トヨタプリウスEX1.5の評判・スペック

トヨタプリウスEX 1.5の燃費・価格・馬力・歴代モデルなど基本スペックを全て調べることができます😏


ストーリー動画で見る

ストーリーならサクサク動画感覚でプリウスEXの情報を見ることができます!


トヨタ プリウスEX 1.5

プリウスEXのフロント外観(09年(H21)6月、新型時の1.5のフロント)

プリウスEXのリア外観()

プリウスEXの内装・インパネ()

メーカー トヨタ
車種 プリウスEX
グレード 1.5
販売期間 2009年06月から 2012年03月
価格 1,800,000円
エンジン エンジン: 直列4気筒DOHC
排気量: 1496cc
型式: DAA-NHW20
馬力: 76ps
トルク: 110(11.2)/4000
ミッション: CVT バッテリー:
タイヤ 前輪: 185/65R15
後輪: 185/65R15
ホイールサイズ: /
駆動: FF
最小回転: 5.1m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): 29.6(km/L)
燃費(10•15): 35.5(km/L)
燃料: レギュラー
実燃費: から
ボディサイズ 高さ: 1490 車幅: 1725 全長: 4445
乗車定員 5人
評価・レビュー 外観: 0点
内観: 0点
スペック: 0点
エンジン: 0点
乗り心地: 0点
燃費: 0点
価格: 0点
中古車 49台
買取価格相場
車を売る

トヨタプリウスEXとは

トヨタが製造したプリウスEXは、環境に配慮したハイブリッド車として知られています。2001年に初代モデルが登場し、その後も進化を続けています。プリウスEXは、環境性能と経済性の両立を実現し、多くのユーザーから支持を受けています。 プリウスEXは、グレードによって価格や装備が異なりますが、環境性能と快適性を両立させる設計が施されています。排気量は主に1.8リットルで、燃費性能も優れており、エコドライブをサポートします。ハイブリッドシステムの効率的な運転によって、環境への負荷を軽減することが可能です。 プリウスEXの特徴の一つは、スタイリッシュなデザインでありながら、優れた空力性能を持っています。また、安全性能にも配慮されており、先進的な衝突回避システムや運転支援機能が備わっています。そのため、安全性にも配慮しながら快適なドライブを楽しむことができます。 プリウスEXの人気の秘密は、環境への配慮や経済性能だけでなく、快適性や安全性にも優れていることにあります。そして、ハイブリッド車としての先進性と革新性が、多くのユーザーに支持されています。 トヨタのプリウスEXは、環境に配慮したハイブリッド車として、その進化を続けながら多くのユーザーに愛され続けています。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式DAA-NHW20
最小回転半径5.1m
駆動方式FF
全長×全幅×全高4.45m×1.73m×1.49m
ドア数5
ホイールベース2.7m
ミッションCVT
前トレッド/後トレッド1.51m/1.48m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)1.89m×1.44m×1.23m
4WS-
車両重量1260kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員5名
車両総重量1535kg
ミッション位置インパネ
最低地上高0.15m
マニュアルモード-
標準色スーパーホワイトII、シルバーメタリック、ブラック
オプション色-
掲載コメント-
エンジン型式1NZ-FXE
環境対策エンジンH17年基準 ☆☆☆☆
種類直列4気筒DOHC
使用燃料レギュラー
過給器-
燃料タンク容量45リットル
可変気筒装置-
燃費(JC08モード)29.6km/L
総排気量1496cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成H22年度燃費基準+25%達成車
最高出力76ps
最大トルク/回転数n・m(kg・m)/rpm110(11.2)/4000
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ-
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ-
ハードトップ-
リアフォグランプ△
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー◯
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール◯
UVカットガラス◯
片側スライドドア-
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様△
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ストラット式
サスペンション形式後トーションビーム式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前185/65R15
タイヤサイズ後185/65R15
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ドラム式
ソナー◯
駐車支援システム-
センターデフロック◯
横滑り防止装置-
トラクションコントロール△
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)△
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ◯
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー△
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートEBD付きABS(◯)
ランフラットタイヤ◯
後退時連動式ドアミラー◯
エアサスペンション-
レインセンサー◯
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム◯
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシートヘルプネット(△)
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC-
フロント両席パワーシート-

他の車種一覧やトヨタの別グレードを探すことができます。

トヨタ プリウスEXの知っておきたい情報

トヨタとは?
プリウスEXとは?

クリックで世界最大の辞書データベース「wikipedia」に記載されている「 トヨタ プリウスEX」の最新情報が見れます。

トヨタプリウスEXの新車情報

トヨタプリウスEXの最新情報まとめ

トヨタ・プリウス

トヨタ・プリウス

プリウス(PRIUS)は、トヨタ自動車が1997年から製造・発売している世界初の量産ハイブリッド専用車(スプリット方式)、およびそれを中心としたハイブリッド専用車のブランド(商標)である。

