アウディ100アバント2.8Eの評判・スペック
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アウディ 100アバント 2.8E
100アバントのフロント外観(92年(H4)2月、FMC時の2.8 Eのフロント)
100アバントのリア外観()
100アバントの内装・インパネ()
| メーカー | アウディ |
| 車種 | 100アバント |
| グレード | 2.8E |
| 販売期間 | 1992年02月から 1992年10月 |
| 価格 | 6,690,000円 |
| エンジン |
エンジン:
V型6気筒SOHC 排気量: 2771cc 型式: E-4AAAH 馬力: 170ps トルク: 25.5/3000 ミッション: 4AT バッテリー: |
| タイヤ |
前輪:
195/65VR15 後輪: 195/65VR15 ホイールサイズ: / 駆動: FF 最小回転: 5.3m タイヤサイズ |
| 燃費 |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): -km/L 燃料: ハイオク 実燃費: から |
| ボディサイズ | 高さ: 1470 車幅: 1785 全長: 4795 |
| 乗車定員 | 5人 |
| 評価・レビュー |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
| 中古車 |
台 買取価格相場 車を売る |
アウディ100アバントとは
アウディが製造した100アバントは、1978年に初代モデルが発売され、その後も1982年にマイナーチェンジを経て、1994年まで生産されていました。価格は初代モデルの当時の価格で約350万円であり、後にマイナーチェンジを行った2代目モデルは、より高価な車種として位置付けられました。様々なグレードが用意されており、豪華装備が施された上級グレードでは、快適なドライビングを楽しむことができます。 100アバントのエンジンは、排気量が1.6リットルから2.2リットルまでの幅広いラインアップがあり、燃費の良さが特徴です。馬力は最高で130馬力を誇り、スムーズな加速を実現しています。タイヤサイズは標準的なサイズで、安定した走行性能を提供しています。 100アバントの特徴としては、ワゴンタイプのボディスタイルがあり、広い室内空間と荷室容量が魅力的です。また、高い安全性能や乗り心地の快適さが評価されています。この車種は、家族を乗せてのロングドライブや日常の使い勝手に優れており、多くのユーザーに支持されてきました。 100アバントの人気の秘密は、高い品質と洗練されたデザイン、そして快適な走行性能にあります。アウディの歴史を受け継ぐクオリティの高さが、ユーザーからの信頼を得ています。そのため、デイリーユースからレジャーまで幅広いシーンで活躍することができ、多くの車好きの支持を集めています。より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。
| 詳細項目 | スペック |
|---|---|
| 型式 | E-4AAAH |
| 最小回転半径 | 5.3m |
| 駆動方式 | FF |
| 全長×全幅×全高 | 4.8m×1.79m×1.47m |
| ドア数 | 5 |
| ホイールベース | 2.69m |
| ミッション | 4AT |
| 前トレッド/後トレッド | 1.53m/1.53m |
| AI-SHIFT | - |
| 室内(全長×全幅×全高) | -m×-m×-m |
| 4WS | - |
| 車両重量 | 1530kg |
| シート列数 | 2 |
| 最大積載量 | -kg |
| 乗車定員 | 5名 |
| 車両総重量 | -kg |
| ミッション位置 | フロア |
| 最低地上高 | 0.13m |
| マニュアルモード | - |
| 標準色 | クリスタル シルバーメタリック、インディゴパールエフェクト、チタニウムメタリック、パンセロメタリック、シクラメン パールエフェクト、ラグーサ メタリック |
| オプション色 | - |
| 掲載コメント | ※このクルマの燃費は発売当時の資料により、10モードの数値を表示しております。燃費=7.3km/l |
| エンジン型式 | AAH |
| 環境対策エンジン | - |
