日産プリメーラハッチバックの価格・スペック

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プリメーラハッチバック

日産プリメーラハッチバック
販売期間:1991年10月から1998年12月
1997年02月から1998年09月
新車価格:206万万円から251万万円(※最新情報は、公式サイトをご確認ください。)
前輪:195/60R15
後輪:195/60R15
(F)195/60R15(R)195/60R15(タイヤサイズ)
ホイール:(F)6Jx15+45/(R)6Jx15+45
馬力:150ps 19/4800
燃費:JC08モード:- 10・15モード:10.8km/L
エンジン型式:SR20DE(150PS)
車検費用(参考):46410円(24か月)(※最新情報は、車検の依頼先にてご確認ください。)
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歴代のプリメーラハッチバック一覧

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日産プリメーラハッチバックの売れ筋アイテム

日産プリメーラハッチバックとは

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日産・プリメーラハッチバックとは?

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日産プリメーラハッチバックの新車情報

日産プリメーラハッチバックの最新情報まとめ

日産・プリメーラ

日産・プリメーラ

プリメーラ(PRIMERA)は、日産自動車が生産していた乗用車である。

先代にあたるオースター(欧州名ブルーバード)同様主にイギリスと日本の工場で生産・販売された。日本国内における販売期間は1990年(平成2年)から2005年(平成17年)末までの15年間。欧州でも生産・販売期間は2008年末まで行われ18年間で終了となった。特に初代モデル・2代目モデルはスポーツ志向が強く、主に20歳代から40歳代の比較的若い年齢層をターゲットとしていた。

ボディタイプは4ドアノッチバックセダン、ステーションワゴン(初代のみアベニールの同型車)、5ドアハッチバックセダンの3種類を持つ。初代モデルは、徹底的に欧州車を意識しており、きびきびとしたハンドリングと高い直進安定性を備えていたが、日本ではその乗り心地の硬さに、当初多くのクレームが寄せられたほどで、マイナーチェンジで足回りを改善した。

1990年代初頭当時の日本の自動車市場はハイソカーブーム真っ盛りの時期であり、スタイリングを重視するあまり低全高で居住性に劣る4ドアハードトップが主流であった中で本車は異色の存在であった。尚、車両パッケージングの開発には後に日産・GT-Rの開発責任者となる水野和敏が参画していた。日本市場ではバブル崩壊に伴うユーザーのベーシック志向への回帰と相まって、高級感や煌びやかさを追わず高い基本性能と実用本位のパッケージングを持ったプリメーラは1995年秋のモデル末期まで堅調な販売実績を誇った。一方で、当時の日本のミドルクラスのファミリーセダンとしては足回りが固く乗り心地に違和感を覚えるユーザーもいたが(特に初期型)、欧州車の足回りに近いと好意的に解釈されることも多かった。また、欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。欧州市場でも、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は日本車としては異例なほど高かった。北米市場にもインフィニティチャンネルからインフィニティ・G20として投入された。

「第一級の、最高級の」という意のスペイン語に由来する。また「カミノ」は同じく「道」を意味するスペイン語。



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