元阪急の石井茂雄投手を知ってますか? 1965年 「これで20勝できたな」と四回、石川がホームを踏んだとき、ネット裏の伊勢川スコアラーはニンマリした

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匿名さんからの質問

元阪急の石井茂雄投手を知ってますか? 1965年 「これで20勝できたな」と四回、石川がホームを踏んだとき、ネット裏の伊勢川スコアラーはニンマリした。東京は小山。悪いできではない。まだ前半というのに伊勢川スコアラーは自信ありげにこういいきる。「スライダーがこんなにきわどいコースに、しかも角度をつけてきまれば打てっこないよ」石井茂の好、不調をみきわめるのにいつもスライダーのスピードと角度をみて決める。十二日の対西鉄戦(西宮)で三回KOされたときも伊勢川スコアラーは初回に「きょうのシゲ(石井茂)はだめだ」といったそうだ。だが、回が進むにつれて伊勢川スコアラーの顔が次第に緊張してきた。「スライダーがこれだけのびているんだ。直球ものびるはずだが、一球も使わない。おかしい」十球のうち七球までがスライダー。そしてあとはカーブ。昨年プロ入り初の20勝をあげるまでの六年間、下積み生活をつづけてきた石井茂のつきっきりだった伊勢川スコアラー(当時コーチ)。石井茂の顔色をみただけで好、不調がわかろうというものだ。伊勢川スコアラーが首をかしげたのもムリはない。試合前の練習で中指のツメを割った。「中指に力がはいらないのでまっすぐがどうしてもほうれない。苦しまぎれにスライダーを多く投げたが、小山さんに投げ勝てたのはコントロールがよかったからだな」オールスター後7連勝。西鉄戦(十二日)にKOされて、一度はつまづいたが、自分でも連続20勝は計算どおりだという。「きょうは涼しかったのでなんとかなったんだな。からだがだるくてしようがなかった」十七日、飛行機で上京した。台風24号の激しい集中豪雨でアパート住まい(西宮)の石井茂はほとんど寝ていない。「宮田さん(代表補佐)にきょう西宮のようすをきいてやっと落ちついたんだ。小さいこどもが二人いるし、アパート前はすぐ川だ・・・」レギュラー選手のほとんどが奥さんから朝、宿舎(本郷)に無事だという電話がはいった。「きょう先発するのは女房も知っているし、勝てば20勝ということもわかっているので、十時半に大家の家に電話することになっているんだ」と足早にバスに乗り込んでしまった。