| 種類 | V型6気筒SOHC |
| 使用燃料 | ハイオク |
| 過給器 | - |
| 燃料タンク容量 | 80リットル |
| 可変気筒装置 | - |
| 燃費(10.15モード) | -km/L |
| 総排気量 | 2771cc |
| 燃費(WLTCモード) | - |
| 燃費基準達成 | - |
| 最高出力 | 170ps |
| 最大トルク/回転数kg・m/rpm | 25.5/3000 |
| 福祉車両 | - |
| 大型ガラスルーフ | - |
| 片側電動スライドドア | - |
| サンルーフ | △ |
| 両側電動スライドドア | - |
| ルーフレール | ◯ |
| ドアイージークローザー | - |
| Tバールーフ | - |
| 電動バックドア | - |
| ルーフ系装備 | - |
| ディスチャージドランプ | - |
| タルガトップ | - |
| フロントフォグランプ | ◯ |
| ハードトップ | - |
| リアフォグランプ | ◯ |
| ソフトトップ | - |
| ヘッドライトウォッシャー | ◯ |
| キャンバストップ | - |
| フロントスポイラー | - |
| メタルトップ | - |
| リアスポイラー | ◯ |
| マグネシウムホイール | - |
| ローダウン | - |
| アルミホイール | ◯ |
| UVカットガラス | - |
| 片側スライドドア | - |
| プライバシーガラス | - |
| 両側スライドドア | - |
| 寒冷地仕様 | - |
| ステアリング位置 | 不明 |
| ステアリングステアリングギア方式 | パワーアシスト付ラック&ピニオン式 |
| ステアリングパワーステアリング | ◯ |
| ステアリングVGS/VGRS | - |
| サスペンション形式前 | ストラット式 |
| サスペンション形式後 | トレーリングアーム |
| 高性能サスペンション | - |
| タイヤサイズ前 | 195/65VR15 |
| タイヤサイズ後 | 195/65VR15 |
| ブレーキ形式前 | Vディスク式 |
| ブレーキ形式後 | ディスク式 |
| ソナー | - |
| 駐車支援システム | - |
| センターデフロック | - |
| 横滑り防止装置 | - |
| トラクションコントロール | - |
| フロントカメラ | - |
| LSD(リミテッドスリップデフ) | - |
| サイドカメラ | - |
| ダウンヒルアシストコントロール | - |
| バックカメラ | - |
| AYC(アクティブ・ヨー・コントロール) | - |
| 頸部衝撃緩和ヘッドレスト | - |
| SH-4WD | - |
| ABS | - |
| ISOFIX対応チャイルドシート固定バー | - |
| ブレーキアシスト | - |
| ビルドインチャイルド | - |
| アイドリングストップシステム | - |
| バケットシート | ABS(◯) |
| ランフラットタイヤ | - |
| 後退時連動式ドアミラー | - |
| エアサスペンション | - |
| レインセンサー | - |
| ブレーキ系装備 | - |
| インテリジェントAFS | - |
| 衝突軽減装置 | - |
| 盗難防止装置 | - |
| ナイトビジョン | - |
| セキュリティアラーム | - |
| レーンアシスト | - |
| ロードサービス | - |
| 車間距離自動制御システム | - |
| パワーウィンドウ | - |
| オットマン機構 | - |
| フルフラットシート | - |
| チップアップシート | - |
| 本革シート | |
| 電動サードシート | ◯ |
| フロントベンチシート | - |
| 床下ラゲージボックス | - |
| シートリフター | - |
| エンジンスタートボタン | - |
| シートポジションメモリー機能 | - |
| キーレスエントリー | - |
| 運転席パワーシート | - |
| ETC | △ |
| フロント両席パワーシート | - |
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アウディ 100アバントの知っておきたい情報
100アバントとは?
