トヨタ新型スープラ3.0 SZ エアロトップの評判・スペック
ストーリー動画で見る
ストーリーならサクサク動画感覚でスープラの情報を見ることができます!
トヨタ スープラ 3.0 SZ エアロトップ
スープラのフロント外観(96年(H08)4月、MC時のフロント。仕様はグレードにより異なります)
スープラのリア外観(96年(H08)4月、MC時の3.0 RZ-Sのリア)
スープラの内装・インパネ(96年(H08)4月、MC時の3.0 RZ-Sのリア)
| メーカー | トヨタ |
| 車種 | スープラ |
| グレード | 3.0 SZ エアロトップ |
| 販売期間 | 1996年04月から 1997年07月 |
| 価格 | 3,190,000円 |
| エンジン |
エンジン:
直列6気筒DOHC 排気量: 2997cc 型式: E-JZA80 馬力: 225ps トルク: 29/4800 ミッション: 4AT バッテリー: 標 準:調査中 寒冷地:調査中 |
| タイヤ |
前輪:
225/50R16 後輪: 225/50R16 ホイールサイズ: (F)9Jx18+32/(R)10Jx18+40 駆動: FR 最小回転: 5.4m タイヤサイズ |
| 燃費 |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): 8.6km/L 燃料: ハイオク 実燃費: 6.57から 8.8 |
| ボディサイズ | 高さ: 1275 車幅: 1810 全長: 4520 |
| 乗車定員 | 4人 |
| 評価・レビュー |
外観:
4.5点 内観: 4.67点 スペック: 4.5点 エンジン: 4.5点 乗り心地: 4点 燃費: 2.67点 価格: 4.5点 |
| 中古車 |
1台 買取価格相場 車を売る |
トヨタスープラとは
トヨタが製造するスポーツカーの象徴ともいえる「スープラ」は、1993年に初代モデルが登場して以来、高い人気を誇り続けている。その起源は、トヨタとBMWの協業による共同開発であり、第5世代の最新モデルである2020年に復活を果たした。スープラの価格帯は一般的な市民からも手の届く範囲となるように設定され、運転していて楽しさを追求するユーザーに支持されている。 スープラはグレードによって様々な仕様が展開されており、スポーツ走行を楽しむための専用設計がなされている。エンジンの排気量は、2リッターから3リッターに及び、数々の改良が施されてきた。燃費についてはスポーツカーとしては優れており、エンジンのパワーに比例した出力を保ちつつも効率的な走行を実現している。また、馬力はグレードにより異なるが、どのモデルも力強い加速感を楽しむことができる。 スープラのタイヤサイズは、スポーツ走行に適したスポーツタイヤが標準装備されており、高速走行時の安定感を向上させている。その特徴的なデザインは、エアロダイナミクスを重視し、空力性能の向上に貢献している。また、インテリアもスポーティで洗練されたデザインが施されており、運転ポジションも考慮された快適性が感じられる。 スープラの人気の秘密は、そのスポーティーな外観と走行性能だけでなく、トヨタとBMWの技術協力によって生み出された高いクオリティにある。歴史的な名車としての地位を確立したことも人気の理由のひとつであり、愛好家からの根強い支持を受けている。 これらの要素が組み合わさったトヨタのスープラは、スポーツカーの魅力を十分に備えたモデルとして、世界中で愛され続けている。走りの楽しさ、デザインの魅力、そしてその歴史的な価値が融合した、まさにスポーツカー愛好家の心を掴む1台と言えるだろう。より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。
| 詳細項目 | スペック |
|---|---|
| 型式 | E-JZA80 |
| 最小回転半径 | 5.4m |
| 駆動方式 | FR |
| 全長×全幅×全高 | 4.52m×1.81m×1.28m |
| ドア数 | 3 |
| ホイールベース | 2.55m |
| ミッション | 4AT |
| 前トレッド/後トレッド | 1.52m/1.53m |
| AI-SHIFT | - |
| 室内(全長×全幅×全高) | 1.58m×1.48m×1.06m |
| 4WS | - |
| 車両重量 | 1470kg |
| シート列数 | 2 |
| 最大積載量 | -kg |
| 乗車定員 | 4名 |
| 車両総重量 | 1690kg |
| ミッション位置 | フロア |
| 最低地上高 | 0.13m |
| マニュアルモード | - |