石井茂雄投手 1978年 ・昭和33年、岡山県の郡部にある県立勝山高から阪急ブレーブスに入団。西鉄ライオンズ全盛時代に、当時は灰色カラ―といわれた阪急で下積みの苦労をした。3年目に2勝2敗と初めて勝ち星を残したが、その後も1勝1敗、4勝9敗と停滞ぎみのシーズンを送り、大きく開花したのは、ようやく6年目に入ってからだ。38年、西本監督を迎えた阪急で17勝の高成長ぶりを見せ、一躍、米田、梶本と並ぶエーストリオの一角を占めたのであった。翌39年には28勝をあげ、2位躍進の原動力となった。40年も21勝と、2年連続20勝台に乗せたが、この年チームはBクラスに転落し4位。シゲやんのエース時代も、ここで終わりを告げることになった。41年には10勝へと一気に後退した。負け数が13だから彼にとっては4シーズンぶりの負け越しだった。チームは42年から3年連続で優勝し、1年おいた46年からまた2年連続優勝を飾り、いわゆる阪急の第一期黄金時代をうたいあげるのだが、シゲやんの右腕はすでに疲れ切っていたのである。45年の16勝で、やや立ち直りを見せかけたが、あとは7勝、5勝と二けた勝利から遠ざかってしまう。転落のコースといってもいいだろう。エースから中堅級への後退だから、それはその通りなのだが、どっこいシゲやん、このあとの生きざまが他のエース体験者たちとは全く違っていたのだ。ほとんどの元エースたちが、低迷期の入口で肩やヒジを痛め精神的にも滅入り込んで、寂しくユニフォームに別れを告げることになっている。しかし、シゲやんこと石井茂雄投手の場合は一味違った。自らのピッチングが、もはや通用しなくなったことを悟った時に彼はためらいもなく「力」を捨て「技」を選んだのだ。47年に5勝したところで彼は住み慣れた阪急を元・エースにはふさわしくない金銭トレードで追われる。「ちょっとしたこと、例えばカッときてマウンドにグラブを投げつけてみたり、ベンチの中でふて腐れてみたりといったことが、監督やコーチに嫌われる原因になったようだ」とは阪急の某重役。とにかくシゲやんは48年に西鉄を買収してスタートを切った太平洋クラブ・ライオンズに「友情トレード」されている。阪急の15年間に投手としての精力を使い果たし、もはや10勝以上の勝ち星は残せないだろうと見られていた彼が、何と移籍した48年には、ノンプロに毛が生えた程度と酷評された打線をバックに12勝をマークする健闘をやってのけた。その後は登板数も年々減り、勝ち星も8,9、5,5,5勝と1ケタ台にとどまっているが、今シーズンは前期に東尾、山下らのお株を奪って7完投、3完封、無四球試合4と大いに健在ぶりを見せつけたものだ。180センチ、77キロの均整のとれた長身はプロ入り以来ほとんど増減なしで、ゼイ肉なしの理想的な投手体格をいまだに保っている。サイドハンドからのシンカー気味に落ちるシュートを決め球に、フワリと曲がり落ちるカーブと高めに伸びて横にすべるスライダーを混ぜ、これにスピードの変化をミックスするから、投球はイヤでも多彩になるわけだ。これで打者のタイミングを狂わせ読みの裏をかくのだから焦った相手打者は、まんまと彼の術中にはまり込んでしまう。勝ち星の割にシャットアウトが多いのも、そんなピッチングの特性を証明してるといえるだろう。タイトルは阪急時代に一度だけ勝率第1位投手になっただけで、むろんエースの立場もとっくに卒業してしまったのだが、いまだに一線級の実力を持ち続けている。元・阪神ー毎日で活躍した故・若林忠志投手が引退した42歳までは現役続行を目指し、「中4日の休養なら十分。一週間もあけないかんようになったら、その時は引退や」ともいい続けてきた男が、自らギブアップする前に球団から戦力外通告を受けてしまった。「本当にいいにくいのだが、来季の戦力構想にキミは入っていない」と気の毒そうに切り出す坂井代表に石井は静かにうなづいた。そしてひと言だけいった。「記録に区切りをつけてからやめたいので、拾ってくれるところを探してもらえないでしょうか」記録・700試合登板→あと10試合、 200勝→あと13勝。これが21年目のシーズンを終えたシゲやんの、たった一つの「注文」であった。なお、石井の退団が決まった11月25日、高垣、松岡、中島啓、吉田隆、吉野、米沢、丸川、ハンセン、川島の9選手もヒッソリと「最後通告」を受けた。中堅級を容赦なく放出して田淵、野村、古沢らのベテランを入団させ、他方では若返りと称してベテランを切る。人気と実力との奇妙な組み合わせを図る「新生・西武ライオンズ」の強烈なアラシの前には、さしもの長距離ピッチャーも無力であった。