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アウディ100アバントの新車情報
アウディ100アバントの最新情報まとめアウディ・100
(Audi 100 )は、ドイツの自動車会社アウディが1968年から1994年まで製造していた中型乗用車である。
2代目、3代目モデルの上級仕様は、アウディ・200として販売された。また、アメリカ合衆国では3代目モデルが「A5000」という名称で販売されていた。
1968年から発表されたアウディのフラッグシップであり、欧州市場ではEセグメントに属する乗用車であった。世界で初めて直列5気筒ガソリンエンジンを搭載し、また3代目モデルは市販車として初めて空気抵抗係数(Cd値)0.30を達成した。ボディ形状はセダンを基本としたが、世代によってはクーペやハッチバックも存在した。駆動方式は前輪駆動(FF)がベースであるが、3代目以降は「クワトロ」(quattro)と呼ばれる四輪駆動(4WD)も選べた。
アウディ・フォルクスワーゲングループのフラグシップとして1968年にデビュー。大柄なセダンボディに小排気量のエンジン(1.8L 直列4気筒)を組み合わせ、前輪を駆動する。エンジンは吸気系・圧縮比などのチューニングに応じて80馬力、90馬力、100馬力仕様が存在した。当初は4ドアセダンだけだったボディは、1969年には2ドアセダンが加えられ、1970年にはファストバックの2ドアクーペ(100クーペS)がラインナップされた。クーペには強化型エンジン(1.9L 115馬力)を搭載した。
同1970年にはセダンの最上位機種(GL)にVW製の3速AT仕様が加えられている。
1972年に80/90馬力仕様のエンジンは85馬力の新エンジンに統一され、セダンの最上位機種には従来クーペ専用であった1.9Lエンジンが搭載されている。
1973年にマイナーチェンジを行い、モデル末期の1975年にはアウディ・80にも搭載されることになる1.6Lエンジンを追加している。
アウディ100は1976年に初の全面変更を行う。トップグレードではガソリン車で世界初の直列5気筒エンジンを採用し世界中を驚かせた(世界初の5気筒エンジンはメルセデス・ベンツが1974年に発表したディーゼルエンジン)。
5気筒エンジンは「6気筒のパワーと4気筒の経済性」を謳い、2.1Lから100馬力を発生させている。後に改良され、136馬力と大幅に出力が向上した。
ボディラインナップは、4ドア・2ドアセダンはそのままにクーペはなくなり、「アヴァント」と称する5ドアハッチバックが新たに追加された。この頃の「アヴァント」は現在のようなステーションワゴンではなく、ファストバックの5ドアハッチバックで大型化されたフォルクスワーゲン・パサートのようなモデルであり、フランスのルノー・25などにも類型が見られる。
このC2シリーズでは、新設計のエンジンによってドライバビリティーが大幅に向上し、ヨーロッパ市場ではひとつのベンチマークであったメルセデスのコンパクト(W123)のライバルの一台として認識される実力を備えるに至った。6ライトの車内は、FFの利点を活かし非常にルーミーであり、リファインされた乗り心地・静粛性などにおいてはむしろW123を凌駕していた。その他、パンクしても直進性を保つというネガティブスクラブのフロントサスペンションや、2系統のブレーキ配管など、派手さはないが乗用車としての安全性を追求した技術が目立つ。
北米では「アウディ5000」の名で販売されブランドイメージの刷新を行った。
1980年には上級モデルの「200」がデビューした。これは100のシャーシをベースに、ターボ過給された2.2L 5気筒(170馬力)エンジンを備え、それに応じて足回りを強化したモデルで、駆動方式は前輪駆動であった。日本仕様では自動車排出ガス規制によるパワーダウン、及びトランスミッションが3速AT(当時すでに4ATが上級車の主流だった)であることが難点であった。
1980年 アウディ200ターボの登場に合わせて、他のモデルもマイナーチェンジ。