1995年11月、第31回東京モーターショーにて参考出品車として展示。「人と地球にとって快適であること」というコンセプトの元に開発。低燃費走行を目的としたパワートレーンシステム「TOYOTA EMS (Energy Management System)」を搭載。これは直噴ガソリンエンジン「TOYOTA D-4」・CVT(Continuous Variable Transmission・ベルト式無段変速機)・キャパシターを電源としたインダクションモーター/ジェネレーター (M/G) をコンピューター (ECU) によって協調制御した世界初のパワートレーンシステムで、エンジン・駆動系の効率を大幅に向上させ、エネルギー回生、停車時のエンジン停止などの画期的な機能を採用し、同クラス車の約2倍の燃費30km/L(10・15モード走行)実現を目標にしていた。

環境に配慮した機能として、電動パワーステアリング・低転がり抵抗タイヤ・電動コンプレッサーエアコンシステム・RSPP(新リサイクル防音材)の採用・空力ボデー・高性能熱線吸収ガラス・着色樹脂を使った無塗装バンパー&サイドモールがあった。安全装備として早くも側面衝突対応SRSエアバッグを装備し、計6カ所のエアバッグがあった。

珍しい装備としては助手席およびリヤシートに組み込み式チャイルドシートや、近未来対応型マルチメディアシステム、ドームランプに設置された4方向のセンサーから発信されるマイクロ波により、駐車中の車内への侵入者を感知。アラーム(ホーン吹鳴、ライトの点滅)で異常を知らせるセキュリティシステムがあった。内装においてはセンターメーターではなく、運転席側にメーターを配置したオーソドックスなタイプが採用されていた。
1997年12月、岩崎俊一による「21世紀に間に合いました。」のキャッチコピーが示す通り、世界初となる「量産ハイブリッド自動車」として誕生。開発責任者(チーフエンジニア)は、後にトヨタ自動車の会長となる内山田竹志が務めた。開発プロジェクト名は「G21プロジェクト」。CMキャラクターには歌手の谷村新司が起用されていた。

サイズは小型5ナンバー4ドアセダンで、デザインは歴代セリカなどを手がけたトヨタのアメリカのデザイン拠点であるCALTYが担当し「未来からやってきた車」のイメージに相応しいエクステリアを構築する。外観は当時としては珍しいフロントグリルとボンネットをシームレスにつないだデザインを採用した。これは単にデザインだけではなく、空気抵抗の減少にも大きく寄与している。また、車両の全高を大きくとって着座位置を高くすることにより、乗降を容易に、かつ車内の居住空間を有効に使えるようにしているが、これは当時のセダンとしては革新的なパッケージングであった。

足回りでは専用の超軽量鍛造アルミホイールを装着し、さらにその上に空気抵抗低減のための樹脂製のホイールカバーを装着するという珍しい手法を採用している。なお、これは2代目や3代目、4代目にも引き続いて採用されている。

インテリアの最大の特徴としてセンターメーターがあるが、当時はまだ採用車種が少なく話題を呼んだ。また、5.8インチマルチインフォメーションディスプレイを始めからインテリアデザインに盛り込む設計がされたのも、同時期にデビューしたハリアーとともに初めての試みである。これらは後の乗用車全般のインテリアデザインに大きな影響を与えた。なお独特の駆動方式(走行中でもエンジンが停止するなど)から、タコメーターと水温計が省かれている。

駆動ユニットはTHS(Toyota Hybrid System)と呼ばれ、ミラーサイクル方式の1NZ-FXE型ガソリンエンジンと、1CM型永久磁石式同期モーターを併用して動力を発生する。1CM型はマイナーチェンジ時に改良され2CM型となる。

発表当初の燃費は28.0km/l(10・15モード)であり、当時の同程度のガソリンエンジン車と比較して驚異的なものであった。その後の改良により、最終モデルの燃費は31.0km/l(10・15モード)に達している。

販売価格は215万円と、車格が近い8代目・E110型カローラ(セダン)の「1.5SEサルーン」が152.7万円(2WDの4速AT車での場合)で販売されていた時代(1997年-1999年当時)としては決して安くはなかった。しかし、ハイブリッドシステムのコストからすると原価を大きく割り込んでいると見られ、「215万円はバッテリーだけの価格」や(前述のキャッチコピーからか)「21世紀へgo (5) の語呂合わせ」等と噂された。

最初期の量産型のハイブリッド車であるため、走行性能(動力性能)はこの当時の総排気量1,000cc以下の小型車とほぼ同等であり、バッテリーの不具合を心配する人も多かったのか年間の販売台数は最大でも2万台を超えることはなく、モデル末期には1万台を割り込んでおり、2代目のような「大ヒット」や3代目のような「スマッシュヒット」は記録しなかったものの、ハイブリッド乗用車史の基礎を築き上げるには十分な販売実績を残した。一方で後述の通り2代目以降は3ナンバーとなり、2代目プリウス以降もトヨタのハイブリッド乗用車は主に3ナンバーとなったため、トヨタの5ナンバーハイブリッド乗用車はアクアの登場まで、更に初代プリウスの流れを汲むノッチバックセダン型5ナンバーハイブリッド乗用車はカローラアクシオハイブリッド(NKE165型)の登場まで、一時期途絶える事になる。
先代の4ドアセダンからワンモーションスタイルの5ドアファストバック(ハッチバック)へと、ボディ形状が大きく変更される(ちなみに、自動車の同一のモデルのフルモデルチェンジのボディ形状が一気に変化するケースは少ない)。また2代目からは日本国外での市場を考慮してやや大型化され、ホイールベースも2,700mmとなり、車格は初代の小型乗用車からプレミオ/アリオン(旧コロナ/カリーナ)と同じミドルクラスとなった。車幅が1,725mmと拡大されたため、日本市場では3ナンバー登録となる。ホイールハブのスタッドボルト数は、初代の4本から5本に変更された(PCDは100のまま)。目標月間販売台数は3,000台。これは、先代の直近の販売実績の3倍であった。給油口が右側から左側に変更され、CピラーとDピラー間に窓が追加された。(後部座席扉は一枚窓となった)

