ランボルギーニ新型ウルスペルフォルマンテ 4WDの評判・スペック

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ランボルギーニ ウルス ペルフォルマンテ 4WD

ウルスのフロント外観()

ウルスのリア外観()

ウルスの内装・インパネ()

メーカー ランボルギーニ
車種 ウルス
グレード ペルフォルマンテ 4WD
販売期間 2017年12月から 販売中
価格 ---万円円
エンジン エンジン: V型8気筒DOHC
排気量: 3996cc
型式: 7BA-ZLDWN
馬力: 666ps
トルク: 850(86.7)/4500
ミッション: 8AT バッテリー:
タイヤ 前輪: 285/40ZR22
後輪: 325/35ZR22
ホイールサイズ: /
駆動: 4WD
最小回転: -m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08):
燃費(10•15): -km/L
燃料: ハイオク
実燃費: から
ボディサイズ 高さ: 1620 車幅: 2030 全長: 5140
乗車定員 4人
評価・レビュー 外観: 0点
内観: 0点
スペック: 0点
エンジン: 0点
乗り心地: 0点
燃費: 0点
価格: 0点
中古車 台
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ランボルギーニウルスとは

ランボルギーニが誇るスーパーSUV、ウルスは2018年に誕生した新たなる逸品だ。その価格は一般的なSUVとは一線を画し、高級感漂うデザインとパフォーマンスを持つ。ウルスは4リッターV型8気筒ツインターボエンジンを擁し、最高出力650馬力を誇る。標準グレードから上級グレードまで幅広いバリエーションをそろえ、ドライバーの要望に応える。排気量は3,996ccで燃費は穏やかな走行でも燃費に優れ、都市部から高速道路まで幅広い環境での快適な走行が可能となっている。タイヤサイズは標準的なものを装着しており、路面をしっかりとグリップする性能を発揮する。ウルスの魅力は、高い性能と洗練されたデザインが融合した極上のスーパーSUVであり、幅広い層から絶大な支持を受ける理由とも言える。その歴史はまだ浅いが、すでに多くのファンを持つモデルとなっている。ウルスは、ランボルギーニらしいスポーティな走りと高級感溢れるインテリア、機能性を兼ね備え、市場で大きな注目を集めている。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式7BA-ZLDWN
最小回転半径-m
駆動方式4WD
全長×全幅×全高5.14m×2.03m×1.62m
ドア数5
ホイールベース3.01m
ミッション8AT
前トレッド/後トレッド1.71m/1.72m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)-m×-m×-m
4WS◯
車両重量2190kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員4名
車両総重量2410kg
ミッション位置フロア
最低地上高-m
マニュアルモード◯
標準色-
オプション色-
掲載コメント※諸元・装備情報は一部本国仕様の情報を掲載しております
エンジン型式DWN
環境対策エンジン-
種類V型8気筒DOHC
使用燃料ハイオク
過給器ターボ
燃料タンク容量85リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量3996cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力666ps
最大トルク/回転数n・m(kg・m)/rpm850(86.7)/4500
福祉車両-
大型ガラスルーフ△
片側電動スライドドア-
サンルーフ△
両側電動スライドドア-
ルーフレール△
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア◯
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ-
ハードトップ-
リアフォグランプ◯
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー◯
メタルトップ-
リアスポイラー◯
マグネシウムホイール-
ローダウン◯
アルミホイール◯
UVカットガラス-
片側スライドドア-
プライバシーガラス△
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前マルチリンク式
サスペンション形式後マルチリンク式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前285/40ZR22
タイヤサイズ後325/35ZR22
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後Vディスク式
ソナー◯
駐車支援システム◯
センターデフロック◯
横滑り防止装置△
トラクションコントロール◯
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)◯
サイドカメラ◯
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ◯
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)△
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD△
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー△
ブレーキアシスト◯
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートABS(◯)
ランフラットタイヤ◯
後退時連動式ドアミラー◯
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラームカーボンセラミックブレーキ(◯)
レーンアシスト◯
ロードサービス◯
車間距離自動制御システム◯
アクセル踏み間違い防止装置◯
ブラインドスポットモニター◯
リアトラフィックモニター◯
サポカー-
オートマチックハイビーム◯
歩行者保護エアバッグ-
パワーウィンドウ◯
オットマン機構◯
フルフラットシート◯
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能-
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC◯
フロント両席パワーシート-

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ランボルギーニ ウルスの知っておきたい情報

ランボルギーニとは?
ウルスとは?