当時欧州においてはディーゼル乗用車は一般化しつつあり、各社とも日に日に完成度を向上させていた。メルセデスは前モデル(W115 240D/300D)からディーゼル乗用車のマーケットを確立しており、VWグループでも初のディーゼル乗用車フォルクスワーゲン・ゴルフ(ゴルフ D)の成功の後、それの4気筒ディーゼルエンジンを拡大した5気筒2Lをアウディ100に搭載してデビューさせた。日本でのインポーターであったヤナセは、すでに輸入していたメルセデス300D/240Dに続いて、アウディ100ディーゼルの輸入を開始した。機械的にはゴルフD以上の完成度であったが、MTしか選べなかったことや、アウディ100を選ぶユーザー層はディーゼル乗用車に関心が低かったせいで、販売上不振であった。当時、BMW(524td 2.4L直列6気筒ターボディーゼル)、ボルボ・700(760GLD)、シトロエン・CX(CX 2500D)なども日本市場にディーゼル乗用車を登場させたが、メルセデス以外は販売上不振を理由に早々に輸入されなくなった。これは当時の輸入車のユーザーが、機械としての完成度よりも、高級品としてのイメージを求めたことが理由と思われる。日本において輸入車はまだまだ高価であった。
1982年にモデルチェンジしたアウディ100は、Cd値0.30の空力ボディを持つ。全長4,805mm、全幅1,815mm、全高1,420mm。1980年代前半というのは、欧州自動車メーカでそれまで脈々と研究されていた空力リファインが、具体的なモデルとして登場しはじめた年代である。ボディの空力デザイン自体は、1960年代から先ずはレーシングカーの最高速向上を目的に始まり、次に効率的な乗用車というテーマに波及していった。この小排気量で高速巡航を可能にするというテーマは陸続きで高速移動を可能にするインフラの整った欧州においては充分に現実的な問題であり、これに従って幾つかの習作(ピニンファリーナ・CME1600)やシトロエン・GS/CX、NSU・Ro80などの先駆者が1970年代に既に登場している。1980年には、レーシングカーやプロトタイプ以外で空力に無頓着であったメルセデスが、最上級のSクラス(W126)において空力的なボディ(Cd0.36)を纏うという新たな技術の方向性を打ち出した。このような流れの中で、アウディ100では以前にもないほど徹底的な空力的リファインを行い、ボディ下面やホイールハウス回り、窓枠のフラッシュサーフェス化などのアイディアによって、2.2Lの小排気量で200km/hの巡航を可能にした。実際に、より大柄で室内スペースの広いC3の2.2L NAモデルが、ターボ過給されたC2の200 5Tのように静粛で速く、ずっと燃料費は低い。これらの魅力は非常に好評で、その後他社のモデルは空力ボディの追求なしにはリリースできなくなる。そういう意味でアウディ100が空力ボディの嚆矢であるかのように云われる。
C3はモデル中期にダッシュボードを含む内装のマイナーチェンジを行う。その際に新たに導入された安全技術として「プロコン-テン(procon-ten)」と呼ばれる衝撃吸収システムがある。これは衝突時にエンジンが後方に押し込まれる力を利用してボディ-エンジン-ステアリングを結んだワイヤーがステアリングを前方に引き込む装置で、当時メルセデスが先陣を切っていたSRSエアバッグシステムに代わる安全装置として考案された。まだSRSエアバッグが一般化する以前、アウディはエアバッグ展開用の火薬の信頼性を疑問視したものと思われる。
アウディ100は徹底した空力追求による効率化により、1983年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。日本でもモーターマガジン主催のワールド・カー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞している。
ボディは2ドアセダンが廃止され、4ドアセダンとステーションワゴンのアヴァント、計2種がラインナップされていた。上級版のアウディ200も引き続き設定され、165馬力だった2.2L 5気筒ターボエンジンは、最終的にDOHC 20V化され220馬力を発するようになる。
