から 2001年11月
価格 22,500,000円
エンジン エンジン: V型12気筒DOHC
排気量: 5707cc
型式: E-DE21
馬力: 530ps
トルク: 61.7/5500
ミッション: 5MT バッテリー:
タイヤ 前輪: 235/35ZR18
後輪: 335/30ZR18
ホイールサイズ: /
駆動: MR
最小回転: 6.5m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): -km/L
燃料: ハイオク
実燃費: から
ボディサイズ 高さ: 1115 車幅: 2040 全長: 4470
乗車定員 2人
評価・レビュー 外観: 0点
内観: 0点
スペック: 0点
エンジン: 0点
乗り心地: 0点
燃費: 0点
価格: 0点
中古車 台
買取価格相場
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ランボルギーニディアブロとは

ランボルギーニが1990年から2001年まで製造したスーパーカー「ディアブロ」は、その圧倒的なパフォーマンスと美しいデザインで世界中の車好きを魅了し続けてきました。ディアブロの価格帯は当初から高額で、グレードによって異なりましたが、排気量は5.7リットルや6.0リットルのV12エンジンを搭載しており、そのエンジンから生まれる音はまさに異次元の体験です。 ディアブロはマニュアルまたはセミオートマチックトランスミッションを選択することができ、最高出力は500馬力以上ありました。そのパワフルなエンジンを支えるため、タイヤサイズも大変大きく、そのスポーティな外観と相まって、レーシングカーをイメージさせる存在感があります。 この車種の燃費は効率的とは言えませんが、その代わりに繰り出す加速とスピードは、まさにスーパーカーと呼ぶにふさわしいものでした。ディアブロはミッドシップエンジンを採用しており、そのバランスの良さからくるハンドリングの軽快さも魅力の一つです。 ディアブロはその洗練されたデザインと圧倒的なパフォーマンスにより、世界中で多くのファンを獲得しました。そのスペックや特徴、歴史からも、ディアブロが持つ魅力と人気がうかがい知れます。ランボルギーニの象徴とも言える存在であるディアブロは、自動車の歴史に光を放つ一台として、今もなお多くの車好きに憧れと感動を与え続けています。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式E-DE21
最小回転半径6.5m
駆動方式MR
全長×全幅×全高4.47m×2.04m×1.12m
ドア数2
ホイールベース2.65m
ミッション5MT
前トレッド/後トレッド-m/-m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)-m×-m×-m
4WS-
車両重量1530kg
シート列数1
最大積載量-kg
乗車定員2名
車両総重量-kg
ミッション位置フロア
最低地上高0.14m
マニュアルモード-
標準色-
オプション色-
掲載コメント-
エンジン型式-
環境対策エンジン-
種類V型12気筒DOHC
使用燃料ハイオク
過給器-
燃料タンク容量-リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量5707cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力530ps
最大トルク/回転数kg・m/rpm61.7/5500
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ-
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ◯
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー-
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール◯
UVカットガラス-
片側スライドドア-
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置左
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ダブルウィッシュボーン
サスペンション形式後ダブルウィッシュボーン
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前235/35ZR18
タイヤサイズ後335/30ZR18
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後Vディスク式
ソナー◯
駐車支援システム-
センターデフロック◯
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト◯
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー-
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートABS(◯)
ランフラットタイヤ-
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム-
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能-
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC◯
フロント両席パワーシート-

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ランボルギーニ ディアブロの知っておきたい情報

ランボルギーニとは?
ディアブロとは?

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ランボルギーニディアブロの新車情報

ランボルギーニディアブロの最新情報まとめ

ランボルギーニ・ディアブロ

ランボルギーニ・ディアブロ

ディアブロ(Diablo )は、イタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが1990年から2001年まで製造していた2人乗りのスーパーカーである。車名のディアブロの意味は「悪魔」。伝説の闘牛の名前から取られた。