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ランボルギーニウルスの新車情報

ランボルギーニウルスの最新情報まとめ

ウルス

ウルス

ウルス(中世モンゴル語: 、 現代、オルス)は、モンゴル語で「国家」「人々」を意味する単語である。原義は「人の渦」。遊牧民であるモンゴル人にとっては、国家とはすなわち人々の集合体であったことから同義語となっている。

歴史用語としては、テュルク語でイル(il)、エル(el)と呼ばれる語とほぼ同義で、カン(王)などの称号を帯びた君主に率いられた遊牧民の自立的な政治集団を指す。原初的には、チンギス・カン以前の11世紀のモンゴル部族のような、諸集団(氏族)の長同士がある程度擬制的な血縁関係をもって政治的に結集した遊牧部族を指したようである。

13世紀初頭、モンゴル高原を統一したチンギス・カンは、支配するモンゴル高原の西端に長男ジョチ、次男チャガタイ、三男オゴデイの3子に4000戸(4個千人隊)ずつの遊牧集団を、東端には3人の同母弟とその家族に合計12000戸(12個千人隊)の遊牧集団をウルスとして与え、皇帝の権力から半ば自立した遊牧政治集団を形成させた。また、チンギス・カンはオイラトやオングートのような、モンゴルに服属した有力な部族集団も複数の千人隊としてある程度自立した政治集団として存続させることを許しており、モンゴル帝国はイェケ・モンゴル・ウルスを名乗り、中軍としてのカアン(ハーン)自身のウルスを中心に大小のウルスやウルスに準じるものが集合した遊牧部族連合的な性格をもった。これは、モンゴル帝国に限らず、匈奴からジュンガルまで中央ユーラシアで興起した多くの遊牧国家に共通してみられた特徴である。

やがて、ジョチ、チャガタイ、オゴデイ3子の子孫と、のちに西アジアの征服に派遣されたチンギスの四男トルイの子フレグの子孫は、それぞれモンゴル帝国の西方で大規模なウルスを形成した。これらのウルスの君主は汗(カン、ハン,Qan)を称したため、汗の治める国家という意味でしばしば汗国(ハン国/khanate)と呼ぶ。一般には、中央アジアを支配したチャガタイ・ウルスをチャガタイ・ハン国、キプチャク草原を支配したジョチ・ウルスをキプチャク・ハン国(金帳汗国)、西アジアを支配したフレグ・ウルスをイル・ハン国(イルハン朝)と呼び、総称して「三汗国」と呼んでいる。しかしながら「汗国」と称するものの、実際には国といえる実態ではなく、遊牧民族のみを支配下とした。遊牧民は定住せず草原を移動するので、汗国の境界線というものも実際には存在しないに等しかった。汗国の領域内(明確な領域は存在しないので正確な言い方ではないが)の非遊牧民族・定住民・都市に関しては、モンゴル帝国の支配下にあった。

しかし「カイドゥの乱」が転機となり、汗国は大きく変容する。オゴデイの孫であるカイドゥは、モンゴル皇帝権力からの分離独立を志向し、いわゆる「カイドゥの国」を成立させ、定住民や都市をも支配下とした。しかし1301年のカラコルムの戦い、タミールの戦いでモンゴル帝国に敗北して勢力を減じ、その死後にドゥアによって1306年頃「チャガタイ・ハン国によるカイドゥの国の併合」がなされた。これと同時期に、他の汗国も周辺の農耕地や都市とそこに住む定住民まで支配するようになっていき、実質上の国となった。この出来事を指して、かつてはモンゴル帝国の分裂といっていたが、実際には元の皇帝(カアン、大ハーン)を宗主として、モンゴル帝国の4ウルスは緩やかな連合を14世紀の前半まで続ける。

その後、モンゴル帝国後の遊牧民社会は再編を繰り返しながら、チンギス・カンの末裔を君主とする政権は次第に消滅していき、1783年にクリミア・ハン国がロシア帝国に征服されたことをもってチンギス裔を君主に頂く国家は消滅した。

現代モンゴル語では、ウルスは「国」という意味であり、モンゴル系民族唯一の独立国であるモンゴル国のモンゴル語による正式名称は、モンゴル・ウルス(Монгол Улс)という。かつてのモンゴル人民共和国はモンゴル・アルド・ウルス(Монгол Ард Улс)だった。

現在、ロシア連邦に属するサハ共和国ではかつてのラヨン(район)をウルス(улус)と呼んでいる(この行政区画は日本語では「地区」と訳される)。


ランボルギーニ

ランボルギーニ

ランボルギーニ(Lamborghini)は、イタリアの高級スポーツカーメーカーである。正式名称はヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)。1999年以降フォルクスワーゲングループに属する。