アウディは、ラリー競技でアウディ・クワトロ(通称ビッグ・クワトロ)の実力を確かめると、フルラインクワトロ化を目指し、100/200系もついにクワトロ版が登場する。当時クワトロシステムの駆動力の強力さを強調するため、スキーのジャンプ台をアウディ100クワトロが登り切るというテレビCMを放映していた。なお2005年にはクワトロ登場から25周年を記念し、A6クワトロを使用し、リバイバルCMが放映された。
アメリカでは引き続きアウディ5000の名で販売されていたが、1986年11月、CBSテレビの人気ドキュメンタリー番組「60 Minutes」が、相次ぐ5000(オートマチック仕様)の暴走事故について扇情的に報じた。これによって5000にはネガティヴなイメージが定着、88年モデルを最後に100/200の名称に改められた(ブレーキとアクセルの踏み間違え事故の項も参照のこと)。
1988年、さらなる上級モデルとして、V型8気筒の3.6Lエンジンを搭載する「アウディ・V8」が発表された。200クアトロのシャーシを流用し、クラス初の4WDシステムや、大きなブレーキローターを内側からはさむブレーキキャリパーなどを搭載していた。
ヤナセが1983年から輸入を開始している。100/200ともに輸入されたが、200アヴァントのみ輸入されなかった。
1990年にアウディ100は4世代目にフルモデルチェンジする。無闇な大型化は避け、全幅を縮小しながらパッケージングの妙で室内空間を拡大している。主力エンジンであった直列5気筒はラインナップされるものの、ターボエンジンは姿を消し、代わりにV型6気筒エンジンが新設計されている。ボディは先代同様4ドアセダンと5ドアワゴンのアヴァントの2種で、駆動方式もFFと4WDの2種である。
ラインナップの整理を行い、上級版であった200は姿を消した。同様に80の上級版であった90もモデルチェンジと併せて80に統合されている。
代わりに新登場となったのがシリーズのイメージリーダーとなる「S4」で、2.2Lの5気筒ターボから230馬力を発生させた。
1995年モデルからマイナーチェンジにより「A6シリーズ」を名乗ることになり、四半世紀続いたアウディ100の歴史に終止符を打った。このマイナーチェンジでライトやバンパーの意匠変更を行ったほか、S4がS6と名称変更し、S6を除き直列5気筒エンジンを廃止した。
ヤナセが1991年から輸入を開始したが、1992年に販売方法を巡ってフォルクスワーゲン・アウディ・グループ(VAG)とヤナセが決裂し新たにファーレン店とデュオ店で販売するようになった。
アウディ
(ラテン語:Audi)は、フォルクスワーゲングループに属しているドイツの自動車メーカーである。
現在株式の99.55%をフォルクスワーゲンAGが保有している。本社所在地はドイツ・バイエルン州、インゴルシュタット。ドイツ国内には、インゴルシュタット、ネッカーズルムに組み立て工場がある。過去にはKarmann-Rheineにカブリオレモデルの80(1997年 - 2000年)、A4(2002年 - 2009年)を一部生産委託していた時期もあった。
2012年現在、ドイツ国外の生産拠点はハンガリー・ジェール、ベルギー・ブリュッセル、スペイン・マートレル、スロヴァキア・マルティン、ブラチスラヴァ(両工場はVWのプラント)、インド・アウランガーバード、中華人民共和国・長春市の7箇所に置いている。
なお、2013年度から中国仏山市でも生産(年間生産能力15~20万台)が開始される予定。
同グループでは、主に中〜上級価格帯をカバーするブランドと位置づけられている。「クワトロ」(Quattro)という名称の四輪駆動システムを持ち、アルミボディなど先進的な技術を用いる傾向がみられる。ディーゼルエンジン(TDI)を、環境対策上のガソリンエンジン車の代替と位置づけており、重点的に開発・宣伝を行なっている。車種構成はFF車とFFベースの四輪駆動車がほとんどである。従来車体デザインがおとなしいと評されていたが、最近はデザイン的にもBMW、メルセデスベンツに引けを取らないよう押しの強いデザインを取り入れ、フロントマスクが睨み付けるようなデザインのモデルも増えてきた。
