サブ3.5達成のために! あと1ヶ月後に控えたフルマラソンにて3時間半以内を目標にしています

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匿名さんからの質問

サブ3.5達成のために! あと1ヶ月後に控えたフルマラソンにて3時間半以内を目標にしています。 現在は ①15キロ走をキロ4分30秒 ②ハーフをキロ4分50分 ③30キロをキロ5分 上記の3つを練習メニューを 週を、①×2回、②、③を1回、週に4回程度練習してます。 最近は慣れてきたのもあり、もう少し強度をあげれるかな程度の運動強度になっています。 あと1ヶ月後のマラソンでサブ3.5達成のためにこの一ヶ月どの様な練習をして、どの様に過ごせば良いですか? マラソンまでは5週間後です。 よろしくお願いします。

はじめまして(でしょうか)。 その意欲を支援させていただきます。 さて本題。 現在の計画、かなり良いと思います(事実、当方の練習計画よりもきついです)。 但し、改善の余地があるのも確かです。 ※3時間ペース走 30kmペース走で十分だと思いますが、石橋を叩きます。その代わり、3時間ペース走は大会1ヶ月前に1回行うだけです。 当然、30kmペース走はもう行いません。 実際は違いますが、当方があなたの立場なら、ハーフの(又は15kmの)ペース走を行います。 そのハーフのペース走も大会2週間前で終わらせます。 >ハーフをキロ4分50分 無礼ご容赦を。 ・マラソン目標タイム=ハーフ・ベスト×2.06~2.2 が目安です。ですから、大会2週間前のものでは、100分未満でのゴールを目指すよう強く勧めます。そのために、必要なら、他の追い込みを緩めます。 話は続きます。 大会2週間前から、調整期間に入ります。 サブ3.5と目標が決まっています。5分/kmと近似できます。 ・週2日(~3日)、30分ペース走。速度は5分/km。大会1週間前からは、大会2日前+前日と続けるのが理想(特に、前日(土曜)では、昼間に実施。速度感覚が夜と昼とでは全然違う)。 ・週1日、60分ペース走。速度は5分/km。大会3日前のものが最終回。 目標は2つ。 ・疲労を完全に抜く。体調を10段階で評価するなら、体調10を(当日に)実現する。 ・速度5分/kmを体に習得させる。 後は、当方は採用していませんが、 ・カーボ・ローディング を大会前日の夕食に行うよう勧めます。 …当日の朝食?当方はおにぎり(=炭水化物)だけで軽く済ませます。 宜しいでしょうか。 当方で良ければ、追加でご質問を承ります。 うまくいきますように。

#半

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元巨人の菅原勝矢投手を知ってますか? 1974年 巨人・菅原が、十八日、退団届けを球団に出した。
三年前の阪神戦(札幌・円山)で左目に打球を受け、完治しかかった翌年に、今度は練習で同じ左目にタマを当てた。
二重の不運でとうとう、引退までに追い込まれたものだ。
「体には自信があるんですが、もうこれ以上苦しむのは・・・」と菅原。
今後の身の振り方は球団に一任することになったが、それにしても、直径約70㍉の小さな白球は、あまりにも菅原に非情な結果を招いた。
球団本部の応接室。
菅原は佐伯常務に医者からもらってきた診断書を差し出した。
その後、小声で「野球をやめます」とつけ足した。
言葉にすればたった一息だったが、この言葉をいうために、どれだけ苦しみ、悩んだかしれない。
「ときどき、夢を見るんですヨ。
マウンドで投げている姿を・・・」途中で目がさめて、何度もくちびるをかんだ。
順天堂病院に始まって慶應病院、東京労災、慈恵医大・・・。
人から「あの病院がいい」と聞くと、幾つもの病院を訪ねた。
しかし、どの病院でも「野球をやっているかぎり・・・」と冷たい宣告を受けた。
「ことしの夏ごろ、吐き気とめまいで一人で歩けなかった。
そのころ、もう野球はダメだとあきらめました」不運といえばあまりにも不運だった。
三年前の夏、札幌・円山球場で阪神・安藤の打球を左目に受けた。
そのままだったら、野球生命も断たれなかっただろう。
それが翌年、また左目・・・。
「二度目のタマが当たらなければ・・・」と菅原は嘆く。
視力は右目が1・5。
左目は裸眼で0・3。
なんとか視力は回復しているが、目につながっている神経を痛めたのが、引退につながった。
東京・阿佐谷の自宅には、美代子夫人と一粒種の真美ちゃん(三つ)がいる。
左目を痛めていらい、家族三人の苦しみが始まった。
「女房にどれだけ迷惑をかけたか・・。
こどもにパパお仕事は?と聞かれるのが一番辛かった」本もテレビも新聞も見られない二年半。
一時、左目が回復、ことしの宮崎キャンプで一軍入りしたとき、菅原は目にいっぱい涙をためて喜んだ。
しかし、それもほんのつかのまの喜びだった。
捕手の出すサインがダブって見えた。
そのことをコーチに内証にしていた。
どうしても、もう一度、マウンドにあがりたかったからだ。
「41年にサンケイ(現ヤクルト)戦で初先発、初完封をしたのが一番思い出に残っています。
三年前のあれがなければ」どうしても、一つのボールが頭から離れない。
プロ入り13勝をあげ、さあ、これからというときのアクシデントだからなおさらだ。
「今後の身の振り方は球団にお願いしてきました。
なんとくれると思うんですが・・・」球団側では正力オーナー、佐伯常務が話し合って、いまのところ球団職員で採用する予定だ。
選手契約でもらっていた年棒三百十万円(推定)も、十二月で切れる。
「給料のほどんどは治療費で消えました。
本当に神にすがりたい気持ちです」-。
引退届を出した菅原の言葉は弱々しかった。