2代目から、トヨタのハイブリッド乗用車(ダイハツ工業へのOEM車種も含む)にて「HYBRID SYNERGY DRIVE」(ハイブリッド・シナジー・ドライブ)のブランド展開を開始。当代が初の車種となり、車名エンブレムの下にそのエンブレムが装着された。

2代目に搭載されているユニットはTHS-II(Toyota Hybrid System II)と呼称されるTHSの発展型で、エンジンは先代と同じく1NZ-FXE型を搭載するが最高回転数を5000rpmまで増加、新型モーター(3CM)の出力を従来型の33kWから50kWへと向上させるなどパワーアップを図りながら、10・15モード燃費はさらに向上して35.5km/Lとなり、4人乗り以上の市販ハイブリッドカーとしては当時、世界最高の省燃費を達成した。電池には引き続きニッケル・水素充電池を採用する。

なお、トヨタのハイブリッドシステムはこの他にもクラウン(JZS170系セダンほか)などに搭載されていた簡易ハイブリッドユニットである「THS-M」(Mild)、エスティマやアルファードに搭載された、E-Four(電気式四輪駆動システム)を搭載した「THS-C」(CVT) 、クルーガーハイブリッドやハリアーハイブリッドに搭載された、「THS-C」にも採用されているE-Fourを搭載し、本車に搭載されているTHS-Ⅱを改良した「ハイパワー THS Ⅱ」などのバリエーションがある。またパナソニックEVエナジー(現 プライムアースEVエナジー)のニッケル水素電池は小型トラック(日野・デュトロ)や大型路線バス(日野・ブルーリボンシティ)のハイブリッド車にも採用されている。後述の#ハイブリッドシステムの特性も参照。

後の3代目モデルやプリウスα(プリウス+)、アクア(プリウスC)にも継承された「トライアングル・シルエット」と呼ばれる三角形の「おむすび形」のスタイリングが特徴的で、2003年度にはグッドデザイン大賞を受賞した。

その他、2代目モデルでは、モーターのみの走行が選択可能な「EVモード」、後方カメラの映像上で場所を指定するだけで駐車時のハンドル操作を自動化できる「インテリジェントパーキングアシスト」(世界初搭載)、横滑り防止機構と電動パワーステアリングを統合制御する「S-VSC」(世界初搭載)、アイドリングストップ中もバッテリーを電源として動作可能な電動インバーターエアコン(車載用として世界初搭載)、キーをポケットに入れたままドアノブに手を掛けるだけでロック解除、そのままブレーキペダルを踏みながらパワースイッチを押すだけでハイブリッドシステムが始動する「スマートエントリー」、イモビライザーなどの最新技術が投入された。特に電動インバーターエアコンは、その後のトヨタのハイブリッド乗用車の主要装備となる。

初代の後期モデルより引き継いだ「S」と「G」の2グレードを基本として、上級オプションパッケージとなる「TOURING selection」を新設定した。なお、後期型からは、フロントフォグランプが全車標準装備となっている。

2代目モデルをベースとしてトヨタ自動車が「サーキットバージョン」を製作。外装はトヨタF1をイメージしたカラーリングが施され、内装は遮音材などの快適装備を撤去して大幅な軽量化を図り、ボディ剛性と安全性の向上のためロールケージを組むなど、一般のレーシングカー(グループN準拠)と同じ方法で製作された。

そしてプリウスの特徴であるハイブリッドシステムにもチューニングが施され、エンジンは標準搭載のアトキンソンサイクル型からカローラ用の通常燃焼型 (1NZ-FE) へ変更。インバーターシステムも昇圧性能を強化したものとなり、システム出力を大幅に向上させた。バッテリーも直接外気を導入して冷却できるようリアドアにエアインテークが設けられた。また、タイヤ・ホイールはツーリングセレクション用の16インチ(タイヤはブリヂストン・POTENZAのハイグリップのものに変更)を装備し、ブレーキも欧州仕様車と同じ物(リアをディスク化)が採用されストッピングパワーを強化している。

将来的なワンメイクレース開催を見込んで同様のサーキット仕様が数台制作されたが、結局市販化されることはなかった。

2代目チーフエンジニアの井上雅央はカタログで「THS-IIの技術を独り占めするつもりはない。地球環境のために、他社への技術提供もいとわない」と発言。

その発言通り、2代目発売から、3年後の2006年10月4日、北米日産のアルティマハイブリッドにハイブリッドシステムを供給したものの、日産製のエンジンとハイブリッドシステムの組み合わせをトヨタが担当した際に手間が掛かりすぎてしまったため、自社で開発してくれる相手を探す方向に向かう。そして、THS-II登場の10年後の2013年11月にマツダのアクセラに「SKYACTIV-HYBRID」としてTHS-II(厳密にはリダクション機構付THS-II)が搭載された。トヨタから供給されたシステムを使い、マツダがハイブリッドシステムを開発。システムプログラムが分かりづらい箇所をトヨタ側に問い合わせる間、トヨタの技術者がバスでマツダまで出向き、見学に来るという事態も発生した。

