バイクの引き起こし (長文です) 先日、10人でツーリングに行ったときのことです

目で見て楽しめる車・バイクニュースサイト「GoAuto」がお届けするQ&Aサービスです😏

匿名さんからの質問

バイクの引き起こし (長文です) 先日、10人でツーリングに行ったときのことです。 年齢もみな40代以上でバイクの種類は違えど、全員大型バイクに乗っています。 年々、体力的にもバイクの取り回しがきつくなるねーという話から始まって、そのうち引き起こしが無理となったらバイクを降りるべきか否か、という話になりました。 私自身のことだけに限定すればそりゃ街中で立ちゴケでもして一人で起こせない、ましてや周りに頼るのも迷惑だと考えると潔く降りようかなと思います。 そういう点では皆おなじ意見でしたが、年齢は関係なく女性なりひ弱な体格で大型バイクを引き起こしが出来ないのに乗るということに関しては真っ向から意見が分かれたのです。 否定派としては、 身の丈にあってないバイクに乗ること自体が危険。 取り回しや引き起こしのたびに他人にも迷惑をかけるし、周りから見て良いとは思えない。 肯定派は マフラーなど爆音にして迷惑かけてるわけじゃないし、みんなで助け合えばいい。 車だって脱輪すれば一人でどうこうできないし、引き起こし程度ならそんなに頻繁にあるわけでもないし迷惑だとは思わない。 大きい重たいバイクはアメリカンが多いので、 とまあ、要約すればそんなところです。 引き起こしが出来ない奴はバイクに乗る資格がない、という意見も聞きますが、いきなりそういわれると厳し過ぎる気もしなくはないですが、よくよく考えてみると自動2輪免許や大型2輪免許ともに教習所では第一段階で引き起こしがあり、それがクリア出来なければ次に進ませてもらえません。平たく言えば引き起こしが出来ないものにはバイクの資格を与えない、と捕らえると乗る資格がないというのもあながち間違っていない話だとも考えられます。 究極の選択ってわけではないですが、肯定派か否定派かどちらかで答えるとしたらどちらになりますか。 また個人的な解釈、意見を書いていただけると大変参考になります。 ちなみに私の見解・理由はあえて書きませんが同じ方が恐らくBAになるかと思います。もしくはなるほどと思った方を選ぶ際に書こうと思います。 どちらでもない、もしくはどちらかであっても理由が分からないという方は回答をご遠慮ください。 宜しくお願いいたします。

