トヨタカローラレビン1.6 GTアペックスの評判・スペック

トヨタカローラレビン 1.6 GTアペックスの燃費・価格・馬力・歴代モデルなど基本スペックを全て調べることができます😏


ストーリー動画で見る

ストーリーならサクサク動画感覚でカローラレビンの情報を見ることができます!


トヨタ カローラレビン 1.6 GTアペックス

カローラレビンのフロント外観(87年(S62)5月、FMC時の1.6 GTアペックスのフロント)

カローラレビンのリア外観(87年(S62)5月、FMC時の1.6 GTのリア)

カローラレビンの内装・インパネ(87年(S62)5月、FMC時の1.6 GTのリア)

メーカー トヨタ
車種 カローラレビン
グレード 1.6 GTアペックス
販売期間 1987年05月から 1988年04月
価格 1,671,000円
エンジン エンジン: 直列4気筒DOHC
排気量: 1587cc
型式: E-AE92
馬力: 120ps
トルク: 14.5/5200
ミッション: 5MT バッテリー: 標 準:34B19L 寒冷地:46B24L
タイヤ 前輪: 185/60R14
後輪: 185/60R14
ホイールサイズ: (F)5.5Jx14+45/(R)5.5Jx14+45
駆動: FF
最小回転: 4.9m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): -km/L
燃料: レギュラー
実燃費: から
ボディサイズ 高さ: 1300 車幅: 1665 全長: 4245
乗車定員 5人
評価・レビュー 外観: 0点
内観: 0点
スペック: 0点
エンジン: 0点
乗り心地: 0点
燃費: 0点
価格: 0点
中古車 3台
買取価格相場
車を売る

トヨタカローラレビンとは

トヨタが生み出したカローラレビンは、コンパクトカーの中でも熱狂的なファンを持つ人気車種である。製造されたのは1980年代から1990年代初頭で、そのシンプルでスポーティなデザインが多くの車好きを魅了し続けている。価格帯も手頃でありながら、その走りの質は高く、多くのユーザーから支持を受けている。 カローラレビンはスポーティな外観と共に、様々なグレード展開がなされた。中でも人気の高かったグレードには、GT、GT-APEX、GTV、BZ-Rなどがあり、それぞれに特徴が見られる。排気量は1.6リットルや1.8リットルのエンジンを搭載し、馬力も十分なものがある。燃費性能も優れており、スポーツカーとしての走りと実用性を両立した魅力を持っている。 特にカローラレビンが人気を集める理由の一つは、その運転フィールにある。レスポンスの良い操舵性やしっかりとした足回り、適度な剛性感が、運転する楽しさをさらに引き出している。また、当時のラリーカーとしての活躍も記憶に新しいことから、そのスポーティーなイメージが強固なものとなっている。 カローラレビンはタイヤサイズも適切に設計されており、走行安定性や乗り心地にも配慮されている。燃費性能も高く、スポーツカーとしては珍しい燃費の良さが利点となっている。そのバランスの取れた性能が、長年愛され続ける理由の一つと言えるだろう。 トヨタのカローラレビンは、走りの楽しさと実用性を兼ね備えたスポーツカーとして、多くの車好きから支持され続けている。その熱狂的なファンが多い背景には、トヨタの確かな技術とデザインの魅力が存分に詰まっている。カローラレビンは、単なる乗り物ではなく、ドライビングエンジョイメントの一部として、今もなお多くの愛好家に愛され続けている。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式E-AE92
最小回転半径4.9m
駆動方式FF
全長×全幅×全高4.25m×1.67m×1.3m
ドア数2
ホイールベース2.43m
ミッション5MT
前トレッド/後トレッド1.45m/1.43m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)1.71m×1.38m×1.09m
4WS-
車両重量1030kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員5名
車両総重量1305kg
ミッション位置フロア
最低地上高0.15m
マニュアルモード-
標準色スーパーホワイトII、スーパーレッドII、グレーメタリック
オプション色ミスティックシャドートーニング、シューティングトーニング
掲載コメント※このクルマの燃費は発売当時の資料により、10モードの数値を表示しております。燃費=12.2km/l
エンジン型式4A-GE
環境対策エンジン-
種類直列4気筒DOHC
使用燃料レギュラー
過給器-
燃料タンク容量50リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量1587cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力120ps
最大トルク/回転数kg・m/rpm14.5/5200
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ△
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ-
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー△
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール△
UVカットガラス-
片側スライドドア-
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ストラット式
サスペンション形式後ストラット式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前185/60R14
タイヤサイズ後185/60R14
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ディスク式
ソナー-
駐車支援システム-
センターデフロック-
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー-
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシート-
ランフラットタイヤ-
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム-
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート△
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC-
フロント両席パワーシート-

他の車種一覧やトヨタの別グレードを探すことができます。

トヨタ カローラレビンの知っておきたい情報

トヨタとは?
カローラレビンとは?

