1963年5月24日東京でザ・デストロイヤーは力道山の挑戦 を受けて両者レフェリーストップ引き分けでデストロイヤーは WWA世界ヘビー級王座を防衛しておりますが

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匿名さんからの質問

1963年5月24日東京でザ・デストロイヤーは力道山の挑戦 を受けて両者レフェリーストップ引き分けでデストロイヤーは WWA世界ヘビー級王座を防衛しておりますが、同年5月10日 にデストロイヤーはフレッド・ブラッシーに敗れてWWA世界王座 を奪取されておりますが、激録・力道山という単行本には1963 年6月14日にロサンゼルスでデストロイヤーはブラッシーに負け て11ヵ月ぶりにWWA世界タイトルを奪還されたと書いてあるので すが、どういう事ですか どう思われますか? 詳しく説明して下さい 1962年7月26日ロサンゼルスでデストロイヤーはブラッシーを破り 史上初の覆面WWA世界チャンピオンになって11ヶ月ぶりに同王座 を奪われたそうですが、どう想いますか??

まず、1963年5月17日 東京体育館で行われた「第5回ワールドリーグ戦」の優勝決定戦から掘り下げねばなりません。 同リーグ戦4連覇中で、シード扱いとなった力道山と、リーグ戦を勝ち上がってきたキラー・コワルスキーの2人によって優勝決定戦が行われようとしていました。 この試合前、あるゲストが、決戦を行う2人を激励するためにリングに上がりました。 そのゲストは誰であろうザ・デストロイヤーその人です。 実はワールドリーグ戦が終えてからの5月24日に、力道山はWWA認定世界ヘビー級のタイトルに挑戦する事が予め決定済みでした。 ワールドリーグ戦の千秋楽に、これが初来日であるデストロイヤーがファンの前に姿を現し、神秘のベールを脱ぐ…という段取りだったのでしょう。 力道山時代に日本プロレスには、ミスターX(ビッグ・ビル・ミラー)やミスター・アトミックのように反則・凶悪ファイトにあけくれる覆面レスラーがいました。 が、デストロイヤーは何やら複雑難解な足殺し技を使う…とウワサされており、ファンも好奇の目でデストロイヤーに視線を向けていました。 「果たして、デストロイヤーは実力者なのか?」 「足殺し技とはいかなるものなのか?」 デストロイヤーはまず力道山に握手を求め、力道山は鋭く睨みつけながらも握手に応じました。 次にコワルスキーに握手を求めるのですが…ここでハプニングが起こります。 突如、デストロイヤーがコワルスキーの横っ面をビンタで張ったのです。 コワルスキーは「耳そぎ伝説」が語り草となるほどの全米で恐れられたトップレスラーの1人。 そのコワルスキーの顔を張るという大胆不敵さをデストロイヤーは大観衆に見せ付けたのです。 逆上したコワルスキーがデストロイヤーに掴みかかろうとしますが、デストロイヤーは全く意に介さず、悠々とリングを降りてしまいました。 これで観客は「あのコワルスキー相手に格負けしない、いやむしろ上回っている。こりゃトンデモナイ相手だぞ…!」と、後日に行われるタイトルマッチへ向けての興味と、力道山がやられるかもしれない、という危機感を抱いたのです。 …しかし、観客は知らないでいました。 実は5月10日付でデストロイヤーはフレッド・ブラッシーに敗れ、WWA王座から陥落した状態で初来日を果たしていた事を。 これではタイトルマッチを戦えないはずなのですが… 当時は米国発のニュースが日本に伝えられるまでにとにかく日数がかかる時代でした。 日本プロレスとしてはワールドリーグ戦の興奮も覚めやらぬうちに、力道山のWWA王座返り咲きを実現させるべく、デストロイヤーの招聘に成功しタイトルマッチを行う予定でした。 しかし、残念ながらデストロイヤーは王座を失ってしまったので予定が狂ってしまいました。 そこで日本プロレスは今の時代なら絶対に考えられない事を実行に移します。 米国発のニュースが伝わるまで時間がかかる事を利用して、「デストロイヤーはWWA王者という事にして」そのまま予定通りに来日させてしまったのです。 (王者ブラッシーは本国でのスケジュールの都合があってか、デストロイヤーの代わりに来日する事が叶いませんでした) こうして5月24日にデストロイヤーと力道山による「本当はノンタイトルな」WWAタイトルマッチが強行されました。 この試合はご存知の方も多いでしょう。 日本プロレス史における不屈の名勝負として今もなお語り継がれるほどの激闘となりました。 今となっては、実はWWA王座が賭けられてない試合とわかってしまいましたが、 当時はリング上で行われる事だけが「真実」だった時代。 力道山とデストロイヤーは、本当はノンタイトルでもタイトルマッチ以上の大熱狂を巻き起こす大仕事をこなしたのです。 ちなみに、デストロイヤーがコワルスキーの顔を張った事件も、実は裏話がありました。 コワルスキーがデストロイヤーに「ふん! ロス地区のローカルチャンピオン風情が…」と見下したのでデストロイヤーが怒ってビンタした、というのが通説だったのですが… コワルスキーが逝去した時、その死を悼んでデストロイヤーが深い感謝の言葉と、そしてあの事件の真相を語ったのです。 「私はコワルスキーに感謝しても感謝しきれない。私が日本で有名になれたのもコワルスキーの機転のおかげだった。コワルスキーは私に「顔を張れ!」と小声でささやいた。 最初はなぜ?とも思ったが、コワルスキーの指示に従って顔を張った。顔を張るだけで観客の目の色が変わったのを見逃さなかった。それが後日のタイトルマッチで、もの凄い試合へと繋がったんだ」 コワルスキーは後日、大一番を迎えるデストロイヤーのために、アドリブを利かせて試合が盛り上がる仕掛けを打ったのです。 (デストロイヤーの人気は、コワルスキーによって決定付けられたといっても過言ではありません) カラクリがわかってしまうと「なぁんだ」となってしまうんですが、 いくらウソのタイトルマッチであったとしても、デストロイヤーの株が上がったのはコワルスキーの機転のおかげだとしても… 5月24日の力道山vsデストロイヤーが日本プロレス史上、名勝負の1つとなったのは間違いありません。 ワタシたちファンにとっては、たとえバックステージでいろいろ作為的な要素が渦巻いてたとしても…力道山の回顧録にウソがあったとしても…リング上で行われた素晴らしい試合をそのまま事実として受け止める方が、幸せなのではと思いますし、それを裏付ける試合が、力道山vsデストロイヤー戦だったのだと思います。