ディアブロは世界中で大ヒットを博した1970年~1980年代の名車「カウンタック」の後継車種でもある。空気抵抗を意識した低い車高とシザードアといったカウンタックの特徴を踏襲した。初期のモデルはカウンタック同様にリトラクタブル・ヘッドライトを採用したが、終日ヘッドライト点灯を義務づけにした国・地域が出たため、1999年のフェイスリフトで日産・フェアレディZ(Z32)と同形式の部品を装備し、固定式ヘッドライトとなった。この流用は、もともと日本のユーザーが私的な改造として行っていたものであり、それを見たランボルギーニの関係者によって正式採用された。なお、ヘッドライトユニットのNISSANのロゴはライト上部に付けられた眉毛のようなカバーで隠されている。

搭載エンジンについて、前期の諸モデルは5,709ccV12気筒DOHC48バルブであり、アウディ資本となった後期の諸モデルは5,992ccに拡大された。そのエンジンをミッドシップに縦置きするが、通常と逆に出力軸を前方としトランスミッションに接続、そこから動力を後方に折り返しドライブシャフトで(オイルパンを貫通し)デフに接続、後車軸を駆動するという、カウンタックと同様のコンパクト化手法で配置されている。ホイールベース長は2,650mm、カウンタックの最終モデルである25thアニバーサリーに比べ150mm延長され、居住性の向上が図られた。フレームはカウンタック同様の マルチチューブラーフレームであるが、断面形状が、カウンタックの丸断面に対し、角断面に変更された。初期型はメーターパネルが高くそびえる形で作られており、前方視界を遮る形となっていた。このため改造するチューナーが次々現れたため、後にメーターの配列やサイズを変更し、メーターパネル自体を低くして視界確保を改善する改良を実施している。

ボディデザインはマルチェロ・ガンディーニの手による「P132プロトタイプ」に基づくが、当時ランボルギーニを所有していたクライスラーのデザイナーによって、空力や開口部の安全面で細部の角を落とし滑らかにする修正が加えられたため、デザイナーとしての名前を出すかどうかもめたが、細部を修正することは契約に含まれているという理由でマルチェロ・ガンディーニも了承したという。

リヤサスペンションの開発に難航し、サンドロ・ムナーリがテストドライバーとして協力した。

ランボルギーニ社を所有する親会社が、クライスラーからメガテック、Vパワー、アウディに次々と代わっていった厳しい経営状態において、ディアブロは唯一の市販車種としてその経営を支え続けた。親会社がアウディになってからは、後継車種のプロトタイプ()は採用せずに、レース用車両(GT2)で培った技術を市販モデルにフィードバックしつつ延命させ、正式な後継車種(ムルシエラゴ)につながる改良を続けた。

ディアブロ(標準)(1990年~2000年)

VT(1993年~2000年)

SE30(1993年~1995年)

SV(1996年~1999年)
GT(1999年~2000年)

6.0(2000年)
VT ラリー(1994年)

F1 セーフティカー(1995年)

イオタ(1994年)

SV-R(1996年)

GT1(1997年)

GT2(1998年、2002年)

GTR(1999年)

JGT-1(2001年)


ランボルギーニ

ランボルギーニ

ランボルギーニ(Lamborghini)は、イタリアの高級スポーツカーメーカーである。正式名称はヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)。1999年以降フォルクスワーゲングループに属する。

本社、製造工場、ランボルギーニミュージアムはボローニャ県サンターガタ・ボロニェーゼにある。

創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、第二次世界大戦後、イタリアにトラックが不足していることに目を付け、軍が放出するトラックを民生向けに改造し販売することで富を得た。大戦中、ロドス島にて兵器のメンテナンスに当たっていた彼の経験が活かされるかたちとなった。1947年、当時から自動車好きであった彼は、これを元手に小さなチューニングショップを開いた。

1948年、彼は友人と共にミッレミリアに参戦した。車両はフィアット・トポリーノで、自作のOHVヘッドが載せられていた。しかし途中で友人が運転を誤り、レストランに突っ込んでしまう。この際、彼は友人と共に車外に投げ出され、大ケガを負った。後に彼がレース界から距離を置くようになったのは、この経験が一因であるとされている。