クリックで世界最大の辞書データベース「wikipedia」に記載されている「 トヨタ カローラレビン」の最新情報が見れます。

トヨタカローラレビンの新車情報

トヨタカローラレビンの最新情報まとめ

トヨタ・カローラレビン

トヨタ・カローラレビン

カローラレビン (COROLLA LEVIN) は、トヨタ自動車がかつて生産販売していた1,600ccクラスの小型クーペで、カローラセダンをベースとしていた。スプリンタートレノと車台はもちろん、内外装部品のほとんどを共用する姉妹車である。
無類のラリー好きであった久保地理介(後のトヨタ自動車副社長)が「セリカの2T-Gエンジンをカローラに積みたい」と言ったことから開発がスタートした。
1972年3月に登場。カローラレビンは、カローラクーペの「SL」や「SR」よりスポーティな「ホットモデル」として登場した。当時は「普通の」カローラにもクーペモデルが存在したため、ボディタイプでの区別ではなく高性能バージョンとしての位置づけであった。カローラクーペとは、FRP製オーバーフェンダー(生産時期によっては金属製のものもある)の有無で区別できる。エンジンは上位車種ではあるが、成り立ちはカローラ派生の、セリカ1600GTから移植された2T-G型 1.6L DOHCエンジンが搭載された。正確にいえば、レギュラーガソリン仕様の2T-GR型 (110ps) と有鉛ハイオクガソリン仕様の2T-G型(115ps:グロス値)が設定されていた。1973年4月のマイナーチェンジの際に追加された「レビンJ」には、ツインキャブの2T-B型 1.6L OHVエンジン(105ps:グロス値)および、そのレギュラーガソリン仕様にあたる2T-BR型 1.6L OHVエンジン(100ps:グロス値)がそれぞれ搭載されていた。「J」は「ジュニア」の頭文字で、アルファロメオ・ジュリアなどにならったもの。スプリンタートレノにも同様のモデルが設定された。

1974年4月、レビンとして初めてのフルモデルチェンジ。この時期、カローラレビンはTE37型、スプリンタートレノはTE47型を名乗ることになる。レビンはトレノとは異なり、2ドアハードトップボディが与えられ、外観的にはトレノとは全くの別物となった。車両重量が約50kg増加し、TE27型のような強いスポーツ性は失われた。また、キャブレター仕様である2T-G / 2T-GR型エンジンが昭和50年排出ガス規制をクリアすることができず、やむなく生産中止が決定された。その年の11月にトレノとともに製造打ち切りとなり、わずか256台の製造という短命に終わった。販売台数が少ない特性上、いわゆる旧車としてレストアされている例はごく稀である。

レビンのみフルモデルチェンジに相当するかたちで、1977年1月にトレノと共に復活した。マイナーチェンジ時に、カローラにクーペシリーズが、スプリンターにはハードトップが追加されたこともあり、先代同様にトレノとボディを共用する事でコストダウンを行い、別ボディ採用(スプリンター系のボディに一本化)を取り止めた。排気ガス規制は、キャブレター方式から電子制御燃料噴射(EFI)と酸化触媒を使うことで、2T-G型エンジンを昭和51年排出ガス規制に適合させることに成功し、同エンジンの生産が再度可能になった。この後期型よりレビンは、TE51型、スプリンタートレノはTE61型の型式を採用した。追加モデルの「カローラリフトバック」と共通ボディでもある。1978年4月、三元触媒とOセンサーにより、昭和53年排出ガス規制をクリア。この時期より型式がレビンはTE55型に、スプリンタートレノはTE65型に変更された。外観上の違いは、ほとんど変わらない。