2009年1月に開催された北米国際オートショーにおいて発表、同年5月18日に日本での販売が開始された。2代目と同様に3ナンバー。

2009年12月からは、ZVW30型プリウスをベースとしたプラグインハイブリッドカーのプリウスPHVのリースが開始され、2012年1月30日には市販も開始された。

2011年12月にはマイナーチェンジが行われ、内外装デザインの変更などが行われている。また、それに合わせ派生車種のプリウスαとアクア(プリウスC)が販売されている。
また、純正カスタムモデルであるプリウスG'sが設定された。これはGAZOO Racingによりスポーツ走行志向のボディ補強、エクステリア及びインテリア、シート、サスペンション、タイヤ及びホイールといった特別装備を与えられたモデルである。動力性能は標準モデルと同様。

チーフエンジニアは3代目後期型、初代PHVの開発責任者の豊島浩二。デザイナーは児玉修作。

4代目プリウスはトヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー (TNGA) を採用した第1号であり、そのため乗り心地や走行性能に関しては先代と比にならないレベルになっていると謳われている。TNGA採用により、車高が先代プリウスより20mm下がり1470mmとなった。また今まで使われていたバッテリーはニッケル水素電池のみであったが、新型ではSを除く全グレードにリチウムイオン電池が採用された。新型ではEを除く全グレードに4WD(E-four)の選択が可能になったほか100V -1500Wのアクセサリーコンセントもシエンタ同様4万3000円で装着できる(Aプレミアムは標準装備)。また新型ではメーカーオプションのカーナビの設定はなく、全て販売店オプションとなっている。2代目・3代目同様3ナンバー。

グレード構成は低い順に「E」→「S」→「A」→「Aプレミアム」となっている。

S以上では専用サスペンションや17インチアルミホイール、専用リヤバンパーを装備したツーリングセレクションが選べる。またS、Aのツーリングセレクションには快適温熱シートと合成皮革が装備される。Aプレミアムでは本革シートとシートヒーターが標準装備されている。

先代と異なるのがヘッドライトが全車にBi-Beamヘッドランプとスマートエントリー(運転席、助手席、バックドア)が標準である。フォグランプもLED化され消費電力を軽減させている。

2015年9月8日(現地時間)にアメリカのネバダ州ラスベガスで世界初披露され、同年12月9日に日本で発売を開始した。

3代目同様、エンジンには2ZR-FXE型が採用されているが、最大熱効率40%を実現して改良を施すとともに、ハイブリッドシステム全体の小型・軽量化や約20%の低損失化を図ったことで、「E」はJC08モード走行燃費を40.8km/Lに、その他のグレードにおいても37.2km/Lにそれぞれ向上。併せて、歴代初となるE-Four(電気式4輪駆動方式)を採用した4WD車が新設定され、こちらも34.0km/Lの低燃費を実現している。TNGAに基づいて新たに開発されたGA-Cプラットフォームを導入することで低燃費の実現とデザイン性を両立した低重心フォルムとなり、基本性能も向上されている。また、歩行者検知機能付衝突回避支援型プリクラッシュセーフティ、全車速追従機能付レーダークルーズコントロール、ステアリング制御付レーンディパーチャーアラート、オートマチックハイビームで構成された衝突回避支援パッケージ「Toyota Safety Sense P」も導入され、「E」・「S」にメーカーオプション設定、「A」以上のグレードに標準装備したほか、「Bi-Beam(バイ・ビーム)」LEDヘッドランプも導入して全車に標準装備した。エクステリアとしては、後部座席扉の窓が初代のような二枚張りとなり、C・Dピラー間の窓が消滅し、リアデッキ周辺の処理に関しては基本的に2代目、3代目同様のファストバックスタイルのハッチバックでありながら同社のノッチバックセダン型燃料電池車であるMIRAIやかつて同社から販売されていたハッチバッククーペの7代目セリカ(T230型)にも通じるセミノッチバック風の造形となった。

メーターは、速度等を表示する右側のグラフィックメーターと車両状態等の各種情報を表示するマルチインフォメーションディスプレイ(共に4.2インチの液晶メーター)になり、「A」以上に標準装備されるヘッドアップディスプレイもカラー化された。

ボディカラーはフルモデルチェンジに合わせ、トヨタ初の技術によってにごりのない鮮やかな赤を実現させた「エモーショナルレッド(メーカーオプション)」、世界初の技術により遮熱機能を持たせた「サーモテクトライムグリーン(メーカーオプション)」、先進性とプレミアムな印象を併せ持つ「スティールブロンドメタリック」の新規開発の3色を含めた9色を設定する。

型式は搭載する電池で異なり、ニッケル水素電池を搭載する「S」系が「ZVW50」、リチウムイオン電池を搭載する「E」と「A」系が「ZVW51」を名乗る。但し、「E」以外の全車に用意される4輪駆動車はどちらの電池を搭載していても「ZVW55」である。