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元巨人の川端英文選手を知ってますか? 1963年 「これで巨人の選手? うそだあい」小さな子供までが信用しないそうだ。
無理もない。
昭和二十三年三月生まれの川端英文君(15)。
面長の顔がまだあどけない少年だ。
身長はあっても(1㍍78)体重はまだまだ(67㌔)。
「十日に一度は必ずはかってみるんですが・・」なかなかふえないのが悩みだという。
茶畑と温泉の町、伊東南中学を卒業したばかり。
野球を本格的にやりだしたのも中学にはいってからだった。
「ピッチャーをやらせて下さい」となんども先生に頼んだが、バッティングにほれられたおかげでダメ。
三年生になったときは不動の四番でセンターを守っていた。
これがちょうど近くの稲取に静養にきていた巨人・荒川コーチの目にとまった。
昨年十二月のこと。
同コーチは地元の知人のすすめもあってさっそく旅館であってみた。
「雨が降っていたんでテストは部屋の中でした。
素振りとピッチング・フォームをやってみせました」外野手のくせに堂々とシャドー・ピッチングをやったというから相当心臓は強い。
「どうしても投手になりたかったから」と理由は単純だ。
その度胸が認められたのかも知れない。
合宿にころがりこんだのは三月末。
七時半起床。
朝のランニングはみんなといっしょだが午前中の自由時間は学校の予習復習が待っている。
近くの東京高校定時制へ通っているからだ。
午後からの練習もきついが現在はまだお手伝いさん的存在。
ボールを集めたりバットを整理したり。
しかし楽しみもある。
「毎日三百球ブルペンで投げさせてもらえるんです」二日は来あわせた中尾コーチがつきっきりでみてくれた。
まだ欠点だらけ。
「女子野球にもノックアウトされるだろう」(武宮コーチ)だれもが笑って認めている。
川端君も「いまはからだづくりの最中。
しかたないですよ」と頭をかいているが「三年後には巨人の選手になれるかどうかをはっきりきめる」この荒川コーチのことばを胸にしまって、根気よくからだづくりにはげんでいる。

みんなが知りたい質問

10月3日に外国人の友達と日光に旅行に行く事になったペーパードライバーです。
友達は帰国してしまうので、最後の日本旅行です。
レンタカーにしようかバスにしようか迷っています。
先輩ドライバ ーの皆さん色々アドバイスを頂けると嬉しいです。
(質問者の情報) 質問者:免許を取ってから10年近く車の運転を一度もしたことがない。
標識や交通ルールなど基本情報であればわかる。
ペーパーなのでゴールド免許です。
同行者:日本語が得意なスェーデン人。
自分の国では1年前までに車で仕事に通っていた。
日本車、日本国内での運転経験はなし。
今からでも間に合うようであれば日本国籍の免許に切り替える事を検討したいといっている。
旅行する場所:日光周辺 (質問1) 今からでも、10月3日に間に合うように外国籍の運転免許を日本の免許に変える事は出来るでしょうか?在住は東京都内です (質問2) ペーパードライバーの教習を受ける場合、都内で安くておすすめな所を教えて下さい。
安ければ安いほど助かります。
(質問3) レンタカーは初心者でも貸してもらえるのでしょうか?また、若葉マークも貸してもらえるのでしょうか? (質問4) 日光周辺は運転初心者でも、大丈夫でしょうか?(もし、初心者には向かない、運転しづらい道路などがあれば教えて下さい) 楽しい旅行にしたいので、是非アドバイスを下さい。
よろしくお願いいたします