1979年3月にフルモデルチェンジ。2T-GEU型エンジンが搭載されたカローラのボディは、ノッチバックの2ドアハードトップ、2種類の3ドアハッチバック(ハッチバッククーペとリフトバック)及び4ドアセダンの4タイプ。この内「レビン」の名が冠されたのは3ドアハッチバックの2T-GEU型搭載モデルのみで、4ドアセダンと2ドアハードトップ、リフトバックの2T-GEU型搭載モデルは、単に「GT」と名付けられた。1981年8月のマイナーチェンジで後期型に。燃焼室が多球孔式に改められ、スーパーハードサスペンションとLSDを装着、スチールバンパーやその他装備の見直しで車重を軽くしたモータースポーツベース車両の「レビンS」と、脱着式サンルーフ、ミシュラン製タイヤを装備した「レビンAPEX」が追加されている。

1983年5月、フルモデルチェンジ。E80系カローラおよびスプリンターのセダン、ハッチバックはこの時代にFFレイアウトに移行したが、カローラ・スプリンターの全シリーズをFFに移行するには様々な問題があったことから、カローラレビン・スプリンタートレノ(及びワゴン・バン)の車台は先代TE71型のものを流用し、FRのままとなっている。ボディタイプは2ドア、3ドアの2種。また、このモデルから搭載エンジンに関係なく、全てのカローラクーペと3ドアハッチバックの車名が「カローラレビン」に統一された。

カローラレビンとして最後のFRであり、「ハチロク」の愛称で親しまれている。このモデルから2T-GEU型に替わり、4A-GEU型(レーザーα 4Aツインカム16)1.6L DOHC16バルブエンジンが搭載された。4A-GEU型は3A-U型 1.5L SOHCエンジンをベースに4バルブDOHC化したもので、130ps(グロス値、ネット値110.5ps相当)であった。上級グレードのGT APEXにはレビン初のパワーステアリングやパワーウインドウ、ECT-S 4速AT(1985年~、GTVを除く)仕様も追加された。1983年、84年前期、中期GT APEXには「エアロダイナミックグリル」を装備し、水温を感知しグリルが開閉するようになっていた。1985年後期はGT APEXにはフォグランプ内蔵フロントグリルを装備した。北米では、COROLLA SPORT (カローラスポーツ、グレードはSR5とGT−Sの2種)として販売されていたが、ヘッドライトがスプリンタートレノに似たリトラクタブルヘッドライトだった。また、AE86型には北米仕様のみ4A-C型 1.6L SOHC8バルブエンジンを搭載した廉価モデルも存在していた。ツーリングカーレースでも活躍し、スポーツランドSUGOでのグループA車両による全日本ツーリングカー選手権(JTC)のデビュー戦で優勝している。

AE86型の廉価版モデルで、通称は「ハチゴー」。AE70型よりキャリーオーバーした3A-U型 1,500cc SOHCエンジン搭載モデルである。ボディタイプは3ドアクーペが「SR」、2ドアクーペは「SE・ライム・GL」のグレードがあり、全てのグレードでATが選択出来た。また、マイナーチェンジ後の「SR」は、スポーツパッケージを選択することでツートンカラーやスポイラーをオプション装着することができた。

AE86型と異なり、激しいスポーツ走行をするドライバーが少なかったことからボディの状態がよい車両が多かったため、エンジンを4A-GEUへ換装するなどを行いAE86型相当の性能を持たせた、いわゆるAE85改86のベース車としても利用されることがある。

1987年5月、フルモデルチェンジ。このモデルからFF化され、ボディタイプも3ドアクーペを廃止し、2ドアに1本化された。当時ヒットしていた同社のソアラ(2代目)のデザインを取り入れたため「ミニソアラ」とも称された。ソアラは高くて買えないが、レビンなら買えるという若者たちの間で大ヒットとなり、折からのバブル景気の影響そして、S13シルビアやBA4.5プレリュードなどと共に「デートカー」として、歴代モデル中最も販売台数の多いモデルとなった。

FF化も販売面では功を奏し、レビンとしては未曾有の販売台数を記録した。しかし、台数の多さゆえに早期から値崩れを起こし、さらに1990年代後半になるとZ20系ソアラ、A70系スープラの中古車市場での値安化も追い討ちを掛け、また、1998年末から1999年初頭にかけて発生した伝言ダイヤル事件にて犯人が所有していた車両として前期型のGT-Zが新聞などにて報道された影響からか、下取りに入った車両は同型のカローラセダンおよびカローラFX同様、多くの個体が並行輸出またはそのまま廃車解体されることとなった。そのため「最後のFR」であるAE86の人気・個体数と比べ、残存する個体も少なく、時を経ても顧みられることが少ないこのモデルの存在は、まさに「バブル」そのものとも言える。