現在の車に使われている「フォーシルバーリングス」と呼ばれる4つの輪を組み合わせたエンブレムは、かつてのアウトウニオンのエンブレムに手を加えたもので、アウトウニオン設立に参加した4社の団結を象徴するものである。なお、左から順に、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーを指すものとされる。
なお、アウトウニオン設立以前ののエンブレムはのデザインになるもので、audiと書かれた逆三角形の上に半球が乗り、更にその上にアラビア数字の「1」が乗るといったものであった。
創業者アウグスト・ホルヒ()の姓「horch」は、「聞く」を意味するドイツ語「horchen」を連想させるものであった。これをラテン語に訳した言葉にちなむ。「horch」は「horchen」の親称二人称単数の命令形であり、そのラテン語が「audi (audī)」
後述するように、ホルヒは「ホルヒ自動車製造株式会社」から追放されたのち、新会社「ホルヒ自動車製造有限会社」を設立したが、裁判所に訴えられ名称を使用することができなくなった。ホルヒが友人のと相談した際、フランツの息子ハインリッヒが「聞く」という意味のラテン語「」はどうかと提案し、それが採用されることになった。
1985年にNSUアウトウニオンAGからAGへ社名変更したが、「」が選ばれた理由は「世界のだれもが発音しやすい名前」だからという。
創業者はアウグスト・ホルヒ(August Horch 、1868-1951年)。自動車史の黎明期にベンツで工場長を務めた後に独立、ザクセン州ツヴィッカウでホルヒを設立し、1901年から自動車生産を開始、当時としては高性能・高品質の自動車を送り出して名声を得る。
しかしアウグスト・ホルヒは、良質の車を作ることにこだわって経営面への配慮を欠くきらいがあり、1909年には経営陣から追放を受けた。速やかに自力で別のホルヒを設立、自動車生産を開始したが、元のホルヒの抗議によって、同一社名・車名を使うことを差し止められる。
この結果、アウグスト・ホルヒは1910年に自社の社名・車名を「ホルヒ」から「」に変更。とはラテン語で「聞く」という意味でオーディオの語源であり、ホルヒのドイツ語での意味と同義である。
は2612cc(2.6L)4気筒のモデルからスタートし、3564cc(3.6L)、4680cc(4.7L)、5720cc(5.7L)となっていく。これらは人気を得、スポーツイベントでも活躍した。アウグスト・ホルヒは1920年にを去った。初の6気筒モデルは1924年の4655cc(4.7L)だった。1928年、はDKWのオーナーだったイェルゲン・スカフテ・ラスムッセンに買収される。同年、ラスムッセンは米国リッケンバッカー自動車の生産設備を購入、この設備は1929年から生産された高級モデル、ツヴィッカウ(Audi Zwickau )とドレスデン(Audi Dresden )で使われ、またこれらにはリッケンバッカーのエンジンを搭載した。他にプジョーからライセンスした4気筒エンジンを搭載したモデルも生産された。この時期の車は特殊なボディワークがなされた高級車だった。
第一次世界大戦後の不況の中、ドイツ自動車市場にはアメリカ大手自動車メーカーが大挙して進出し、既存の国内メーカーを脅かしていた。これに対抗するため、1932年にザクセン州に本拠を置く中堅メーカーであったDKW、、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が合同し、新たにアウトウニオン(Auto Union, 自動車連合)を結成した。「」ブランドのモデルは同社の中級〜高級クラスの車種として存続したが、第二次世界大戦勃発で製造中止された。