本社、製造工場、ランボルギーニミュージアムはボローニャ県サンターガタ・ボロニェーゼにある。

創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、第二次世界大戦後、イタリアにトラックが不足していることに目を付け、軍が放出するトラックを民生向けに改造し販売することで富を得た。大戦中、ロドス島にて兵器のメンテナンスに当たっていた彼の経験が活かされるかたちとなった。1947年、当時から自動車好きであった彼は、これを元手に小さなチューニングショップを開いた。

1948年、彼は友人と共にミッレミリアに参戦した。車両はフィアット・トポリーノで、自作のOHVヘッドが載せられていた。しかし途中で友人が運転を誤り、レストランに突っ込んでしまう。この際、彼は友人と共に車外に投げ出され、大ケガを負った。後に彼がレース界から距離を置くようになったのは、この経験が一因であるとされている。

その後、彼はトラックに続いてトラクターの自社開発に取り組み、1949年にランボルギーニ・トラットリーチ SpAを設立した。当初はただ同然で手に入れた軍放出車両のモーリスエンジンを用いた一般的なものであったが、後に自ら開発した排気熱で軽油を気化するイン・パボリザトーレというシステムを使って高性能なトラクターを作った。これは当時高価であったガソリンをエンジンの始動と暖気に使うだけで済み、後は安価な軽油で充分に動かせたため、大ヒットに繋がった。また1960年にはランボルギーニ・ブルチアトーリ SpAを設立し、ボイラーとエアコンの製造販売を手掛け、これも成功を収めた。

巨万の財を築いた彼はエキゾチックカーを収集するようになる。しかし、どの車も暑すぎたり、スピードが十分でなかったり、狭すぎたりしたため、フェルッチオを満足させるものではなかった。のちにエキゾチックカーの生産に乗り出したフェルッチオは、「助手席に座るレディのメイクアップが(汗で)落ちないような快適な車を作りたい」と語ったという。やがて彼は富の象徴、フェラーリのオーナーとなるが、当時のフェラーリにはクラッチに決定的欠陥があった。所有するフェラーリの度重なるクラッチ故障に頭を痛めた彼は、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。いざクラッチを分解してみると、使われていたのはなんと自社のトラクター用パーツと同型のボーグ&ベック製のクラッチ板であり、しかも全く同一のパーツにフェラーリはトラクター用の十倍の値段を付けていた。

元々は優秀なメカニックでもあった彼は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたウェーバー製のダウンドラフト型キャブレターをサイドドラフト型の物に改め、シリンダーヘッドをオリジナルのSOHCから当時は市販のフェラーリに採用されていなかったDOHCに改造した。完成した車は公道でのテスト走行中の新型フェラーリを「カモ」にできるほど速かったという。

既存のエキゾチックカーに少なからず不満を抱いていた彼は、これがきっかけで自動車ビジネスに乗り出す決意をしたといわれる。前述のフェラーリのパーツに見られるような高額な価格設定に触れ、「この商売は儲かる」と踏んでもいた。フェルッチオはこのとき、有望なビジネスモデルとして高級車業界を見ており、スポーツカーへの愛情とその財力を背景にアウトモービリの創設を決意した。

この1963年トリノショーに出品された350GTVは非常に目を引く独創性にあふれたフランコ・スカリオーネのデザインによるボディラインを持ち、性能面や上質なインテリア等で一定の評価を得たが、居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受ける。
この評を受けてすぐにフェルッチオは根本的な改修を指示、翌年カロッツェリア・トゥーリングにより手直しを受けたボディを纏った市販車としての第一号350GTをロールアウト。ここに市販車メーカーとしてのアウトモービリ・ランボルギーニの歴史は幕を上げた。

当初こそ、伝統のあるマセラティやフェラーリを引き合いに出されてはトラクターメーカーとしての出自を揶揄されたが、翌年に後継の400GTがロールアウトされる頃になると独創的なスタイルと快適性の高次での両立がエグゼクティブの間で話題となり、350GTは130台以上、400GTでは250台以上、当時の超高級GTとしては非常に良好なセールスを記録している。この後1966年のランボルギーニ・ミウラ、1971年のランボルギーニ・カウンタック(クンタッシ)とあまりにも有名な名車を次々と送り出し、押しも押されもせぬ世界的スーパースポーツの代名詞ともいえるブランドとなった。