通称「キューニー」。登場時の4A-GE型は120ps(ネット値)。89年5月のマイナーチェンジで大幅に改良が加えられハイオクガソリン指定となり、同エンジンは140psとなった。GT APEXには、クラス初となる電子制御サスペンションTEMSが前期後期共に標準装備だった。また、このモデルからスーパーチャージャーを装備した4A-GZE型エンジン搭載の「GT-Z」が登場。4A-GZE型は前期型で145ps、後期型でこちらもハイオクガソリン指定となり、165psを発生した。これは、当時のB16Aの160psを上回る数値で、1.6Lクラスの最高出力を誇っていた。

量販グレードであるAE91型には5A-F型(キャブレター仕様)1.5L ハイメカツインカム(ギア駆動による狭角DOHC)85psエンジンが搭載された。EFI装着の5A-FE型は94ps。後期型に追加された5A-FHE型は105psまで高められた。

1991年6月、フルモデルチェンジ。通称「トイチ」もしくは「ひゃくいち」。バブル期に開発されたモデルゆえにボディは大きく重くなり、コンパクトスポーツモデルとしての魅力を削ぐ結果となった。4A-GE型エンジンはVVT(非連続可変バルブタイミング機構でVVT-iの前身にあたる)を吸気側カムシャフトに装備し、1気筒あたり5バルブとし20バルブ化された。また、このクラスの市販車では珍しく、純正で4連スロットルを装備し、出力は160ps/7,400rpmとなった。ただし、スーパーチャージャー付きの4A-GZE型(170ps/6,400rpm)は、これまで通り16バルブのままだが細部の見直しを行っている。先代のZSに相当するグレードがSJとして設定された。エンジンは4A-FE型である。

スーパーストラットサスペンションがGT APEX(オプション)、GT-Z(標準装備)に設定された。なお、GT-ZにはビスカスLSDが標準装備されている。またスーパーストラットサスペンションを装備していないGT APEXには、電子制御サスペンションのTEMS(上下G感応式)がオプション設定された。

廉価グレードのSに搭載された5A-FE型は105ps/6,000rpmに達する。

1995年6月、フルモデルチェンジ。呼称は「ピンゾロ」「ゾロメ」「イチイチイチ」「ひゃくじゅういち」「ワンイレブン」。スポーツグレードには通称「黒ヘッド」と呼ばれる4A-GE型エンジンを搭載する。エンジン制御方式はエアフローメーターを使用するLジェトロからAE92型以来のDジェトロ方式に戻り、4連スロットル径の拡大、燃焼室の形状の変更などの改良により、出力は165psに向上した。プラットフォームは変更されず、スーパーストラットサスペンションも先代より引き継がれたが、ボディは前モデルに比べ最大70kg軽量化され、走りのパフォーマンスは向上した。しかし、バブル崩壊後の時期に設計された影響からか、初期モデルでは前モデルより車内の内装が見劣りすることが不評で、後期モデルでは内装が主に改良された。

このモデルからスーパーチャージャー付のグレードは廃止され、グレード構成もそれまでのGT系に代わり、新たにBZ系と呼ばれるようになった。これまでのGT APEXに代わる、装備を充実したグレードはBZ-Gとなり、装備を抑え走行性能を重視したグレードはBZ-Vとなる。スーパーストラットサスペンションはBZ-Vに標準、BZ-Gにオプションとなっている。スーパーストラットサスペンションを装備するMT車には、195/55R15タイヤと大径ブレーキ、日本のFF車では初となるヘリカルLSDが標準装備となる。このほか、ハイメカツインカムを搭載するベーシックグレードでは、4A-FE型1.6Lエンジンを搭載するモデルはXZ、5A-FE型1.5Lエンジンを搭載するモデルはFZ(型式名はAE110)となった。
1995年12月、FZをベースとした特別仕様車FZリミテッドが設定された。運転席エアバッグ、専用ステアリングホイール、ストップランプ付リヤスポイラー、UVカットドアガラスが特別装備され、専用ボディカラーであるライトマリンブルーマイカメタリックが設定された。