アウトウニオンは、第二次世界大戦の戦禍とその敗戦後のソ連によるザクセンの工場接収という壊滅的なダメージから逃れ、西ドイツのインゴルシュタットを新天地として再出発した。部品やバイク、バンの生産を経て、「アウトウニオン」および「DKW」ブランドで乗用車の生産を再開した。1956年から1964年まではダイムラー・ベンツの支配下にあり、1964年以降はフォルクスワーゲンの傘下となっている。
1965年に「」ブランドの乗用車生産が再開され、前輪駆動の堅実な中級セダンを主軸とする形で80・スーパー90・100などモデルのラインナップを広げた。1969年にはロータリーエンジンの開発で知られたNSUを併合、NSUアウトウニオンとなる。以降は80や100シリーズなどのヒット作を世に送り出しフォルクスワーゲン・グループの中〜上級クラスを担うブランドとして発展した。1985年に社名をに変更した。
1980年代には乗用車用四輪駆動システムの「クワトロ」を開発し、「四輪駆動はオフロード向け」というイメージを塗り変えた。
1986年には、今では鉄の防錆に欠かせない亜鉛めっきを量産車として世界初採用し、車体の耐久性・持続性を向上させた。後に他の自動車メーカーも追随した。
フォルクスワーゲンのゴルフはが開発を手がけた車である。1970年代、ビートルの後続車の開発がなかなか進まないフォルクスワーゲンにの社長だったルドルフ・ライディングが移籍し、当時フォルクスワーゲンがビートルの後続モデルとして計画しポルシェが設計・開発していたミッドシップの2ドア・ハッチバック試作車EA266を設計図を見たとたんに開発中止を命じ、元職場で計画中だったFF車を急遽代案として採用した。
の現行モデルには大きく分けてセダンやハッチバックなどのAモデル、SUVのQモデルの二つのベースモデルがあり、それに加えてTT、R8の二つのスポーツカーをラインナップしている。また、一部モデルを除きベースモデルをチューニングしたハイパフォーマンスモデルが設定されており、のチューニングによるSモデル(Sportに由来)、子会社であるスポーツ(旧クワトロ社)のチューニングによりさらに性能を高めたRSモデル(Racing Sportに由来)がある。
ここ数年はモーターショーに出品するコンセプトカーは殆どがクアトロとなっている。
1967年にヤナセがLを輸入したことから始まる。以来1992年末までヤナセにより輸入・販売された。また、1992年に「フォルクスワーゲン日本」(のちのフォルクスワーゲングループジャパン)が輸入元となり、旧ジヤクス系の「ファーレン」及びトヨタ自動車系の「DUO」店でフォルクスワーゲン(VW)と併売された。
1998年部門が独AUDI AGが100%出資する「ジャパン」として分離(現社長フィリップ・ノアック)。VWとの併売体制になっている「ファーレン」「DUO」販売網のディーラー契約を一旦白紙に戻し、改めて専売のディーラー契約を結び直し、2001年より新CIに準拠した全国ディーラー網を始動させた。2007年にはヤナセとの共同出資で作ったディーラー「ヤナセ販売」をジャパン側が全部買収し、「ジャパン販売」としてインポーター直販体制を作った。2008年の新規登録台数は16,040台であり、輸入車に占める割合は7.8%であった。
首都圏や大阪にショールーム(販売店)を設置しており、2013年には横浜・みなとみらい地区にジャパン販売が展開するショールームの中で国内最大規模(旗艦店)となる「Audi みなとみらい」が開業した。また、東京・尾山台にある本社ショールームは安藤忠雄の設計となっている。
2016年1月より、前社長である大喜多寛の退任により、ジャパン販売株式会社の代表取締役社長であった、斎藤徹が着任した。
また、2016年より、R8とRSモデルを販売するサブブランド「スポーツ」が5店舗で展開された。
2020年、ジャパン販売の全株式を「PAIGジャパンオートモビルインベストメント合同会社」に譲渡。日本での販売をポルシェ・ホールディングの世界展開に組み込み、ジャパンはインポーター業務に専念する。