| 標準色 | スーパーホワイトII、シルバーメタリック、ブラック、グレイッシュグリーンマイカメタリック、ダークグリーンマイカメタリック、ブルーマイカメタリック、スーパーレッドIV |
| オプション色 | - |
| 掲載コメント | - |
| エンジン型式 | 2JZ-GE |
| 環境対策エンジン | - |
| 種類 | 直列6気筒DOHC |
| 使用燃料 | ハイオク |
| 過給器 | - |
| 燃料タンク容量 | 70リットル |
| 可変気筒装置 | - |
| 燃費(10.15モード) | 8.6km/L |
| 総排気量 | 2997cc |
| 燃費(WLTCモード) | - |
| 燃費基準達成 | - |
| 最高出力 | 225ps |
| 最大トルク/回転数kg・m/rpm | 29/4800 |
| 福祉車両 | - |
| 大型ガラスルーフ | - |
| 片側電動スライドドア | - |
| サンルーフ | - |
| 両側電動スライドドア | - |
| ルーフレール | - |
| ドアイージークローザー | - |
| Tバールーフ | - |
| 電動バックドア | - |
| ルーフ系装備 | - |
| ディスチャージドランプ | - |
| タルガトップ | ◯ |
| フロントフォグランプ | ◯ |
| ハードトップ | - |
| リアフォグランプ | - |
| ソフトトップ | - |
| ヘッドライトウォッシャー | - |
| キャンバストップ | - |
| フロントスポイラー | ◯ |
| メタルトップ | - |
| リアスポイラー | △ |
| マグネシウムホイール | - |
| ローダウン | - |
| アルミホイール | ◯ |
| UVカットガラス | - |
| 片側スライドドア | - |
| プライバシーガラス | - |
| 両側スライドドア | - |
| 寒冷地仕様 | △ |
| ステアリング位置 | 右 |
| ステアリングステアリングギア方式 | パワーアシスト付ラック&ピニオン式 |
| ステアリングパワーステアリング | ◯ |
| ステアリングVGS/VGRS | - |
| サスペンション形式前 | ダブルウィッシュボーン |
| サスペンション形式後 | ダブルウィッシュボーン |
| 高性能サスペンション | - |
| タイヤサイズ前 | 225/50R16 |
| タイヤサイズ後 | 225/50R16 |
| ブレーキ形式前 | Vディスク式 |
| ブレーキ形式後 | Vディスク式 |
| ソナー | ◯ |
| 駐車支援システム | - |
| センターデフロック | ◯ |
| 横滑り防止装置 | - |
| トラクションコントロール | - |
| フロントカメラ | - |
| LSD(リミテッドスリップデフ) | - |
| サイドカメラ | - |
| ダウンヒルアシストコントロール | - |
| バックカメラ | - |
| AYC(アクティブ・ヨー・コントロール) | - |
| 頸部衝撃緩和ヘッドレスト | △ |
| SH-4WD | - |
| ABS | - |
| ISOFIX対応チャイルドシート固定バー | - |
| ブレーキアシスト | - |
| ビルドインチャイルド | - |
| アイドリングストップシステム | - |
| バケットシート | ABS(◯) |
| ランフラットタイヤ | - |
| 後退時連動式ドアミラー | - |
| エアサスペンション | - |
| レインセンサー | - |
| ブレーキ系装備 | - |
| インテリジェントAFS | - |
| 衝突軽減装置 | - |
| 盗難防止装置 | - |
| ナイトビジョン | - |
| セキュリティアラーム | - |
| レーンアシスト | - |
| ロードサービス | - |
| 車間距離自動制御システム | - |
| パワーウィンドウ | - |
| オットマン機構 | - |
| フルフラットシート | - |
| チップアップシート | - |
| 本革シート | |
| 電動サードシート | ◯ |
| フロントベンチシート | - |
| 床下ラゲージボックス | - |
| シートリフター | - |
| エンジンスタートボタン | - |
| シートポジションメモリー機能 | 一括可倒 |
| キーレスエントリー | - |
| 運転席パワーシート | - |
| ETC | △ |
| フロント両席パワーシート | - |
他の車種一覧やトヨタの別グレードを探すことができます。
トヨタ スープラの知っておきたい情報
スープラとは?