1996年5月、一部改良が行われた。全車にこれまでメーカーオプションだった運転席エアバッグ・ABSが標準装備された。

1996年12月、FZとXZをベースとした特別仕様車FZリミテッド・XZリミテッドを設定。助手席エアバッグ、ストップランプ付リヤスポイラー、電動格納式リモコンカラードドアミラー、ワイヤレスドアロックリモートコントロールが特別装備された。

1997年4月のマイナーチェンジでは、BZ系に自社開発6速MTが採用され、衝突安全ボディ「GOA」の採用によりボディー剛性が向上し、重量はやや重くなった。また、グレード名称が一部変更され、BZ-Gにスーパーストラットサスペンションが装着されたものがBZ-R、それまでのBZ-Vは「BZ-R V仕様」と改称された。

1998年4月 一部改良が行われた。BZ-Rにプライバシーガラスが標準装備(V仕様には設定なし)となり、全車に助手席シートベルト締め忘れ警告灯が標準装備となった。また、ボディーカラーが一部変更された。

その後、折からのクーペを含むスペシャルティカーの販売不振のため、2000年8月でカローラシリーズ(セダン・ワゴン)の9代目(E120型系)へのモデルチェンジを機に、姉妹車のトレノを含むスプリンターシリーズ(ワゴン、バン除く)とともに販売終了となり、モデル消滅となった。これによりレビン・トレノは国内では28年の歴史に終止符を打った。車種体系が整理・統合され、結果的に7代目セリカ(T230型系)が販売上(事実上)の代替車種となった。

初代のTE27型が登場すると、セダン型のカローラを使用していたモータースポーツ参加者はレビンへ移行し、ツーリングカーレースでも上位を占める程の活躍をした。特に世界ラリー選手権(WRC)ではトヨタがワークス支援するアンダーソン・モータースポーツ(現TMG)がそれまでのセリカに代わって採用。1975年の1000湖ラリー(現在のラリー・フィンランド)でハンヌ・ミッコラのドライビングによりトヨタワークス初のWRC総合優勝を飾った。また日本国内ラリーでも活躍し、エントラントのほとんどがTE27型レビンで占められることもあった。なお1973年のアメリカでトヨタ車優勝を飾ったウォルター・ボイスのカローラは、レビンではなくカローラクーペ1600SRである。

TE37型は大きく重くなったボディが不評で、引き続きTE27型を使用するユーザーも数多く、ラリー・サーキットともに目立った戦績は残していない。またTE71型にモデルチェンジしてからはラリーに使われることは少なくなり、ボディ剛性に優れるセダンGTや2ドアハードトップのGTがよく使用されていたが、サーキットでは空力的に優れていたためツーリングカーレースに参加し、好成績を収めていた。また、TE71型では18R-G型エンジンのターボ仕様を載せたスーパーシルエット(グループ5)仕様がトムスの手によって製作され参加していたが、ハンドリングに優れるも、パワーでは日産スーパーシルエット軍団の前には歯が立たない状態だったが、バランスに優れた車体を生かして好成績を残している。

AE86型においては、開発当初からモータースポーツ参加を念頭に置いて開発されたと言う経緯がある上に、TE71型からのキャリーオーバー部品が多数存在していたため、発売後に数週間でラリーへ実戦参加する車両があるなど、積極的な競技参加が目立った。またN1規定で行われるカローラ/スプリンター・ノーマルカップ(C/SNC)やN2規定で行われるカローラ/スプリンター・グランドカップ(C/SGC)などのワンメイクレースが開催されるようになったのもこの代からで、以降も続けられるが、C/SGCは車両製作費が高騰したため1985年迄の2年だけで終了した。またAE86型は欧州でも人気を集め、ETCC(ヨーロッパツーリングカー選手権)にも多数が参戦し、1983年のスパ・フランコルシャン24時間レースではクラス優勝を挙げている。1986年、1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)のドライバーズチャンピオンにも輝いた。

グループA車両によるヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)にも当初から参戦しており、日本で1985年から開催されたJTCの初戦で優勝を飾ることができたのも、ETCに参加していたことにより車両製作のノウハウが生かされたからである。各国内サーキットで開催されるアマチュアレースでも幅広く愛用されてきた。ホモロゲーションは1996年に切れているが、2010年代に突入した現在でも、OKAYAMAチャレンジカップや富士チャンピオンレース等で多数が活躍している等、長く愛されている稀有なモデルである。