バイク暦25年のオヤジです。 これは、バイク乗りの永遠のテーマの一つですね。 ※下記、あくまで「ワタシの持論」です。 結論は、 買う(乗る)バイクとしては、必ずしも『独りで』起こせなくても『仕方ない』です。 免許を取る条件に、「教習車を引き起こせなくてはならない」と言う話と、「自分が乗るバイク」は、『別物』だと言う考えです。 免許の条件に「引き起こし」があるのは、「必ずしも、その免許で乗る事ができるバイク全てを独りで引き起こすべきだから」ではありません。 それならば、「バカ重いハーレーで引き起こしさせるはず」ですから。 (それだと現実的には大半がソコで失格になりますが) 「引き起こし」がある理由は、「バイクの取り回しの一環」であり、「ライダーとして、寝ているバイクを引き起こす時の物理的理論や力の入れ方やコツを掴んでおくべき」なのが趣旨だと思います。 実際に転んで引き起こす時には、「独りでできなくても=複数なら引き起こせる」でも、良い(仕方ない)と思います。 それでもやはり、試験の時に「実際にある程度の重さのバイクを、ホントに引き起こせるだけの知識と経験」がないと、いくら複数でやっても、いきなりではできなかったり、無意味にバイクを壊したりしてしまうでしょう。 バイクは、その性質上、「地面に寝てるのを起こす」のは、100%「非常事態」ですよね。 まともな状態ではない訳で、中には、「試験の時以来、一度たりとも引き起こしをせずに(する必要に迫られずに)バイクを降りてしまう人」だっているでしょう。 そんな「特殊な状況」だからこそ、敢えて「事前試験」みたいなカタチで課題を課して、「一度は経験してみて、実際に起こしてみなさい」的な意味があるんだと思いますが。 そうしないと、「バイクの引き起こし」なんて非常事態を一度も経験しないまま、万が一ホントに転んだ時には、不器用で非力な人だったら、もうホントにどーしよーもないワケです。 以上が、「試験の最初に引き起こしがある理由」。 で、実際に「転んだバイクを『独りでは』引き起こせない」事について。 大前提として、「起こせないよりは起こせる方が100倍安全」なのは、幼稚園児でも判る話ですから、そんな不毛な議論は止めましょう。 あくまでも、「『独りで』起こせないバイクに『乗っちゃいけない』のか?」って観点でね! 「乗るな派」の方によくある持論は、 「転んだ時に自分のバイクを起こして道の端に寄せ、二次事故を防ぐのはライダーの最低限の義務だ」ってヤツですよね。 でもね、「バイクで転ぶ時」って、多くの場合「怪我しませんか?」 骨を折る、気絶する、最悪の場合、死んでます…。 そしたら、引き起こしもへったくれも無いワケです。 頑としてこの主張をする人ってのは、自分が転んで動けなくても、死んでも、ユーレイとなってバイクを起こし、道端に寄せてから昇天するんでしょうか?だって、「最低限の義務」ですから。 二次事故に遭った「後ろから来たクルマ」にとっては、「原因となったバイクのライダーが無傷かどうか?」なんて、「関係ありません」。 コケたライダーが骨を折って起こせなくて、「いや、骨折ってなかったら、ホントは起こして端に寄せていたんですけどね…無傷なら起こせたんだから、大目に見て下さい」って謝られて、「そうか、それならば許す」とはならんでしょ? コケたのが女の子で、「ワタシ、力が無いから起こせなかったんですぅ~~」って言い訳するのと、結果は同じなんですよ…。 「二次事故の防止」って言う観点なら、「独りで起こせる、起こせない」よりも、「独りで走らない」方が、よっぽど「効果的」ですよね。 (まぁ、この二つは次元が違う話でもあるから、あまり真剣に議論する意味は無いですが) 重ねて言いますが、「起こせないよりは起こせる方が100倍安全」なのは、幼稚園児でも判ります。 しかし、「絶対乗るな」は、言い過ぎだと思います。 「試験の引き起こし」と、「実際の引き起こし」は、別の話。 因みにワタシは、「(元気なら)自分独りで起こせるバイク」にしか乗ってませんが。今のところは。

#究極

カテゴリ:

この質問「バイクの引き起こし (長文です) 先日、10人でツーリングに行ったときのことです。 年齢もみな40代以上でバイクの種類は違えど、全員大型バイクに乗っています。 年々、体力的にもバイクの取り回しがきつくなるねーという話から始まって、そのうち引き起こしが無理となったらバイクを降りるべきか否か、という話になりました。 私自身のことだけに限定すればそりゃ街中で立ちゴケでもして一人で起こせない、ましてや周りに頼るのも迷惑だと考えると潔く降りようかなと思います。 そういう点では皆おなじ意見でしたが、年齢は関係なく女性なりひ弱な体格で大型バイクを引き起こしが出来ないのに乗るということに関しては真っ向から意見が分かれたのです。 否定派としては、 身の丈にあってないバイクに乗ること自体が危険。 取り回しや引き起こしのたびに他人にも迷惑をかけるし、周りから見て良いとは思えない。 肯定派は マフラーなど爆音にして迷惑かけてるわけじゃないし、みんなで助け合えばいい。 車だって脱輪すれば一人でどうこうできないし、引き起こし程度ならそんなに頻繁にあるわけでもないし迷惑だとは思わない。 大きい重たいバイクはアメリカンが多いので、 とまあ、要約すればそんなところです。 引き起こしが出来ない奴はバイクに乗る資格がない、という意見も聞きますが、いきなりそういわれると厳し過ぎる気もしなくはないですが、よくよく考えてみると自動2輪免許や大型2輪免許ともに教習所では第一段階で引き起こしがあり、それがクリア出来なければ次に進ませてもらえません。平たく言えば引き起こしが出来ないものにはバイクの資格を与えない、と捕らえると乗る資格がないというのもあながち間違っていない話だとも考えられます。 究極の選択ってわけではないですが、肯定派か否定派かどちらかで答えるとしたらどちらになりますか。 また個人的な解釈、意見を書いていただけると大変参考になります。 ちなみに私の見解・理由はあえて書きませんが同じ方が恐らくBAになるかと思います。もしくはなるほどと思った方を選ぶ際に書こうと思います。 どちらでもない、もしくはどちらかであっても理由が分からないという方は回答をご遠慮ください。 宜しくお願いいたします。」に答えてみる

質問に答える

※未入力の場合「乗り物好き」として匿名で回答できます。


※未入力可能


全角10文字以上4000文字以内

見て楽しむニュース

【動画だから100倍楽しめる】見て楽しむ車・バイクニュース(すべて見る)

【速報】車・バイクニュース

完全無料で話題の車・バイクニュースがすぐに読める(すべて見る)

究極の知っておきたい情報

究極に関する基本的な情報まとめです。

とは?

「wikipedia」に記載されている「」の情報を元にした詳しい情報を見ることができます。

究極に関するQ&A

究極に関する他のよくある質問

究極の知りたいことや、みんなが疑問に思っている 究極に対する質問がたくさんあります。詳しい人からの回答もたくさん集まっているので 究極への疑問が解消されます

みんなが知りたい質問

昔日の旧来より、保守的な伝統文化の継承によって裏打ちされた権威ある横綱の貫目を台無しにしかねない正攻法と打って変わり対極にある猫騙しの小細工を弄し、非難轟々と物議を醸した白鵬騒動で すが、当カテに於いても、最早辛辣な意見ないしは感想で埋め尽くされ、大相撲ファン(好角家)の良識が健在である点にホッと安堵し、溜飲が下がりました。
私にとって、威風堂々とした横綱の理想像を確立したのは貴乃花以外になく、修行僧の如く孤高の求道者として、君臨し続けました。
驕る者久しからずですが、白鵬は数字に裏付けされた実績が全てに優るととんだ思い違いを起こしている様で、受け身とは程遠いと首をかしげざるを得ない主導権を我先にと奪いにゆく相撲振りからも透けて見えます。
個人的には両者の比較では、迷いなしに貴乃花>白鵬ですが、主に世紀末の90年代を堪能知らずの青二才風情の若いファンは貴乃花<白鵬という認識が大勢を占める様です。
一つだけ、大事なポイントを付言しておくと、貴乃花は自らいきなり優勢とはならず、敢えて相手側に十分に持てる実力を発揮させた上で、矢尽き刀折れるの喩(たと)え通りに通用しまいと観念させる一貫性を堅持しつつ、常勝街道をひた走りました。
角聖双葉山流の後の先の究極を体得していた訳です。
白鵬は日頃、何かと双葉山や大鵬の四股名こそ挙げるが、身近な先輩横綱である貴乃花を意識することは殆ど無いに等しいのです。
改めて考えるに、実績を最重要視する余り、目先の記録に囚われ、白鵬という横綱は何とこじんまりした存在に過ぎぬと実感させます。
只勝ちさえすれば、納得顔の白鵬に大横綱の称号はふさわしいか、改めてこの場で問うてみたいです。
忌憚なき説論をお聞かせ願いたく存じ上げます。