その後、彼はトラックに続いてトラクターの自社開発に取り組み、1949年にランボルギーニ・トラットリーチ SpAを設立した。当初はただ同然で手に入れた軍放出車両のモーリスエンジンを用いた一般的なものであったが、後に自ら開発した排気熱で軽油を気化するイン・パボリザトーレというシステムを使って高性能なトラクターを作った。これは当時高価であったガソリンをエンジンの始動と暖気に使うだけで済み、後は安価な軽油で充分に動かせたため、大ヒットに繋がった。また1960年にはランボルギーニ・ブルチアトーリ SpAを設立し、ボイラーとエアコンの製造販売を手掛け、これも成功を収めた。

巨万の財を築いた彼はエキゾチックカーを収集するようになる。しかし、どの車も暑すぎたり、スピードが十分でなかったり、狭すぎたりしたため、フェルッチオを満足させるものではなかった。のちにエキゾチックカーの生産に乗り出したフェルッチオは、「助手席に座るレディのメイクアップが(汗で)落ちないような快適な車を作りたい」と語ったという。やがて彼は富の象徴、フェラーリのオーナーとなるが、当時のフェラーリにはクラッチに決定的欠陥があった。所有するフェラーリの度重なるクラッチ故障に頭を痛めた彼は、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。いざクラッチを分解してみると、使われていたのはなんと自社のトラクター用パーツと同型のボーグ&ベック製のクラッチ板であり、しかも全く同一のパーツにフェラーリはトラクター用の十倍の値段を付けていた。

元々は優秀なメカニックでもあった彼は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたウェーバー製のダウンドラフト型キャブレターをサイドドラフト型の物に改め、シリンダーヘッドをオリジナルのSOHCから当時は市販のフェラーリに採用されていなかったDOHCに改造した。完成した車は公道でのテスト走行中の新型フェラーリを「カモ」にできるほど速かったという。

既存のエキゾチックカーに少なからず不満を抱いていた彼は、これがきっかけで自動車ビジネスに乗り出す決意をしたといわれる。前述のフェラーリのパーツに見られるような高額な価格設定に触れ、「この商売は儲かる」と踏んでもいた。フェルッチオはこのとき、有望なビジネスモデルとして高級車業界を見ており、スポーツカーへの愛情とその財力を背景にアウトモービリの創設を決意した。

この1963年トリノショーに出品された350GTVは非常に目を引く独創性にあふれたフランコ・スカリオーネのデザインによるボディラインを持ち、性能面や上質なインテリア等で一定の評価を得たが、居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受ける。
この評を受けてすぐにフェルッチオは根本的な改修を指示、翌年カロッツェリア・トゥーリングにより手直しを受けたボディを纏った市販車としての第一号350GTをロールアウト。ここに市販車メーカーとしてのアウトモービリ・ランボルギーニの歴史は幕を上げた。

当初こそ、伝統のあるマセラティやフェラーリを引き合いに出されてはトラクターメーカーとしての出自を揶揄されたが、翌年に後継の400GTがロールアウトされる頃になると独創的なスタイルと快適性の高次での両立がエグゼクティブの間で話題となり、350GTは130台以上、400GTでは250台以上、当時の超高級GTとしては非常に良好なセールスを記録している。この後1966年のランボルギーニ・ミウラ、1971年のランボルギーニ・カウンタック(クンタッシ)とあまりにも有名な名車を次々と送り出し、押しも押されもせぬ世界的スーパースポーツの代名詞ともいえるブランドとなった。

トラクターの他にヘリコプターも作ったが、認可が下りず、結果的に、プロトタイプの2台しか現存していない。

イタリア・モデナにあるトニーノ・ランボルギーニ・ムゼオにフェルッチオが関わったランボルギーニ製品が展示されている。
2006年の総納車台数は2,087台、2007年では2,580台、2015年の年間世界販売台数が3,245台だった。
現在の正規輸入販売はアウディ・ジャパンの事業部として2001年に設立された「ランボルギーニ・ジャパン」(Automobili Lamborghini Japan、東京都・世田谷区)が行っている。ランボルギーニ・ジャパンの設立以降は本格的に正規ディーラー網を整備し、サービス品質の向上や全店統一CIの導入などにより、日本でのブランド再構築を進めている。