FF化されたAE92型にモデルチェンジしてからは、JTCでシビック勢との争いが激化し、毎レースごとに互角の戦いを繰り広げていたものの、シビックがマイナーチェンジでVTECエンジンを搭載してからはパワーの面で大きく水をあけられ、苦戦が続いた。AE92型で追加されたスーパーチャージャー仕様はレギュレーションにより一つ上のクラスに編入されるため逆に不利になり、レースでは使用されなかったが、国内ラリーでは軽量かつハイパワーな面が注目され、長く使用された。

AE101型にモデルチェンジされると、4A-GE型エンジンが20バルブ仕様に進化し、パワーではVTECと渡り合えたものの、今度はタイヤに泣かされることになる。またレース仕様車にもスーパーストラットサスペンションを採用したことにより、足回りの熟成にも手間取ることとなってしまった。結局、JTCでは終盤、シビック優勢のままシリーズが終了してしまい、いま一つな結果で終わった。その後、全日本GT選手権(JGTC)2000年シリーズ第4戦に、3S-GTE型エンジンを搭載した車両が参戦した。

AE111型では、日本国内ラリーにおいて全日本からアマチュアレベルまで幅広く使用されてきたが、近年は出場クラスの排気量制限が上方に引き上げられたために、1.6Lクラスではパワー的に若干不利な点は否めない。レースではN1耐久(現 スーパー耐久)への参加が目立った程度で、C/SNCもAE111型デビューから2年ほどで終了してしまった。不景気による競技人口の減少と、スポーツカー離れが顕著になってきた時勢もあり、最後は寂しい幕引きとなった。

レビンの名称がカローラの姉妹車として残っている中国では、2019年からE210L型のレビンがCTCC(中国ツーリングカー選手権)に参戦している。

レビン(Levin)とは、英語で稲妻や電光の意味(ただし古語であり、一般的なのは『lightning』)。これは元々豊田英二が「英語ばかりじゃ面白くない」と『鷹』と『鷲』を考えてきたが、商標などの問題で没になった結果、代わりに登場したものであった。


トヨタ自動車のモータースポーツ

トヨタ自動車のモータースポーツ

トヨタ自動車のモータースポーツでは、トヨタ自動車のモータースポーツ活動の歴史について記述する。レクサス、サイオン、GRなどの同社のブランドや豊田自動織機などトヨタグループの企業の活動に関してもここで述べる。

トヨタ自動車のモータースポーツ活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカー・ツーリングカー・GT・ラリー・フォーミュラカー・オフロード・ストックカー・ダートオーバル・ドラッグレース・ヒルクライム、ドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。

世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得。また北米ではデイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカー、NASCAR、IMSA、フォーミュラ・ドリフトなどシリーズ戦でもマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。

自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降は、トヨタのモータースポーツ活動はTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴として市販車開発とも強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている。
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工では第一回日本グランプリをきっかけに、自工・自販・ダイハツ・ヤマハ発動機・日本電装(現デンソー)のレース好きが集まる第7技術部(通称「ナナギ」)が発足。第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。

1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。

2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。

なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂。

しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった。
1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。

その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビン、セリカ、スープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。

1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ/ルイス・モヤ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。

1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組により、ST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。

1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。

このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。

1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。

2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラ組が復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。2018年には後半にオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤ組が3連勝を達成して終盤にマニュファクチャラーズランキング首位に浮上し、そのままタイトルを手中に収めた。

2018年終了時点の通算成績はドライバーズタイトル4回、マニュファクチャラーズタイトル4回、勝利数50勝である。

1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、のマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラ・タコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、、などの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。

北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーでダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2018年までの21回の開催中、6連覇を3度含む18回のクラス優勝を手にしている。

2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで最高峰クラスに挑戦、2019年に8台体制を敷いてきたMINIのワークス勢を破ってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメル組が念願の総合優勝を果たした。。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得している。

耐久性の高いトヨタ車はプライベーターチームの間でも人気があり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレット、カリーナ、カローラレビンなどが古くから参戦した。1982年には久保田勝/内田正洋組がカリーナ1500で市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝するという快挙を成し遂げた。
また2017年のダカールは、四輪車部門79台のうち36台がトヨタ車という人気ぶりであった。

ヴィッツの生産を担当している豊田自動織機がチームを組織して、ヴィッツによるラリー活動を行っている。同社の社員でもある天野智之/井上裕紀子組が猛威を振るい、同チームは9年連続でクラスチャンピオンを獲得している。