今回のプリウスでは、電気式4輪駆動システムE-Fourを採用している。従来のE-Fourに比べ、軽量化にも成功している(従来のE-Fourについてトヨタは高出力E-Fourと呼称している)。後輪を駆動させるモーターの出力は7.2馬力であり、雪道での発進時など低速域(おおむね25キロ前後まで)で稼働する。また、通常時はFFの2WDで走行し、フロントタイヤのスピンを検知すると後輪にも駆動力を配分する。尚、E-Fourは日本市場専用設定である。

プラグインハイブリッドモデル「プリウスPHV」は2017年2月に2代目に移行した。先代モデルは2016年4月に日本での販売を終了していたため、10ヶ月ぶりに市場に再投入されることとなった。なお、販売地域により名称が異なり、日本や台湾などでは「PRIUS PHV」、北米や韓国では「PRIUS PRIME」、フランスでは「PRIUS Hybride Rechargeable」、フランスを除いた欧州の大半では「PRIUS Plug-in Hybrid」(但し、欧州圏のすべてのエンブレム表記は「PHV」)となる。また、車両型式はZVW52型となる。

リチウムイオン電池(駆動用バッテリー)の容量を先代の21.5Ahから25Ahに増やしシステムの効率化を行ったことで、JC08モード・充電電力使用時走行距離(EV走行距離)を先代の26.4kmから、68.2kmへと2倍以上向上させている。また、駆動用モーターだけでなく、発電用モーター(ジェネレーター)を駆動用としても使用する「デュアルモータードライブシステム」を採用し、加速性能が向上した。併せて、駆動用バッテリー専用ヒーターや世界初となるガスインジェクション機能付ヒートポンプオートエアコンを採用したことで、EVモード走行時にエンジンがかかりにくい状態の維持に貢献した。

パワートレインは、4代目プリウスで大幅改良を実施した直列4気筒1.8L「2ZR-FXE」型(98PS/72kW)と、駆動用モーター「1NM」型(72PS/53kW)に加え、先述の発電用モーター(ジェネレーター)兼用の「1SM」型(31PS/23kW)を搭載している。

「TNGA」に基づき一新したプラットフォームは、4代目プリウスと基本的に共通。リヤサスペンションはトーションビーム式から、ダブルウィッシュボーン式(スタビライザー付)に変更している。

充電方法は急速充電やAC200V/16Aの普通充電に加え、家庭の配線をそのまま利用しての充電が可能なようにAC100V/6Aの普通充電にも対応したほか、量産車では世界初となるソーラー充電システムも採用(メーカーオプション設定、本システムはパナソニックが開発した「HIT」車載タイプが用いられている)。太陽光の自然エネルギーを駐車中に駆動用バッテリーに供給し、平均約2.9km/日・最大約6.1km/日分の走行分の電力量を充電可能で、走行時に補機バッテリーの消費を補い燃費向上に貢献する。外部給電機能に関してはエンジンをかけずに給電する「EV給電モード」を追加し、エンジンを作動する「HV給電モード」では最大1,500Wの出力でガソリン満タン状態から2日程度の電力供給を可能にした。

エクステリアデザインは先代と異なり4代目プリウスから大きく差別化され、ひと目で「プリウスPHV」だと印象づけるデザインを追求している。フロントグリルは透明アクリル樹脂を採用した大型タイプを、ヘッドランプは先行車のテールランプや対向車のヘッドランプで車両を認識し、照射範囲を左右16個のLEDで細やかに制御するアダプティブハイビームシステムを備えた4灯式LEDタイプをそれぞれ採用。リアデザインは、空力性能の向上を目的にバックドアガラスに二つの膨らみを持つ「ダブルバブルウィンドゥ」を採用。また、ハイマウントストップランプとリアコンビネーションランプを一本の赤いラインでつないだデザインとなっており、バックドアにはトヨタブランド車で初となるCFRP(炭素繊維強化樹脂)を採用した。前後デザインの変更により、4代目プリウスより全長が105mm延長されている。また、先代モデルと比較すると、全長は185mm、全幅は15mm拡大。また、全高は20mm低くなった。ホイールベースは先代と変わらず2,700mmのため、前後のオーバーハングが大きく延長されたディメンションとなっている。

また、トヨタ初の11.6インチT-Connect SDナビゲーションシステムとDCMを「S」を除く全車に標準装備し、コネクティッドサービス「T-Connect DCMパッケージ」が初度登録から3年間無料で利用可能なほか、PHV専用スマートフォン向けアプリ「Pocket PHV」を利用できる。4代目プリウスに採用されている衝突回避支援パッケージ「Toyota Safety Sense P」はプリウスPHVにも採用されており、全車標準装備される(ただし、「S」はオプションで「Toyota Safety Sense P」の非装備設定が可能である)。
ハイブリッドカーの代名詞として国内外ともによく知られている。プリウスは単に燃費性能が良いというだけではなく、環境負荷の低減や先進的なEV機能などを評価して購入すべきであるという見方も強い。実際、アカデミー賞に俳優がプリウスに乗って登場したように、プリウスは環境に良いというブランドイメージを築いており、市場での評価も安定して高い。特に3代目以降は国内市場での評価は極めて高く、2009年4月に施行された「環境対応車普及促進税制」による自動車重量税と自動車取得税の全額免税、さらには同年6月から始まった「エコカー補助金」もあって、プリウスは軽自動車を含む総合で2009年6月度から2010年12月度までの18か月連続で首位を獲得している。以降2020年現在までも、年間登録販売台数1位を7回に渡って獲得する実績を誇る。コンパクトカーやトールワゴン/ミニバン、クロスオーバーSUVなどが席巻する国内市場で、Cセグメントの5ドアセダンでありながら1位を獲得し続けるプリウスの存在はかなり異質である。