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元ヤクルトの渡辺孝博投手を知ってますか? 1968年 「社会人の藤原(鐘紡)岡田(松下電器)大学の星野(明大)高校の池田(平安)島野(武相)あたりが実力、人気からみたことしのAクラス投手。
渡辺はそのつぎのクラスだろう」(中日・田村スカウト)と評価されているが、ドラフト会議では投手株が人気を呼ぶだけに、10勝以下のクジを引いて第一志望投手を他球団にさらわれた球団が渡辺を指名する可能性が強い。
しかし、プロ入りへの障害をこれほど多くかかえた選手もいないだろう。
普通の人より白血球が少ない貧血性体質。
増血剤を常用しているが、長いシーズンをのりきるスタミナの不安がつきまとう。
高校二年、大学二年と三年おきに大きな貧血に見舞われた。
もっとも、これは「成長期におこりがちなアンバランスで、こんごはそんなに心配しなくてもよいという医師もいる」(父親・秀二氏)そうだが・・・。
渡辺家が身のふり方を一任している東海大・岩田監督は「首都大学リーグ出身のプロ野球選手第一号として送り出したい気持ちは山々だが、からだのことを考えるとシーズンが長く競争の激しいプロの世界はどうしてもするめる気になれない」という。
そんなわけで、岩田監督の明大時代の先輩・迫畑正巳氏(元大洋監督)が監督をしている日立製作所への就職は、春の優勝祝賀会に迫畑氏が上京した際「渡辺を頼みます」「喜んで引き受けよう」とスムーズに話し合いができている。
東海大の日立への一泊遠征は恒例になっており、今春卒業した大型捕手内田が日立製作所に入社するなど両チームはいわば親類づき合い。
日立の投手陣は村井(明大)が峠を越しており、昨年入社が内定した小谷投手(国学大)を大洋にさらわれたいきさつもあるだけに、岩田監督は東海大・松前重義総長(衆議院議員)の了承も得て「渡辺は日立製作所へ就職」の方針をことあるたびに言明し、PRしてきた。
メリヤス製造販売の武蔵工業社長の長男で、弟一人と家庭環境にもプロ入りを迫られる材料は見当たらない。
渡辺が脚光を浴びたのはことし六月の大学選手権だった。
二回戦で第二球場の東海大のゲームを見にゆくスカウトの姿が目立った。
ところが、いちばん熱心だった巨人が夏以後に新浦、松原両投手を獲得したうえ「春夏はいいが、秋には調子が落ちる」(渡辺)のを確かめた結果「球威の点でものたりない」(前川スカウト担当)と積極的な動きをやめてしまった。
岩田監督を神奈川県相模原市の合宿にたずねて、意向打診をかねてあいさつをした中日・塚越、大洋・入谷両スカウトも「プロ入りさせない事情」をきかされて、その後は表立った動きを控えている。
中日は同じ横手投げの小川がいて、指名第一には本格派の星野が有力、山下、木原の同型投手をもつ大洋も、昨年まで岡投手(40年)松岡内野手(41年)小谷投手(42年)とトップに大物をあげたことがなかったが、ことしはオーナー命令で超一流クラスをねらうため「どうしても渡辺を・・・」とマトをしぼれないことも両スカウトの動きにブレーキをかけたようだ。
パ・リーグでは優勝チーム阪急が横手、下手投げに弱いこともあって渡辺への関心は高い。
神宮大会の対東都戦をみて塚本(東映)城島、渡辺(西鉄)白川(東京)の各スカウトは「すぐに使える」と口をそろえていた。
南海・堀井スカウトには東海大野球部三年のオイを通して渡辺の体力面、家庭環境、チーム事情などが耳にはいっているが、同スカウトは「即戦力としてほしい投手。
が、あきらめたわけではないがプロ入りしないような感じだ」と悲観的な見方をする。
パ・リーグ球団にしても、何がなんでも渡辺というわけではなく「日立入社が決まっている」といううわさをきいて、直接的な活動には二の足をふんでいる段階だ。
学校側の打ち出した就職の線が異常に強く、これをくずせるきめ手を持つ球団がいまのところないだけに、指名しても昨年の藤原、三輪田の二の舞となる可能性が強いが「本当の交渉は指名後にするものだ。
オーナー総長の頂上会談という手もある」(在京球団・某スカウト)の声があるので、指名球団がどんな政治力を発揮するか、ことしのドラフト戦線でも注目されるケースになりそうだ。
1㍍75、68㌔、右投右打、八王子工出、文学部四年。