また「凄腕技能養成部」を編入したTOYOTA GAZOO Racingが2015年から参戦し、スポーツCVTの研究やヴィッツGRMNによる挑戦をしている。

トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。

トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。

翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。

翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。

1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。

1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢とトムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。

1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C(1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。

1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦。1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人の小河等が優勝している。同年のル・マンでは関谷正徳が日本人で初めて総合2位表彰台に上がった。

1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝を獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードがスープラでGT1クラスに参戦したが、クラス8位・15位に終わった。

1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。

その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年にハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。

TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。

2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。

2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。

2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。

2017年のル・マンは三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。WECシリーズを通してはル・マン以降は劣勢であったもののその後挽回し、タイトルには届かなかったが、優勝回数でポルシェを上回った。

2018年のル・マンはTS050二台体制で出場し、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋一貴の8号車が優勝、小林可夢偉らの7号車が2位となり、20回目の挑戦にして初めてル・マン総合優勝を成し遂げた。日本メーカーとしてはマツダ(マツダ・787B)以来27年ぶり2度目、日本人ドライバーとしては荒聖治(チーム郷、アウディ・R8)以来14年ぶり3度目のル・マン総合優勝であり、日本メーカーの車両に日本人ドライバーが搭乗して優勝するのは初めてであった。

1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。

1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。

1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入。ライバルが戦意喪失して撤退するほどの勝ちまくりぶりで、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。

2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。

ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している

2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。

2007年にはTeam Gazooとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。

2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。

2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。

2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。

2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。

2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。

2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。

2018年はSP-PROクラスに研究開発目的のレクサス・LCを投入。トラブルに見舞われながらも完走を果たした。

フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。

1980年代にはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場し、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年にアイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた
。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いており、最もチャンピオンを輩出しているエンジンとなっている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを、2005年から現在までオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的である。またトヨタは関わってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身であるスペイン選手権の2001年以来現在までトヨタエンジンが使用されている。

トヨタ初のビッグフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。

2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。しかし2005年にNASCARに集中するとして撤退した。

F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。エンジンはウィリアムズにも供給された。しかしリーマン・ショックの影響で2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。

国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2018年現在までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、13年間のうちにドライバータイトル10回・チームタイトルを12回獲得している。

1963年(昭和38年)に初開催された日本GPにパブリカ、コロナ、クラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。

市販車ベースのレースでは、2000GTと1600GTやS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。

1970年代はカローラ / スプリンター、セリカ、スターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。

1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014~2016年はRC Fで1回、2017~2018年はLC500で1回ドライバーズチャンピオンを獲得している。

GT300クラスにもレクサスISやMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。

2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始。2018年にIMSA及びブランパン耐久で初優勝を挙げている。

2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。

2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。

トヨタ北米進出50周年でもある2007年には、最高峰にあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・エクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年の第4戦アトランタで、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。

2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初(アメリカ以外の自動車メーカーとしても初)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった。また同年トヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアがコカ・コーラ600で全400周中392周、588マイルというリードラップ最長記録を達成している。

2017年はシーズン前半は苦労したが、後半からトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人で13勝(トヨタ全体では19勝)を挙げる活躍を見せた。最終戦ではトゥーレックス・ジュニアが優勝し、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーの四冠を同時に達成した。

ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった。

パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』が哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した。

フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及びらの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。
日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。

ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している。

2018年11月に初開催された第1回グランツーリスモ選手権マニュファクチャラーシリーズに参戦し、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュを飾った。

2019年にTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格的に参入することを表明し、手始めにグランツーリスモSPORTとの協力により、新型GRスープラを用いたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催するとしている。

アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、大規模なワンメイクレースの運営を行っている。1981年には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年にはこれを引き継いで、ヴィッツやアルテッツァで参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として2018年現在も人気を博している。

2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長している。

フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産・ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴、小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004年からニュージーランドで、若手育成のためにF3相当のを開催し、ブレンドン・ハートレイ、アール・バンバー、ニック・キャシディらを輩出している。

またラリーでも2000年から、ワンデイ開催の初心者向けラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。2015年にWRC復帰を発表した後はWRCのための育成プログラムを立ち上げ、全日本ラリー王者の息子勝田貴元と新井大輝、コ・ドライバー王者の足立さやかを欧州で修行させている。

豊田章男が社長になって以降は特にモータースポーツを広報活動に積極的に用いており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でGRラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間やニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。

社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。