同等クラスのガソリン車と比較すると燃費性能に優れるが、車両価格が高く価格差を燃費で相殺するまでには相当な走行距離を要する。しかし現状ではプリウスに車格が近い、プレミオやアリオンにプリウスと同等の車両安全装置VSDやカーテンエアバッグなどの装備を追加すると、プリウスとの価格差は無いかむしろ低廉となる上、前述の減税・補助金もあるので実際にはそれほど問題にはならない。またコンパクト以下のクラスとの車両価格差のガソリン代を回収するには、年間1万キロ走行では10年近くを要するが、レンタカーで借りる分には燃油代の節約になる。

しかし車好きからは否定的な意見も多く、英国放送協会のテレビ番組『トップ・ギア』では「退屈」と酷評された。そのため4代目では走りの楽しさが追求され、結果トッププロレーサーの谷口信輝も、走りを賞賛し購入するまでになっている。

アメリカ合衆国においては、カリフォルニア州で州の厳しい規制をパスした当時唯一のガソリンエンジンの実用車としてプリウスが話題を呼び、環境問題に関心の高い富裕層が中心となって次々にプリウスを購入したことから、ハリウッド・スターなどのセレブリティも、環境問題に関心があることをアピールするためにこぞってプリウスを自家用車に選ぶ、という時期があった。アカデミー賞授賞式に、リムジンでなくプリウスで乗り付けるスターが増え、中でもレオナルド・ディカプリオは、7台ものプリウスを購入したといわれる。その後の、原油価格の高騰から人気が冷めず、最長で半年待ちとなるほど予約が殺到した。

しかしアメリカではガソリン価格の低落に伴って再び大型車や高級車が販売の中心となっており、加えて「ハイブリッドよりEVのほうがエコ」という風潮からEV専門メーカーのテスラ・モーターが台頭してきていることからプリウスは苦戦を強いられている。さらにプリウスの販売台数の多い地域では、ニッケル水素電池目当ての「車上荒し」のターゲットともなっている。

ディーゼルエンジンとマニュアルトランスミッション指向の強いヨーロッパにおいても、環境問題への関心の高まりから、イギリスなどを中心に高い評価を得ている。2007年のフランクフルトモーターショーをはじめ、大陸ヨーロッパでも積極的なプロモーションが始められた。2000年に発売されたヨーロッパでは、2007年8月までに約10万台のトヨタ・ハイブリッドが販売された。

トヨタのハイブリッド車は、2007年5月に販売累計が100万台に達していることから、その約1割が欧州市場での販売であったことになる。イギリスのAmberjac Projects社では、プリウスに搭載されたニッケル水素電池をリチウムイオン電池に載せ換えて、燃費や航続距離を改善するという改造を行っている。

モンゴル国では、首都ウランバートルの大気汚染対策として、日本で中古車になった初代プリウスが輸入され、使用されている。
一部のレンタカー会社(および地域)で車種をプリウスに限定したキャンペーンが行なわれることがある。この場合のレンタル料金は一般車種とほぼ同額であり、利用者にとっては自分で購入するのと異なり車両価格が高額であることを意識せずに済む上一般に燃料費も安くつき(走行距離が長ければ若干レンタル料金が高くても燃料費の差額で十分元がとれてしまう)、またレンタカー会社としても車両の回転効率を上げることで初期費用を早く回収することができるので、利用者と所有者のどちらにとっても有益であり、ハイブリッド車の普及を図る上では非常に有効な手段であると言える。

なお、トヨタレンタリースではこれまでカローラと同じP3クラスだったが、2008年10月1日以降予約分はプレミオ/アリオンと同じP4クラスに変更され、値上げとなったが、2009年5月1日以降はP3クラスに戻され、値下げとなった。同年6月から順次導入されている3代目はP4クラスの料金が適用される(2代目と3代目では排気量が異なる為、P3クラスの2代目には(1.5L)、P4クラスの3代目には(1.8L)と表記し区別されている)。2012年4月1日からは、ハイブリッド専用のクラスが3種新設され、HV1には2代目が、HV2には3代目が割り当てられている。また同時に、区間平均燃費が表示できる機能を生かして、満タン返しが不要な「HV燃費精算」も開始された。

アメリカ合衆国の大手レンタカー会社では、2007年7月現在エイビス・レンタカー (Avis) が約1,000台のプリウスを保有するほか、ハーツ・レンタカー (Hertz) が2008年までに3,400台のプリウスを導入し、ニューヨーク市などハイブリッド車の需要が旺盛な地域に重点配備することを発表した。エイビス・レンタカーはイギリスでもプリウスを保有し、ロンドンなどに配置している。