1981年から1986年まで世界ラリー選手権(WRC)に4輪駆動車のクワトロが参戦し、1982年と1984年にマニファクチャラーズタイトルを獲得して、通算23勝を挙げた。グループBのライバルメーカーも4輪駆動化に追随し、以後ラリーにおける優位性を決定的にした。また、クワトロはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムでも成功を収めた。
1999年よりプロトタイプレーシングカーを開発し、各国の耐久レースに参戦している。FIA 世界耐久選手権(WEC)ではトヨタや同じフォルクスワーゲングループのポルシェと熾烈な対決を演じ、2012年、2013年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
ル・マン24時間レースでは1999年の参戦初年度で3位に入賞し、翌2000年にR8で初優勝を達成。2001年、2002年、2004年、2005年に5回の総合優勝を記録した(2003年はワークス参戦を休止)。2004年は日本のプライベートチームであるチーム郷が優勝した。2006年はR10で出場し、2008年まで3連覇を果たした。2010年にはR15、2011年から2014年までにはR18で出場し合計で5連覇を果たした。ル・マン通算勝利数ではポルシェの17勝に次ぐ13勝を挙げる一方で、1999年の参戦初年度から2016年のWEC撤退までの全18年間に及ぶ連続表彰台入賞という前人未到かつ史上初の大記録を達成した。この事からファンからは「ル・マンの鉄人メーカー」と呼ばれるようになり、一方でワークスドライバーだったトム・クリステンセンは9勝を挙げ、ル・マン最多勝ドライバーとなった。
しかし2016年いっぱいで撤退し、フォーミュラEへの参戦が発表された。
2020年、フォーミュラEから撤退し、LMDhでWECの最高峰に復帰すると共にIMSAへ参戦することが報じられた。
また、2006年のR10がル・マン初のディーゼルエンジン搭載車として、2012年のR18 e-tron クワトロが初のハイブリッドシステム搭載車として総合優勝を達成し、ル・マンにおける技術革新にも貢献している。ヘッドライトに関しては2011年にフルLED化、2014年にはレーザーハイビームを導入した。
2012年9月中国国内の販売店で「日本人を皆殺しにする」という横断幕が掲げられた。中国で尖閣諸島をめぐる反日デモが激化する中で、販売店の中国人社員14人が抗議行動として個人的な意志からこの横断幕を掲げた。内容は「我々は自分たちを犠牲にしても日本人を皆殺しにする!たとえ国家が滅亡しても釣魚島(尖閣諸島)を取り返す!」であった。
日本法人はすぐにコメントを発表。「このような行為があったことは誠に遺憾であるとともに、憤りを覚えております」とのニュースリリースを掲載した。ドイツ本社の「(今回の行為は)受け入れがたい」というコメントも含まれていた。ドイツ本社はTwitterで「我々は今回の中国での行動といかなる暴力からも距離を置く。我々は対話と外交を主張する」というコメントを出した。しかし、このドイツ本社のコメントについては他人事のように述べているという批判が日本のネット上で起きた。台湾やアメリカでも「もっと深刻にとらえ、きちんと謝罪すべきではないのか」との批判の声がネット上で起きた。
フォルクスワーゲン車の排出ガス規制不正問題(フォルクスワーゲン#排出ガス規制不正問題)は同様なディフィートデバイスを搭載した社ディーゼルエンジンにも波及し、A1、A3、A4、A5、A6、TT、Q3、Q5が対象となると発表された。さらに、3リットルV6ディーゼルエンジンを搭載した2016年モデルのQ5、Q7、A6、A7、A8にも不正ソフトウェアが発見されたと米環境保護局が発表した。
2018年6月18日には会長が不正に関与した疑いで逮捕された。
多様なニーズに応えるオーダーメイドプログラムとして「Audi exclusive」がある。11色のレザー、8色のアルカンターラ、9種類のカーペット、7種類のウッド、2種類のインタルシアウッドから成るインテリアのみならず、アルミホイールやオフィスパーツ、また、スペシャルボディーカラーの選択も可能な「自分だけの」を創るプログラムである。