アウディ100アバントの価格・スペック
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アウディ100アバントの新車情報
アウディ100アバントの最新情報まとめアウディ・100
(Audi 100 )は、ドイツの自動車会社アウディが1968年から1994年まで製造していた中型乗用車である。
2代目、3代目モデルの上級仕様は、アウディ・200として販売された。また、アメリカ合衆国では3代目モデルが「A5000」という名称で販売されていた。
1968年から発表されたアウディのフラッグシップであり、欧州市場ではEセグメントに属する乗用車であった。世界で初めて直列5気筒ガソリンエンジンを搭載し、また3代目モデルは市販車として初めて空気抵抗係数(Cd値)0.30を達成した。ボディ形状はセダンを基本としたが、世代によってはクーペやハッチバックも存在した。駆動方式は前輪駆動(FF)がベースであるが、3代目以降は「クワトロ」(quattro)と呼ばれる四輪駆動(4WD)も選べた。
アウディ・フォルクスワーゲングループのフラグシップとして1968年にデビュー。大柄なセダンボディに小排気量のエンジン(1.8L 直列4気筒)を組み合わせ、前輪を駆動する。エンジンは吸気系・圧縮比などのチューニングに応じて80馬力、90馬力、100馬力仕様が存在した。当初は4ドアセダンだけだったボディは、1969年には2ドアセダンが加えられ、1970年にはファストバックの2ドアクーペ(100クーペS)がラインナップされた。クーペには強化型エンジン(1.9L 115馬力)を搭載した。
同1970年にはセダンの最上位機種(GL)にVW製の3速AT仕様が加えられている。
1972年に80/90馬力仕様のエンジンは85馬力の新エンジンに統一され、セダンの最上位機種には従来クーペ専用であった1.9Lエンジンが搭載されている。
1973年にマイナーチェンジを行い、モデル末期の1975年にはアウディ・80にも搭載されることになる1.6Lエンジンを追加している。
アウディ100は1976年に初の全面変更を行う。トップグレードではガソリン車で世界初の直列5気筒エンジンを採用し世界中を驚かせた(世界初の5気筒エンジンはメルセデス・ベンツが1974年に発表したディーゼルエンジン)。
5気筒エンジンは「6気筒のパワーと4気筒の経済性」を謳い、2.1Lから100馬力を発生させている。後に改良され、136馬力と大幅に出力が向上した。
ボディラインナップは、4ドア・2ドアセダンはそのままにクーペはなくなり、「アヴァント」と称する5ドアハッチバックが新たに追加された。この頃の「アヴァント」は現在のようなステーションワゴンではなく、ファストバックの5ドアハッチバックで大型化されたフォルクスワーゲン・パサートのようなモデルであり、フランスのルノー・25などにも類型が見られる。
このC2シリーズでは、新設計のエンジンによってドライバビリティーが大幅に向上し、ヨーロッパ市場ではひとつのベンチマークであったメルセデスのコンパクト(W123)のライバルの一台として認識される実力を備えるに至った。6ライトの車内は、FFの利点を活かし非常にルーミーであり、リファインされた乗り心地・静粛性などにおいてはむしろW123を凌駕していた。その他、パンクしても直進性を保つというネガティブスクラブのフロントサスペンションや、2系統のブレーキ配管など、派手さはないが乗用車としての安全性を追求した技術が目立つ。
北米では「アウディ5000」の名で販売されブランドイメージの刷新を行った。
1980年には上級モデルの「200」がデビューした。これは100のシャーシをベースに、ターボ過給された2.2L 5気筒(170馬力)エンジンを備え、それに応じて足回りを強化したモデルで、駆動方式は前輪駆動であった。日本仕様では自動車排出ガス規制によるパワーダウン、及びトランスミッションが3速AT(当時すでに4ATが上級車の主流だった)であることが難点であった。
1980年 アウディ200ターボの登場に合わせて、他のモデルもマイナーチェンジ。
当時欧州においてはディーゼル乗用車は一般化しつつあり、各社とも日に日に完成度を向上させていた。メルセデスは前モデル(W115 240D/300D)からディーゼル乗用車のマーケットを確立しており、VWグループでも初のディーゼル乗用車フォルクスワーゲン・ゴルフ(ゴルフ D)の成功の後、それの4気筒ディーゼルエンジンを拡大した5気筒2Lをアウディ100に搭載してデビューさせた。日本でのインポーターであったヤナセは、すでに輸入していたメルセデス300D/240Dに続いて、アウディ100ディーゼルの輸入を開始した。機械的にはゴルフD以上の完成度であったが、MTしか選べなかったことや、アウディ100を選ぶユーザー層はディーゼル乗用車に関心が低かったせいで、販売上不振であった。当時、BMW(524td 2.4L直列6気筒ターボディーゼル)、ボルボ・700(760GLD)、シトロエン・CX(CX 2500D)なども日本市場にディーゼル乗用車を登場させたが、メルセデス以外は販売上不振を理由に早々に輸入されなくなった。これは当時の輸入車のユーザーが、機械としての完成度よりも、高級品としてのイメージを求めたことが理由と思われる。日本において輸入車はまだまだ高価であった。