また、2010年7月4日からはトヨタレンタリース長崎管轄の福江店(長崎県五島市)において、プリウスプラグインハイブリッドのレンタカー貸出を開始した。これは、長崎県が経済産業省のモデル事業である「長崎県EV・PHVタウン」の主要プロジェクトとして五島地域で展開する未来型ドライブ観光システム「長崎EV&ITS(エビッツ)」に協力し、同車を福江店へ2台配備したもので、一般ユーザーがレンタカーでPHVを運転できる国内唯一の店舗となった。その後、「能登スマート・ドライブ・プロジェクト」と題して、2012年7月7日、トヨタレンタリース石川がプリウスPHV(市販モデル)を能登空港店を中心に県内に配備、併せてトヨタメディアサービスのWi-Fi付充電スタンド「G-Station」を能登半島に21台設置するプロジェクトも始まった。ただし、往路か復路のいずれかに能登空港を利用することが貸出の条件となっている。さらに全国11の地域(2012年8月現在、長崎・石川を含む)でもPHVの貸出が開始されている。

初代はトヨタ店のみであったが、2代目からはトヨペット店が加わり、2チャンネル併売となった。また、販売台数も2代目からは格段に増え、発売後半年経っても、購入から納車まで数か月待ちという事態も起きた。3代目以降はカローラ店とネッツ店にも販売網を広げ、レクサス専売店を除くトヨタの全販売店で販売を開始した。トヨタの全販売店で販売する車種の登場は、トヨタが現体制になった1982年以降では2000年に限定生産されたオリジンの例があったのみで、限定生産車以外では初めてとなる。なお、2代目モデルもグレード体系などを見直し、ビジネスユーザー向け新グレード「EX」に一本化し2011年12月26日まで継続販売された(取扱いは従来どおりトヨタ店とトヨペット店)。低価格路線を打ち出しているホンダ・インサイトに対抗するため、「EX」の車両本体価格はインサイトの「G」と同じ189万円に設定。3代目モデルも205万円からの価格設定にしていた。
SUPER GTのGT300クラスに参戦していた、カローラアクシオの後継マシンとして 登場。2012年から2015年までのマシンは、ZVW30型プリウスをベースにRV8Kエンジンをミッドシップに搭載し、助手席にハイブリッドシステムが搭載されていた。蓄電装置はリチウムイオン電池、タイヤは2014年まではヨコハマ、2015年のみブリヂストンを採用している。オペレーションはaprが担当。2013年4月29日、SUPER GT 2013 第2戦(富士スピードウェイ)で優勝、SUPER GT史上初のハイブリッドカーでの優勝車両となった。2015年にも2勝を挙げ年間総合3位に入った。

なおこの車両のハイブリッドシステムはレース専用品ではなく、アクア用のモーター、プリウスα用のバッテリー、カムリ用のECUと市販車と同じパーツを使用して構成されている。そのため同じハイブリッドカーでも、レース専用に開発したハイブリッドでGT300に参戦していたホンダのCR-Zと比較して、システムの重量が倍近く重くなっている。

2016年からはZVW50型をベースにしたプリウスが2台登場、30号車はリチウムイオン電池+ヨコハマタイヤ、31号車はキャパシタ+ブリヂストンタイヤと異なる仕様で参戦。2016年には31号車が1勝を挙げ年間ランキング2位の好成績を収めている。

2018年からは、30号車もリチウムイオン電池からキャパシタに変更。31号車が3度の表彰台を獲得。最終戦ではLEON RACINGとのチャンピオンを決めるサイドバイサイドのバトルに敗れ、年間3位に甘んじた。

2019年はベースをプリウスPHV GR SPORTに、エンジン搭載位置も規則に従ってフロントに変更された。


トヨタ自動車のモータースポーツ

トヨタ自動車のモータースポーツ

トヨタ自動車のモータースポーツでは、トヨタ自動車のモータースポーツ活動の歴史について記述する。レクサス、サイオン、GRなどの同社のブランドや豊田自動織機などトヨタグループの企業の活動に関してもここで述べる。

トヨタ自動車のモータースポーツ活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカー・ツーリングカー・GT・ラリー・フォーミュラカー・オフロード・ストックカー・ダートオーバル・ドラッグレース・ヒルクライム、ドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。

世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得。また北米ではデイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカー、NASCAR、IMSA、フォーミュラ・ドリフトなどシリーズ戦でもマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。

自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降は、トヨタのモータースポーツ活動はTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴として市販車開発とも強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている。
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工では第一回日本グランプリをきっかけに、自工・自販・ダイハツ・ヤマハ発動機・日本電装(現デンソー)のレース好きが集まる第7技術部(通称「ナナギ」)が発足。第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。

1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。

2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。

なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂。

しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった。
1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。

その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビン、セリカ、スープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。

1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ/ルイス・モヤ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。

1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組により、ST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。

1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。

このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。

1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。

2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラ組が復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。2018年には後半にオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤ組が3連勝を達成して終盤にマニュファクチャラーズランキング首位に浮上し、そのままタイトルを手中に収めた。

2018年終了時点の通算成績はドライバーズタイトル4回、マニュファクチャラーズタイトル4回、勝利数50勝である。

1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、のマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラ・タコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、、などの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。

北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーでダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2018年までの21回の開催中、6連覇を3度含む18回のクラス優勝を手にしている。