クリックで世界最大の辞書データベース「wikipedia」に記載されている「 トヨタ スープラ」の最新情報が見れます。
トヨタスープラの新車情報
トヨタスープラの最新情報まとめトヨタ・スープラ
スープラ(SUPRA)は、トヨタ自動車が製造・販売している上級スポーツカーである。
1970年代に北米で人気を博していたダットサン・フェアレディ280Zの対抗馬として、現地ディーラーからの直列6気筒クーペが欲しいという要望を受けて初代が開発された。この時はスペシャリティカー・グランツーリスモの位置づけであったが、代を重ねるごとにスポーツ路線へと舵を切り、トヨタブランドのフラッグシップスポーツカーにまで成長した。
2代目まではセリカのボディを直6エンジンに対応させた派生車種のような存在で、北米では『セリカ・スープラ』を名乗っていた。また日本国内向けはスープラを2代目まで名乗らず、『セリカXX』という名前でトヨタカローラ店から販売されていた。また5代目はGRブランドのブランド専用車として商品名『GRスープラ』を名乗る。
3・4代目はトヨタ・ソアラ、5代目はBMW・Z4とプラットフォームを共有している。
エンジンは初代から一貫して直列6気筒のみが搭載されていたが、2019年に復活した5代目ではそれに加えて直列4気筒エンジンも搭載される。
セリカXX/北米スープラの初代モデル。
当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。
セリカXX/北米スープラの2代目モデル。
日本国内仕様も1983年からドアミラーが認可された。
A70型よりセリカから独立、日本国内でも北米仕様と同じ「SUPRA」という車名を採用。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、1960年代の名車トヨタ・2000GTをイメージしていた。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用した兄弟車で、当初の主なエンジンは、2Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3Lターボの7M-GTEUであった。
1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディーの「3.0GTリミテッド」が追加された。
1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスクおよびテールライトのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様へ改良されパワーアップした。また3Lグレードは全て輸出仕様車と同様のワイドボディーとなった。
1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。
モデル末期の1990年8月に最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンを新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEに換装し、またサスペンションにドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。そのためグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称され、2.5Lモデルは、日本市場専用にラインナップされた。従来の3Lターボ仕様の7M-GTE搭載車は、引き続き北米および欧州市場で販売が継続された。また、外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。ちなみにこの「2.5GTツインターボ」は、当時のトヨタ車として初の280PSの5速MT設定車であり(AT仕様もあり)、当時の国産市販車の280PSクラスのレシプロエンジン車では2.5Lと最小排気量であった。
1991年8月には、ボディカラーの見直しが行なわれ、安全装備拡充として、リア3点式シートベルトやサイドドアビームを標準装備、SRSエアバックシステムを全車メーカーオプションとした。
また、全日本ツーリングカー選手権(グループA)のホモロゲーション取得用モデルとして7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「3.0GTターボA」が、1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売され、価格は405万1千円であった。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。吸入空気量測定方式を従来のLジェトロからDジェトロとした。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240PSから270PSにまでパワーアップされた。サスペンションはバネ定数やダンパーの減衰力を高め、前後スタビ径を拡大した専用のものに変更されている。
1993年4月 に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1993年5月 - 4代目と入れ替わって販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は9万385台。
搭載エンジンについて詳細は以下。
(※1)最高出力270PS/5,600rpm/最大トルク36.5kgf·m/4,400rpmのターボA仕様有り
「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月に販売開始された。日本では2代目にあたる。
シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。
エンジンは直6 3L 2JZ系に変更され、新開発の電子制御サブスロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)。
NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225PS、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボ(トヨタは「2ウェイツインターボ」と呼称)で、最高出力が280PS、最大トルクは44kgf·m(1993年 - 1996年)を発生した。
また、当時の日本産国内向け乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同開発)を搭載した。なお上級モデルには17インチタイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポット 後・対向2ポット)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。
1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール&大径ブレーキ(ABSも専用のスポーツABSとなる)装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-RはATの設定は無く、前期がアイシン製5速MTのみで後期よりSZ-R専用ギア比のゲトラグ製6速MTが標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。