1982年にモデルチェンジしたアウディ100は、Cd値0.30の空力ボディを持つ。全長4,805mm、全幅1,815mm、全高1,420mm。1980年代前半というのは、欧州自動車メーカでそれまで脈々と研究されていた空力リファインが、具体的なモデルとして登場しはじめた年代である。ボディの空力デザイン自体は、1960年代から先ずはレーシングカーの最高速向上を目的に始まり、次に効率的な乗用車というテーマに波及していった。この小排気量で高速巡航を可能にするというテーマは陸続きで高速移動を可能にするインフラの整った欧州においては充分に現実的な問題であり、これに従って幾つかの習作(ピニンファリーナ・CME1600)やシトロエン・GS/CX、NSU・Ro80などの先駆者が1970年代に既に登場している。1980年には、レーシングカーやプロトタイプ以外で空力に無頓着であったメルセデスが、最上級のSクラス(W126)において空力的なボディ(Cd0.36)を纏うという新たな技術の方向性を打ち出した。このような流れの中で、アウディ100では以前にもないほど徹底的な空力的リファインを行い、ボディ下面やホイールハウス回り、窓枠のフラッシュサーフェス化などのアイディアによって、2.2Lの小排気量で200km/hの巡航を可能にした。実際に、より大柄で室内スペースの広いC3の2.2L NAモデルが、ターボ過給されたC2の200 5Tのように静粛で速く、ずっと燃料費は低い。これらの魅力は非常に好評で、その後他社のモデルは空力ボディの追求なしにはリリースできなくなる。そういう意味でアウディ100が空力ボディの嚆矢であるかのように云われる。
C3はモデル中期にダッシュボードを含む内装のマイナーチェンジを行う。その際に新たに導入された安全技術として「プロコン-テン(procon-ten)」と呼ばれる衝撃吸収システムがある。これは衝突時にエンジンが後方に押し込まれる力を利用してボディ-エンジン-ステアリングを結んだワイヤーがステアリングを前方に引き込む装置で、当時メルセデスが先陣を切っていたSRSエアバッグシステムに代わる安全装置として考案された。まだSRSエアバッグが一般化する以前、アウディはエアバッグ展開用の火薬の信頼性を疑問視したものと思われる。
アウディ100は徹底した空力追求による効率化により、1983年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。日本でもモーターマガジン主催のワールド・カー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞している。
ボディは2ドアセダンが廃止され、4ドアセダンとステーションワゴンのアヴァント、計2種がラインナップされていた。上級版のアウディ200も引き続き設定され、165馬力だった2.2L 5気筒ターボエンジンは、最終的にDOHC 20V化され220馬力を発するようになる。
アウディは、ラリー競技でアウディ・クワトロ(通称ビッグ・クワトロ)の実力を確かめると、フルラインクワトロ化を目指し、100/200系もついにクワトロ版が登場する。当時クワトロシステムの駆動力の強力さを強調するため、スキーのジャンプ台をアウディ100クワトロが登り切るというテレビCMを放映していた。なお2005年にはクワトロ登場から25周年を記念し、A6クワトロを使用し、リバイバルCMが放映された。
アメリカでは引き続きアウディ5000の名で販売されていたが、1986年11月、CBSテレビの人気ドキュメンタリー番組「60 Minutes」が、相次ぐ5000(オートマチック仕様)の暴走事故について扇情的に報じた。これによって5000にはネガティヴなイメージが定着、88年モデルを最後に100/200の名称に改められた(ブレーキとアクセルの踏み間違え事故の項も参照のこと)。
1988年、さらなる上級モデルとして、V型8気筒の3.6Lエンジンを搭載する「アウディ・V8」が発表された。200クアトロのシャーシを流用し、クラス初の4WDシステムや、大きなブレーキローターを内側からはさむブレーキキャリパーなどを搭載していた。
ヤナセが1983年から輸入を開始している。100/200ともに輸入されたが、200アヴァントのみ輸入されなかった。
1990年にアウディ100は4世代目にフルモデルチェンジする。無闇な大型化は避け、全幅を縮小しながらパッケージングの妙で室内空間を拡大している。主力エンジンであった直列5気筒はラインナップされるものの、ターボエンジンは姿を消し、代わりにV型6気筒エンジンが新設計されている。ボディは先代同様4ドアセダンと5ドアワゴンのアヴァントの2種で、駆動方式もFFと4WDの2種である。
ラインナップの整理を行い、上級版であった200は姿を消した。同様に80の上級版であった90もモデルチェンジと併せて80に統合されている。
代わりに新登場となったのがシリーズのイメージリーダーとなる「S4」で、2.2Lの5気筒ターボから230馬力を発生させた。
1995年モデルからマイナーチェンジにより「A6シリーズ」を名乗ることになり、四半世紀続いたアウディ100の歴史に終止符を打った。このマイナーチェンジでライトやバンパーの意匠変更を行ったほか、S4がS6と名称変更し、S6を除き直列5気筒エンジンを廃止した。
ヤナセが1991年から輸入を開始したが、1992年に販売方法を巡ってフォルクスワーゲン・アウディ・グループ(VAG)とヤナセが決裂し新たにファーレン店とデュオ店で販売するようになった。
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