2006年の年間販売台数は、176台(統計資料、JAIA日本自動車輸入組合)。2007年3月には、ランボルギーニ大阪を経営する光岡自動車の顧客情報がインターネット上に公開されてしまう事件が起きた。
ちなみに、ランボルギーニトラクターも日本国内で販売されており、かつてフェラーリの輸入元であったコーンズの関連会社である株式会社コーンズエージーが販売を行っている。

エンブレムにちなみ、ほとんどが闘牛に関連した車名である。

かつては創業者のフェルッチオが「レースには出ない」ことを社是としていた。これは「当時のフェラーリがレースを本業として市販車はそのための資金稼ぎと位置づけ、ユーザーをないがしろにしていたことに対し反発したため」「フェルッチオの息子が反対を押し切る形でレースに夢中になっており、刺激しないため」「フェルッチオ自身がレース中の事故により大ケガを負った経験によるもの」など様々な説があったが、会社から正式なアナウンスは出ていない。

クライスラー傘下に入った後の1989年、ラルースチームへのエンジン供給の形で、F1グランプリ参戦を開始した。

1990年に、メキシコで結成されたチーム「グラスF1」向けにF1マシンを含めて製作を行っていた。エントリーが認められたものの、グラスF1設立を提言したメキシコ人の富豪が資金を持ち逃げしたこともあり、資金が底をつき参戦困難となった。これによる参戦キャンセルによる違約金支払を回避するために、ランボルギーニが実質的なワークス・チーム、モデナに再編成して参戦した。しかし、マウロ・フォルギエリが設計したマシンは時代遅れもはなはだしいもので、目立った成績をあげることはなく、同年に撤退した。エンジンのレイアウトはV12で、独特な高音の排気音であり、それについては同じV12エンジンを搭載したフェラーリへの評価を上回るものだった。

1993年にはエンジンを再設計し大幅にパワーアップ(親会社のクライスラー名義)、翌年のエンジン供給を考慮して、コスワースHBエンジンの非力さに苦しみ、ルノーエンジンに匹敵するパワーのあるエンジンを求めていたマクラーレンがテストを実施したものの、マクラーレンはプジョーとの提携を選び、この結果ランボルギーニはF1を去ることとなった。テストでステアリングを握ったのはミカ・ハッキネンで、同時に彼がランボルギーニエンジン搭載車の最後のドライバーとなっている。

なお鈴木亜久里が日本グランプリで日本人としてはじめて3位入賞を飾ったローラ・LC90もランボルギーニ製ユニットを搭載していた。
SUPER GTには、JLOC(Japan Lamborghini Owner's Club)より、全日本GT選手権の初期から参戦している。当初は漫画家の池沢さとしがドライバーを務めた。参戦時のマシンはカウンタックだったが、1995年~2004年にディアブロ、2004年からはムルシエラゴ、2007年からガヤルド、2016年からウラカンにて参戦している。これにランボルギーニも全面的に協力しており、このレースのためにディアブロ以降のマシンをワンオフ作成している。2005年からはGT300クラスにエントリーし2006年第1戦にて初優勝した。ランボルギーニがFIAの国際格式レースで優勝したのはこれが初めてのことだった。

ランボルギーニのレース部門である。各国のサーキットを転戦するワンメイクレース「ブランパン・スーパ-・トロフェオ」シリーズは、2009年にヨーロッパで始まり、2012年にはアジアで、翌年から北米でも開催されている。

同社の歴史的モデルに関するレストアや鑑定を行う部門として2015年春に新設。
記念すべき最初のプロジェクトでレストアされたのは、シャシーナンバー「4846」を与えられたグリーンの1971年式「ミウラSV」である。

ポロ・ストリコのアーカイブ専門部署。歴代モデルについて使用されたパーツやその技術に至るまで、全てをデジタル化しアーカイブしている。

2006年に開始され、2013年から規模を拡張。同社のモデルを個別にカスタマイズしたいという顧客に対応するスタジオである。
ランボルギーニ製造施設内に設置された同スタジオでは、新車購入時にカラーリングやインテリアトリムなどを思い通りに仕上げたいという顧客の要望に応えるため、エキスパートスタッフが個別対応する。