1995年5月、一部改良。ボディカラーの見直し。
1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された。また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。
1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。同時に電子制御スロットルも「ETCS-i」へと変更されている。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス、相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ、左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフやクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。これ以外にもボディ補強などの小変更が行われた。
1998年8月、外板色 スーパーブライトイエローを追加。
1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)。
2002年7月、「平成12年度自動車排出ガス規制」に対応できなかったため(同一型式のエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
2002年8月、在庫対応分が完売し販売終了。販売期間中の新車登録台数の累計は3万1372台。
高剛性のボディや頑丈で強力なエンジンに加え、トヨタ車におけるスポーツフラッグシップ車であったことから、TRD等のメーカー直系だけでなく、他社からも多くのアフターパーツが発売された。チューニングの度合いによっては1000馬力を超えるほどのパワーを出すことすら可能であるため、2017年現在でもチューニングベースとして使用されることが多い。
また映画の初代ワイルド・スピードでは主人公のブライアンがスープラをメインに使っていたことから、北米ではカルト的な人気がある。
開発コード「J29」。2002年に生産を終了してから17年後に復活した5代目は、トヨタが2011年から技術提携を結ぶBMWとの共同開発車となる。開発責任者は“弟分”となる86(SUBARUとの共同開発)においても手腕を発揮した多田哲哉が担当した。車両のチューニングは成瀬弘の最後の(日本人以外の)直弟子であるドイツ人技師のヘルフィ・ダーネンスに一任されている。
BMWとの協業を行った理由としては、歴代モデルからの伝統となる「直列6気筒エンジン+後輪駆動(FR方式)」というパッケージングを実現するためであった。5代目の開発プロジェクトが始まった2012年当時に直列6気筒エンジンを世界で唯一製造していた自動車メーカーがBMWであったことが大きな要因となった。
開発コストの低減を考慮した結果、車両構成の基礎となるエンジンやシャシーなどのプラットフォームをBMW・Z4の第3世代モデル(G29型)と共有し、車両の製造に関してもZ4と同じくオーストリアの自動車製造会社であるマグナ・シュタイアが担当する。このため製造事業者はBMW(Bayerische Motoren Werke AG)名義で、トヨタは輸入販売元として位置付けられている。
Z4をハードトップにして外観デザインを変えただけの車と思われることも多いが、実際は開発の初期段階でエンジンやプラットフォームを共通にすることを決めた後は、両車とも完全に別々に開発を行っている。
トヨタのスポーツモデル専用ブランド「GR」初の専売車種であり、車名にも「GR」が冠された。したがって5代目スープラには『TOYOTA GR SUPRA』(トヨタ・ジーアール スープラ)の別名が与えられた。ただし国土交通省へ届け出た車種名はこれまで通りの『』であり、『GR SUPRA』はあくまで商品名となっているため、カタログにも車両名称ではないことが明記されている。
また他のGRブランドの車種は「車名+GR」となっているが、GRスープラは「GR」の専売であるため、「GR+車名」のネーミングが用いられ差別化されている。またGRスープラは、GRシリーズ初のグローバルモデルでもある。
正式な車両型式は「DB」であるが、開発当時から「A90」とも呼ばれておりトヨタ側も後述するモータースポーツのエントリーやカタログ等で「A90」の呼称を使用している。日本市場での販売はトヨタディーラーの4チャンネル全てで展開される。
BMWの「CLAR」プラットフォームを基礎としてBMWが設計を行い、各々の区切りごとにトヨタが目標値に照らし合わせながら設計図を確認し技術的な提案を行うという手法で開発が進められた。シャシーはホイールベースとトレッドの比率(走りの“黄金比”とも呼ばれる)を1.6以下にすることを目標に開発が行われた結果、目標値の1.6を大きく下回る1.55を実現した。そして4代目よりも旋回性能を向上させるべく、歴代モデルとしては初となる純2シーター化に踏み切った。これによってホイールベースが弟分となる86(2+2シーター)より100mmも短い2,470mmとなり、車両の前後重量配分比率が50:50となった。さらに水平対向エンジンを搭載して460mmの低重心化を実現した86よりも一層の低重心化が図られている。これらに加え86と比較して約2.5倍に向上させた車体剛性は、高価なCFRP(カーボンファイバー)素材を用いたレクサス・LFAをも凌駕する。また、車両の乾燥重量は1,410Kgから1,530kgと先代(A80型)とほぼ同数値となっている。
これによりエンジンはトヨタ製からBMW製を採用することになり、歴代モデルからの伝統となる直列6気筒エンジンに加えて(市販仕様車としては)史上初の直列4気筒エンジンが搭載される。6気筒エンジンは排気量2,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジンの「B58」シリーズで、日本仕様車の2019年型と北米仕様車の2020年モデル、そしてヨーロッパ仕様車では最高出力250kW(340PS)で最大トルクが500N·m(51Kgf·m)となる「B58B30-M1」型が採用された。そして後の年次改良で、排出ガス基準の厳しいヨーロッパ市場向け以外は最高出力が280kW(387PS)へ向上した「B58B30-O1」に換装されている。
4気筒エンジンは、排気量が1,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジン「B48B20」型で標準型145kW(197PS)・320N·mと高出力型190kW(258PS)・400N·mの異なる2種類のチューニングが施されたものが用意されている。なお4気筒エンジン搭載車に関しては、日本のように排気量で自動車税の税額を決定する地域に仕向けたものであり、そのような制度が存在しない北米においては展開されない。トランスミッションは6気筒、4気筒エンジン搭載車ともにZF製の8段変速ATである「8HP」型が組み合わされる。MTはトルク容量増大に伴うシフトフィールの悪化を懸念した多田(本人曰く、大排気量車のMTは「必要ですか?」「正直あまり楽しくない。86位のトルク容量が限界」)の意向により設定されておらず、MT需要は既存の86に任せる形を取った。