2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで最高峰クラスに挑戦、2019年に8台体制を敷いてきたMINIのワークス勢を破ってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメル組が念願の総合優勝を果たした。。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得している。

耐久性の高いトヨタ車はプライベーターチームの間でも人気があり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレット、カリーナ、カローラレビンなどが古くから参戦した。1982年には久保田勝/内田正洋組がカリーナ1500で市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝するという快挙を成し遂げた。
また2017年のダカールは、四輪車部門79台のうち36台がトヨタ車という人気ぶりであった。

ヴィッツの生産を担当している豊田自動織機がチームを組織して、ヴィッツによるラリー活動を行っている。同社の社員でもある天野智之/井上裕紀子組が猛威を振るい、同チームは9年連続でクラスチャンピオンを獲得している。

また「凄腕技能養成部」を編入したTOYOTA GAZOO Racingが2015年から参戦し、スポーツCVTの研究やヴィッツGRMNによる挑戦をしている。

トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。

トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。

翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。

翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。

1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。

1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢とトムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。

1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C(1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。

1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦。1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人の小河等が優勝している。同年のル・マンでは関谷正徳が日本人で初めて総合2位表彰台に上がった。

1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝を獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードがスープラでGT1クラスに参戦したが、クラス8位・15位に終わった。

1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。

その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年にハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。

TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。

2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。

2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。

2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。

2017年のル・マンは三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。WECシリーズを通してはル・マン以降は劣勢であったもののその後挽回し、タイトルには届かなかったが、優勝回数でポルシェを上回った。

2018年のル・マンはTS050二台体制で出場し、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋一貴の8号車が優勝、小林可夢偉らの7号車が2位となり、20回目の挑戦にして初めてル・マン総合優勝を成し遂げた。日本メーカーとしてはマツダ(マツダ・787B)以来27年ぶり2度目、日本人ドライバーとしては荒聖治(チーム郷、アウディ・R8)以来14年ぶり3度目のル・マン総合優勝であり、日本メーカーの車両に日本人ドライバーが搭乗して優勝するのは初めてであった。

1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。

1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。

1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入。ライバルが戦意喪失して撤退するほどの勝ちまくりぶりで、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。

2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。

ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している

2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。

2007年にはTeam Gazooとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。

2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。

2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。

2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。

2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。

2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。

2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。

2018年はSP-PROクラスに研究開発目的のレクサス・LCを投入。トラブルに見舞われながらも完走を果たした。

フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。

1980年代にはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場し、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年にアイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた
。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いており、最もチャンピオンを輩出しているエンジンとなっている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを、2005年から現在までオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的である。またトヨタは関わってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身であるスペイン選手権の2001年以来現在までトヨタエンジンが使用されている。

トヨタ初のビッグフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。

2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。しかし2005年にNASCARに集中するとして撤退した。

F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。エンジンはウィリアムズにも供給された。しかしリーマン・ショックの影響で2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。

国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2018年現在までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、13年間のうちにドライバータイトル10回・チームタイトルを12回獲得している。

1963年(昭和38年)に初開催された日本GPにパブリカ、コロナ、クラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。

市販車ベースのレースでは、2000GTと1600GTやS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。

1970年代はカローラ / スプリンター、セリカ、スターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。

1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014~2016年はRC Fで1回、2017~2018年はLC500で1回ドライバーズチャンピオンを獲得している。

GT300クラスにもレクサスISやMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。

2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始。2018年にIMSA及びブランパン耐久で初優勝を挙げている。

2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。

2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。

トヨタ北米進出50周年でもある2007年には、最高峰にあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・エクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年の第4戦アトランタで、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。

2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初(アメリカ以外の自動車メーカーとしても初)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった。また同年トヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアがコカ・コーラ600で全400周中392周、588マイルというリードラップ最長記録を達成している。

2017年はシーズン前半は苦労したが、後半からトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人で13勝(トヨタ全体では19勝)を挙げる活躍を見せた。最終戦ではトゥーレックス・ジュニアが優勝し、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーの四冠を同時に達成した。

ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった。

パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』が哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した。

フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及びらの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。
日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。

ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している。

2018年11月に初開催された第1回グランツーリスモ選手権マニュファクチャラーシリーズに参戦し、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュを飾った。

2019年にTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格的に参入することを表明し、手始めにグランツーリスモSPORTとの協力により、新型GRスープラを用いたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催するとしている。

アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、大規模なワンメイクレースの運営を行っている。1981年には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年にはこれを引き継いで、ヴィッツやアルテッツァで参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として2018年現在も人気を博している。

2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長している。

フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産・ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴、小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004年からニュージーランドで、若手育成のためにF3相当のを開催し、ブレンドン・ハートレイ、アール・バンバー、ニック・キャシディらを輩出している。

またラリーでも2000年から、ワンデイ開催の初心者向けラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。2015年にWRC復帰を発表した後はWRCのための育成プログラムを立ち上げ、全日本ラリー王者の息子勝田貴元と新井大輝、コ・ドライバー王者の足立さやかを欧州で修行させている。

豊田章男が社長になって以降は特にモータースポーツを広報活動に積極的に用いており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でGRラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間やニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。

社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。