トラクターの他にヘリコプターも作ったが、認可が下りず、結果的に、プロトタイプの2台しか現存していない。

イタリア・モデナにあるトニーノ・ランボルギーニ・ムゼオにフェルッチオが関わったランボルギーニ製品が展示されている。
2006年の総納車台数は2,087台、2007年では2,580台、2015年の年間世界販売台数が3,245台だった。
現在の正規輸入販売はアウディ・ジャパンの事業部として2001年に設立された「ランボルギーニ・ジャパン」(Automobili Lamborghini Japan、東京都・世田谷区)が行っている。ランボルギーニ・ジャパンの設立以降は本格的に正規ディーラー網を整備し、サービス品質の向上や全店統一CIの導入などにより、日本でのブランド再構築を進めている。

2006年の年間販売台数は、176台(統計資料、JAIA日本自動車輸入組合)。2007年3月には、ランボルギーニ大阪を経営する光岡自動車の顧客情報がインターネット上に公開されてしまう事件が起きた。
ちなみに、ランボルギーニトラクターも日本国内で販売されており、かつてフェラーリの輸入元であったコーンズの関連会社である株式会社コーンズエージーが販売を行っている。

エンブレムにちなみ、ほとんどが闘牛に関連した車名である。

かつては創業者のフェルッチオが「レースには出ない」ことを社是としていた。これは「当時のフェラーリがレースを本業として市販車はそのための資金稼ぎと位置づけ、ユーザーをないがしろにしていたことに対し反発したため」「フェルッチオの息子が反対を押し切る形でレースに夢中になっており、刺激しないため」「フェルッチオ自身がレース中の事故により大ケガを負った経験によるもの」など様々な説があったが、会社から正式なアナウンスは出ていない。

クライスラー傘下に入った後の1989年、ラルースチームへのエンジン供給の形で、F1グランプリ参戦を開始した。

1990年に、メキシコで結成されたチーム「グラスF1」向けにF1マシンを含めて製作を行っていた。エントリーが認められたものの、グラスF1設立を提言したメキシコ人の富豪が資金を持ち逃げしたこともあり、資金が底をつき参戦困難となった。これによる参戦キャンセルによる違約金支払を回避するために、ランボルギーニが実質的なワークス・チーム、モデナに再編成して参戦した。しかし、マウロ・フォルギエリが設計したマシンは時代遅れもはなはだしいもので、目立った成績をあげることはなく、同年に撤退した。エンジンのレイアウトはV12で、独特な高音の排気音であり、それについては同じV12エンジンを搭載したフェラーリへの評価を上回るものだった。

1993年にはエンジンを再設計し大幅にパワーアップ(親会社のクライスラー名義)、翌年のエンジン供給を考慮して、コスワースHBエンジンの非力さに苦しみ、ルノーエンジンに匹敵するパワーのあるエンジンを求めていたマクラーレンがテストを実施したものの、マクラーレンはプジョーとの提携を選び、この結果ランボルギーニはF1を去ることとなった。テストでステアリングを握ったのはミカ・ハッキネンで、同時に彼がランボルギーニエンジン搭載車の最後のドライバーとなっている。

なお鈴木亜久里が日本グランプリで日本人としてはじめて3位入賞を飾ったローラ・LC90もランボルギーニ製ユニットを搭載していた。
SUPER GTには、JLOC(Japan Lamborghini Owner's Club)より、全日本GT選手権の初期から参戦している。当初は漫画家の池沢さとしがドライバーを務めた。参戦時のマシンはカウンタックだったが、1995年~2004年にディアブロ、2004年からはムルシエラゴ、2007年からガヤルド、2016年からウラカンにて参戦している。これにランボルギーニも全面的に協力しており、このレースのためにディアブロ以降のマシンをワンオフ作成している。2005年からはGT300クラスにエントリーし2006年第1戦にて初優勝した。ランボルギーニがFIAの国際格式レースで優勝したのはこれが初めてのことだった。

ランボルギーニのレース部門である。各国のサーキットを転戦するワンメイクレース「ブランパン・スーパ-・トロフェオ」シリーズは、2009年にヨーロッパで始まり、2012年にはアジアで、翌年から北米でも開催されている。

同社の歴史的モデルに関するレストアや鑑定を行う部門として2015年春に新設。
記念すべき最初のプロジェクトでレストアされたのは、シャシーナンバー「4846」を与えられたグリーンの1971年式「ミウラSV」である。

ポロ・ストリコのアーカイブ専門部署。歴代モデルについて使用されたパーツやその技術に至るまで、全てをデジタル化しアーカイブしている。

2006年に開始され、2013年から規模を拡張。同社のモデルを個別にカスタマイズしたいという顧客に対応するスタジオである。
ランボルギーニ製造施設内に設置された同スタジオでは、新車購入時にカラーリングやインテリアトリムなどを思い通りに仕上げたいという顧客の要望に応えるため、エキスパートスタッフが個別対応する。