マフラーは騒音規制に合わせて仕向地ごとに合わせて開発されており、BMWからも評判が良かったことから兄弟車のZ4にもトヨタがスープラ向けに開発したマフラーが採用されている。またトヨタは低燃費車を多くラインナップに持つお陰でCAFE(メーカー別平均燃費)規制を余裕でクリアしているため、販売台数がトヨタ全体のそれから見たら「雀の涙」というGRスープラでは燃費目標には言及されていない。そのためガソリンを「無駄に」噴く過激なアフターファイアー(多田曰く「本当に無駄」)をGRスープラだけが実現できており、BMWからは羨ましがられているという。
正式に開発が始まってから最初の2年間は、車体の構成に不可欠な主要部品をBMWと共同開発したのちにトヨタ側は5代目スープラ、BMW側では第3世代型のZ4を開発するチームが別個に立ち上げられ、互いの車両の構想を練った後に共有できるものは両車種で共有するという、通常の自動車開発における手順とは異なる手法が執られた。そのため、バンパー等の外装デザインとサスペンション等のセットアップが僅かに違うだけの“双子車”であった86とスバル・BRZに比べ、各々で開発目標が異なる5代目スープラとZ4(G29型)では車体形状(スープラはクーペ、Z4はオープンカー)から大きく異なっている。
初代(A40/50型)より続く「ロングノーズ・ショートデッキ」と呼ばれるパッケージングを5代目でも踏襲した。これは車体前方部を長く車室内部分を短く構成するというFRの2ドアクーペ特有のもので、トヨタブランド車では1967年に発表・発売された2000GTから伝統的にFRの2ドアクーペ車で採用されてきたものである。全長は2シーター化によって先代(A80型)から140mm短縮され、それに伴いホイールベースも80mm短縮された。しかし全幅は55mm広くなり、全高は15mm - 2mm高くなっている。
安全性能においてはミリ波レーダー+単眼カメラ方式のプリクラッシュセーフティ、ブラインドスポットモニター、レーダークルーズコントロール(全車速追従機能付)、レーンディパーチャーアラート、リアフォグランプが全車に標準装備されている。
また、BMW純正の車載通信機が全車に標準搭載されており、iPhone専用アプリや専用ユーザーサイトを利用して車両の遠隔操作や確認が可能な「リモートサービス」、バッテリーの電圧低下を自動的にメールで通知する「バッテリーガード」といった専用コネクティッドサービス「Toyota Supra Connect」が提供されるほか、CarPlayに対応している。
さらに、販売店装着オプションとして、車両情報記録装置「Toyota GAZOO Racing Recorder」が用意されている。この装置はドライバーの操作情報(アクセル・ブレーキ・ステアリング・シフトポジションなど)、車速、エンジン回転数、加速度など各種センサーの値、および車両の位置と方位情報をSDメモリーカードに記録するデータロガーとなっており、SDメモリーカードに記録された情報は専用アプリを用いて表示することが可能なほか、トヨタが奨励する別売りのソニー製アクションカムの動画の場合は記録した情報と自動で時間同期して再生されるほか、Bing Maps上に走行軌跡を表示・再生することも可能である。また純正ホーンは渦巻き型が装着されているが、500Hzの高音側のみとなっている。
世界ラリー選手権(WRC)でグループB規定およびグループS構想が急遽廃止された際、グループAのセリカST165 GT-Four登場までの代役として1987年 - 1988年にスープラが参戦。元々ラリー向けの車両ではない・熟成の時間が取れない・FR車という三重苦の中、サファリ・ラリーで3位表彰台を獲得している。またWRC以外にも登場し、1987年にビョルン・ワルデガルドが香港ー北京ラリーで総合優勝を飾っている。
全日本ツーリングカー選手権(JTC)には1987年から参戦。デビュー戦で優勝を飾ったが、その後はレギュレーション変更によって重量増加がなされたため、フォード・シエラや日産・スカイラインに追従できず、1990年限りで撤退した。
北米のIMSAではトヨタのセミワークスであったオール・アメリカン・レーサーズ(AAR)が採用し、GTUクラスで10勝を挙げている。1991年にはオーストラリアで初開催されたバサースト12時間耐久レースに登場し、フォード・レーザー、三菱・ギャランなどを破って初代優勝車となった。
全日本GT選手権 - SUPER GTのGT500クラスで、日産・スカイラインGT-Rやホンダ・NSXと長きに渡る戦いを繰り広げた。2002年の生産終了後も2006年にレクサス・SCに交代するまで活躍し、1997年トムス、2001年セルモ、2002年チームルマン、2005年セルモの4度チャンピオンに輝いている。なおエンジンは1994年のデビュー2戦のみ2JZ-GTEであったが、翌年 直4ターボの3S-GTE、2003年からはV8 NAエンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またサスペンションなどは参戦当初においてトヨタ・TS010のパーツを流用したものに変更された。
耐久では1995・1996年にSARDがスープラLM-GTでル・マン24時間レースに参戦。2000年にはタイヤメーカーのファルケンがニュルブルクリンク24時間に参戦し、一時総合3位を走行したが、クラッシュによりリタイアした。2007年のスーパー耐久第3戦・十勝24時間レースでは、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rが参戦、総合優勝を果たした。これはトヨタ史上初のハイブリッドレーシングカーによるレース優勝でもあった。
ドリフトでも活躍し、織戸学のRS・RスープラがD1グランプリに参戦していたことが有名である。また2008年のD1ストリートリーガルにはセリカのフロント部を移植した車両が、松井有紀夫のドライブで参戦している。アメリカのフォーミュラ・ドリフトでも2017年現在も用いられている。
GRスープラは、市販車の発表よりも早くモータースポーツに絡めたプロモーションが行われており、2018年にはTMGがデザインしたLM-GTE仕様やNASCARエクスフィニティ・シリーズ仕様、2019年初頭にはGT500仕様、グループGT4仕様と、市販車発売前に4種類ものレーシングコンセプトカーが公式発表されている。市販車のプロトタイプも、2018年10月のVLN(ニュル耐久シリーズ)に「スープラA90」としてエントリーし、モリゾウ(豊田章男社長)含む3人のテストドライバーがドライブ。クラス2位で完走した。
D1グランプリでも、やはり市販より早く、川畑真人と斎藤太吾がドリフト仕様のGRスープラを公開。わずか42日の突貫作業で開発された斎藤のスープラは、心臓部にA80系の2JZ-GTEを搭載し、800psを発生する。
市販直後の2019年6月にはTOYOTA GAZOO Racingがニュルブルクリンク24時間のSP8Tクラスに投入。モリゾウを含むテストドライバー中心のラインナップだったが、総合41位・クラス3位で完走を果たしている。
また近年発展を遂げているe-Motorsportにも公式に参入し、グランツーリスモとの提携で『GR Supra GT Cup』を開幕している。