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10月初旬に嫁と与那国島・宮古島ダイビング旅行行く予定です。
各島で2日間ダイビング予定。
飛行機や宿は取ったのですがダイブショップをまだ決めていません。
与那国島は海底遺跡狙いでショップはMさん予定(海底遺跡の体験DもありHPからは初心者顧客受け入れている印象受けたので)、宮古島はこれから情報収集です。
ダイビングレベルとしては、 2年前にOW取得して数か月に1回の旅行先で潜るペース、本数16本の初心者、今まで行ったのは慶良間、パラオ、プーケット。
嫁も同様レベル。
質問下記3点お答えいただけると幸いです。
①与那国の海底遺跡は体験Dでも行けるのを見て初級ポイントかと思ってたら知恵袋でも関連スレでは中級~上級向けという意見が多数で。
海底遺跡は初心者にはやはり厳しいのでしょうか?かといって与那国への飛行機は取ってしまったしで行くからには海底遺跡狙いなので、初心者が気を付ける点などあれば教えていただきたいです。
②まだそこまで見てないのですが、宮古島も初心者に厳しいポイントが多いようで少し心配、地形ポイントは初心者でも行けるのありますか? 魔王の宮殿、クロスホール、アントニオガウディ、通り池に興味があります。
またネットでパナタのGTの群れ画像見ていいなと思ったんですが、やっぱり大物系は流れ強めのハードポイントですよね、、 これらのポイントで初心者可能なのはどのくらいありますか? ③宮古島のショップで少人数制(1ガイド3-4名までとか)、初心者歓迎よというおすすめショップありますか? またHPなどネットから上級者歓迎店か、初心者も歓迎店か、区別する目安とかってありますでしょうか? 自身でネット見た感じでは、カラカラ先生いいかなと思いました。
またオープンゲートが圧倒的価格で惹かれたんですが、安いということは1ガイド当たりのゲスト数が多いから出せる値段なのでしょうか? それにしてはHP見てても体験Dやシュノーケルも押してたりで実際どうなのか分かりません。
(1ガイドに付きゲスト数が多めのチーム割りだから価格抑えられる、そうなるとセルフコントロール出来る上級者さんが集まってて初心者へのケアがどうなのか?という心配、ただ上級者歓迎のショップは体験DやシュノーケルはHP上で控え目なのにオープンゲートさんのHPは見ると体験とかシュノーケルなど歓迎っぽい作りだから実際のところ??、まあHPの作りの判断は私の独断に基づく予想なだけですが、、) ちなみに経験補足として、ロープ無し潜行、流れのあるポイントは今年2月にパラオのブルーホール、ブルーコーナー経験しました。
同船メンツは皆経験本数100以上~数百本で長年パラオ通いというツワモノ、そこに紛れ初心者私と嫁のみで同じポイント行ってました。
耳抜きや潜行では問題感じませんでしたが、流れの強いところで1度コントロール失いガイドさんに止めてもらう場面も、ただ我々2名にガイドさん1名専属で付いてくれてたので特に怖い経験も困る事も、また上級者の方に迷惑掛けることもなくでダイビング楽しめたので、その経験から1ガイド当たりのゲスト数と初心者慣れてるかどうかに重きを置いてショップ選びたいと思っています。
以上、長くなりましたがアドバイスいただければありがたいです。

みんなが知りたい質問

元近鉄の阿南準郎選手を知ってますか? 1968年 「カマちゃん、ここらでいっちょう年寄り同士で勝負を決めようじゃないか」阿南は鎌田にささやいたという。
鎌田は一、三球目にバントをやり、わざとファウルにして十イニング目にはいった池永をじらした。
そのあと三遊間を破ったが「あまり打てそうな気がしなかったので意地悪をした」のだそうだ。
三十路の鎌田と三十一の阿南の呼吸がここで合う。
「シュートのかけそこないみたいだった。
内角のいい球だったよ」阿南の左中間を抜いた打球で鎌田がかえった。
いま一つ見のがせないのは一塁の岩本コーチのところに一球目がきたあと足を運んだこと。
「いや、なんでもなかったんだ。
池永にポンポンと投げさせたくなかったからね」池永は合計六十一歳のベテラン二人の知恵にやられたともいえる。
この阿南、このところフル回転だ。
遊撃の安井がケガ(左手首打撲)しているので本職の三塁を若手に譲って遊撃をやったり、二塁の守備にもつく。
一週間に七試合やるようなハード・スケジュールではフル出場は四回ぐらい、と三原監督がいったこともあるのに、年齢を忘れたような活躍ぶり。
「疲れないといったらウソになる。
チームの調子が悪いときなんで、いけるとこまでいくよ」とめがね越しに笑う。
プロ野球の選手には珍しく趣味は読書。
移動の汽車や飛行機の中では静かに本を広げる。
石川達三のファンだそうだ。
チームの状態を分析してこういった。
「集中打が出ないのが苦戦の原因やね。
ヒットが途切れるということは本調子ではない証拠だ。
最低のときになんとかこうして勝っているのだから、これからは徐々にのぼり調子になっていくだろう」そうすれば10連勝ぐらいまででもいけるだろうと冗談。
昨年までとの違いは負けたときの気持ちだそうだ。
「去年は、ああ負けたか、でみんな終わりだった。
ところがことしは負けたときのくやしさを、あすの勝利のために生かそうとみんな真剣だよ」若い力がつまずいているいま、ベテランの活躍で勝った意味は大きい。
「たまにこんなこともないと・・。
だってぼくはまだ三十一歳の若さなんだから、これからまだひとあばれしようと思っているくらいだもん」優勝出来るかどうか、の質問には「そんなことに答える時期じゃない」とあっさりいったが「残り五十試合ぐらいを、とにかく全力でやっている」と結んだ。