2020年からはGT500/GT300やスーパー耐久、韓国SUPERRACE CHAMPIONSHIPなどへの参戦、さらにTMG製グループGT4仕様の販売が開始されるなど、本格的にTOYOTA GAZOO Racingのアイコンとしての活動が始まる。なおGT500仕様ではレギュレーションの都合上、エンジンに2019年までレクサス・LC500に搭載されていたRI4AGを引き継いで搭載している。
トヨタ自動車のモータースポーツ
では、活動の歴史について記述する。レクサス、サイオン、GRなどの同社のブランドや豊田自動織機などトヨタグループの企業の活動に関してもここで述べる。
活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカー・ツーリングカー・GT・ラリー・フォーミュラカー・オフロード・ストックカー・ダートオーバル・ドラッグレース・ヒルクライム、ドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。
世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得。また北米ではデイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカー、NASCAR、IMSA、フォーミュラ・ドリフトなどシリーズ戦でもマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。
自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降は、トヨタのモータースポーツ活動はTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴として市販車開発とも強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている。
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工では第一回日本グランプリをきっかけに、自工・自販・ダイハツ・ヤマハ発動機・日本電装(現デンソー)のレース好きが集まる第7技術部(通称「ナナギ」)が発足。第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。
1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。
2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。
なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂。
しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった。
1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。
その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビン、セリカ、スープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。
1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ/ルイス・モヤ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。
1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組により、ST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。
1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。
このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。
1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。
2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラ組が復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。2018年には後半にオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤ組が3連勝を達成して終盤にマニュファクチャラーズランキング首位に浮上し、そのままタイトルを手中に収めた。
2018年終了時点の通算成績はドライバーズタイトル4回、マニュファクチャラーズタイトル4回、勝利数50勝である。
1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、のマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラ・タコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、、などの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。
北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーでダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2018年までの21回の開催中、6連覇を3度含む18回のクラス優勝を手にしている。
2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで最高峰クラスに挑戦、2019年に8台体制を敷いてきたMINIのワークス勢を破ってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメル組が念願の総合優勝を果たした。。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得している。
耐久性の高いトヨタ車はプライベーターチームの間でも人気があり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレット、カリーナ、カローラレビンなどが古くから参戦した。1982年には久保田勝/内田正洋組がカリーナ1500で市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝するという快挙を成し遂げた。
また2017年のダカールは、四輪車部門79台のうち36台がトヨタ車という人気ぶりであった。
ヴィッツの生産を担当している豊田自動織機がチームを組織して、ヴィッツによるラリー活動を行っている。同社の社員でもある天野智之/井上裕紀子組が猛威を振るい、同チームは9年連続でクラスチャンピオンを獲得している。
また「凄腕技能養成部」を編入したTOYOTA GAZOO Racingが2015年から参戦し、スポーツCVTの研究やヴィッツGRMNによる挑戦をしている。
トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。
トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。
翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。
翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。
1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。
1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢とトムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。
1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C(1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。
1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦。1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人の小河等が優勝している。同年のル・マンでは関谷正徳が日本人で初めて総合2位表彰台に上がった。
1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝を獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードがスープラでGT1クラスに参戦したが、クラス8位・15位に終わった。
1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。
その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年にハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。
TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。
2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。
2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。
2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。
2017年のル・マンは三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。WECシリーズを通してはル・マン以降は劣勢であったもののその後挽回し、タイトルには届かなかったが、優勝回数でポルシェを上回った。
2018年のル・マンはTS050二台体制で出場し、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋一貴の8号車が優勝、小林可夢偉らの7号車が2位となり、20回目の挑戦にして初めてル・マン総合優勝を成し遂げた。日本メーカーとしてはマツダ(マツダ・787B)以来27年ぶり2度目、日本人ドライバーとしては荒聖治(チーム郷、アウディ・R8)以来14年ぶり3度目のル・マン総合優勝であり、日本メーカーの車両に日本人ドライバーが搭乗して優勝するのは初めてであった。
1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。
1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。
1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入。ライバルが戦意喪失して撤退するほどの勝ちまくりぶりで、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。
2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。
ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している
2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。
2007年にはTeam Gazooとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。
2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。
2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。
2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。
2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。
2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。
2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。
2018年はSP-PROクラスに研究開発目的のレクサス・LCを投入。トラブルに見舞われながらも完走を果たした。
フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。
1980年代にはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場し、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年にアイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた
。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いており、最もチャンピオンを輩出しているエンジンとなっている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを、2005年から現在までオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的である。またトヨタは関わってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身であるスペイン選手権の2001年以来現在までトヨタエンジンが使用されている。
トヨタ初のビッグフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。
2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。しかし2005年にNASCARに集中するとして撤退した。
F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。エンジンはウィリアムズにも供給された。しかしリーマン・ショックの影響で2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。
国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2018年現在までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、13年間のうちにドライバータイトル10回・チームタイトルを12回獲得している。
1963年(昭和38年)に初開催された日本GPにパブリカ、コロナ、クラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。
市販車ベースのレースでは、2000GTと1600GTやS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。
1970年代はカローラ / スプリンター、セリカ、スターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。
1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014~2016年はRC Fで1回、2017~2018年はLC500で1回ドライバーズチャンピオンを獲得している。
GT300クラスにもレクサスISやMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。
2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始。2018年にIMSA及びブランパン耐久で初優勝を挙げている。
2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。
2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。
トヨタ北米進出50周年でもある2007年には、最高峰にあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・エクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年の第4戦アトランタで、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。
2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初(アメリカ以外の自動車メーカーとしても初)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった。また同年トヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアがコカ・コーラ600で全400周中392周、588マイルというリードラップ最長記録を達成している。
2017年はシーズン前半は苦労したが、後半からトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人で13勝(トヨタ全体では19勝)を挙げる活躍を見せた。最終戦ではトゥーレックス・ジュニアが優勝し、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーの四冠を同時に達成した。
ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった。
パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』が哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した。
フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及びらの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。
日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。
ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している。
2018年11月に初開催された第1回グランツーリスモ選手権マニュファクチャラーシリーズに参戦し、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュを飾った。
2019年にTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格的に参入することを表明し、手始めにグランツーリスモSPORTとの協力により、新型GRスープラを用いたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催するとしている。
アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、大規模なワンメイクレースの運営を行っている。1981年には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年にはこれを引き継いで、ヴィッツやアルテッツァで参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として2018年現在も人気を博している。
2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長している。
フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産・ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴、小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004年からニュージーランドで、若手育成のためにF3相当のを開催し、ブレンドン・ハートレイ、アール・バンバー、ニック・キャシディらを輩出している。
またラリーでも2000年から、ワンデイ開催の初心者向けラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。2015年にWRC復帰を発表した後はWRCのための育成プログラムを立ち上げ、全日本ラリー王者の息子勝田貴元と新井大輝、コ・ドライバー王者の足立さやかを欧州で修行させている。
豊田章男が社長になって以降は特にモータースポーツを広報活動に積極的に用いており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でGRラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間やニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。
社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。