スバル新型ステラ660 カスタムR タイプS スマートアシスト アルファ 4WDの評判・スペック

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スバル ステラ 660 カスタムR タイプS スマートアシスト アルファ 4WD

ステラのフロント外観(13年(H25)1月、FMC時のフロント。仕様はグレードにより異なります)

ステラのリア外観(13年(H25)1月、FMC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

ステラの内装・インパネ(13年(H25)1月、FMC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

メーカー スバル
車種 ステラ
グレード 660 カスタムR タイプS スマートアシスト アルファ 4WD
販売期間 2014年05月から 2014年11月
価格 1,439,352円
エンジン エンジン: 直列3気筒DOHC
排気量: 658cc
型式: DBA-LA110F
馬力: 52ps
トルク: 60(6.1)/5200
ミッション: CVT バッテリー: 標 準:M42 寒冷地:M42
タイヤ 前輪: 165/55R15
後輪: 165/55R15
ホイールサイズ: (F)4.5Jx14+45/(R)4.5Jx14+45
駆動: 4WD
最小回転: 4.4m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): 26(km/L)
燃費(10•15): -
燃料: レギュラー
実燃費: 12.3から 24.14
ボディサイズ 高さ: 1620 車幅: 1475 全長: 3395
乗車定員 4人
評価・レビュー 外観: 3.49点
内観: 2.91点
スペック: 3.23点
エンジン: 3.26点
乗り心地: 3.79点
燃費: 3.3点
価格: 3.32点
中古車 1台
買取価格相場
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スバルステラとは

スバルが製造したコンパクトカー「ステラ」は、2006年に初代が発売されました。当初の価格は100万円前後と比較的手頃な価格設定で、幅広い層に支持されました。グレードは基本的な「RA」から、より装備が充実した「RS」や「RSリミテッド」まで幅広く展開されていました。車体サイズは全長が約3.4mと小回りが利き、都市部での使いやすさが特徴でした。 エンジンには660ccの水平対向4気筒エンジンが搭載され、軽快な走りを実現しました。燃費も優れており、1Lあたり20km以上を走行するモデルも多く、燃費重視のユーザーから支持を得ていました。最高出力は最大50馬力程度で、足回りやボディ剛性がしっかりしているので、街乗りからワインディングロードまで幅広いシーンで楽しめる車でした。 タイヤサイズは14インチが標準となっており、普段使いから長距離ドライブまで安定した走行が可能でした。内装はシンプルで使いやすく、収納スペースも豊富で実用性に優れた造りとなっていました。また、特に後部座席が広く、乗員全員が快適な空間で過ごせるのも魅力の一つでした。 ステラはコンパクトなボディにも関わらず、十分な居住空間を確保したデザインが受け、ファミリーカーとしての需要も高かったです。軽自動車とは思えない広々とした室内は、荷物の多い家族にとってもストレスなく利用できる点が好評でした。都市部での使い勝手の良さや経済性、室内空間の広さなど、多彩な魅力を持つステラは、スバルが誇る人気モデルの一つであり、多くのユーザーに愛された車種です。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式DBA-LA110F
最小回転半径4.4m
駆動方式4WD
全長×全幅×全高3.4m×1.48m×1.62m
ドア数5
ホイールベース2.46m
ミッションCVT
前トレッド/後トレッド1.31m/1.27m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)2.13m×1.35m×1.28m
4WS-
車両重量870kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員4名
車両総重量1090kg
ミッション位置インパネ
最低地上高0.15m
マニュアルモード-
標準色ブライトシルバー・メタリック、ブラック・マイカメタリック、ファインブルー・マイカメタリック、シャンパンゴールド・メタリックII、タングステン・グレーメタリック、ファイアークォーツレッド・メタリック
オプション色パール・ホワイトIII、アーバンナイトブルークリスタルM
掲載コメント-
エンジン型式KF
環境対策エンジンH17年基準 ☆☆☆☆
種類直列3気筒DOHC
使用燃料レギュラー
過給器-
燃料タンク容量34リットル
可変気筒装置-
燃費(JC08モード)26km/L
総排気量658cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成H27年度燃費基準+20%達成車
最高出力52ps
最大トルク/回転数n・m(kg・m)/rpm60(6.1)/5200
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ-
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ◯
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー◯
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール◯
UVカットガラス◯
片側スライドドア-
プライバシーガラス◯
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ストラット式
サスペンション形式後3リンク式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前165/55R15
タイヤサイズ後165/55R15
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ドラム式
ソナー◯
駐車支援システム-
センターデフロック◯
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ◯
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ◯
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー-
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートEBD付きABS(◯)
ランフラットタイヤ◯
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー◯
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス◯
車間距離自動制御システム◯
パワーウィンドウ◯
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC-
フロント両席パワーシート-

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スバル ステラの知っておきたい情報

スバルとは?
ステラとは?

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スバルステラの新車情報

スバルステラの最新情報まとめ

スバル・ステラ

スバル・ステラ

ステラ(STELLA)は、SUBARU(旧・富士重工業)が販売する軽トールワゴンである。初代モデルは自社製、2代目以降はダイハツ工業製。

ステラはプレオの後継車に近い存在として発売されたが、ステラ発売後もしばらくプレオは併売された。「楽しい関係空間」をコンセプトとし、広い室内空間を実現した。従来の走りやプレミアに重点を置いた路線から、メインターゲットを女性にシフトして1000名以上からアンケートをとり、乗り心地の向上に加え「ベビーカーの乗せやすさ」「後席への乗りやすさ」「チャイルドシートへの乗せやすさ」「後席赤ちゃんへのアクセス」などに重点をおいて開発された。

衝突安全性と実燃費の向上も図られ、NASVA発表の衝突安全性総合評価では運転席5星、助手席6星の評価を受けている。また、2008年5月発売の特別仕様車にはカタログに新燃費計測基準であるJC08モード走行燃費を併記。NAの2WD車で21.0km/L(JC08モード)を実現し、平成27年度燃費基準をガソリン車として初めて達成した。

また、同社の660cc軽自動車全て(OEM車両を除く)に搭載されていた直列4気筒エンジン、4輪独立サスペンション(前後ストラット式)が採用され、フルタイムAWDモデルも存在した。

プラットフォームはR2とほぼ共通。内装やエンジンルーム、メーターパネルなどにベースとなったR2の面影が残る。プレオの陳腐化と、R2がメーカーの公算ほどヒットしなかった事から急遽開発が指示され、設計開始から発売開始まで1年足らず(わずか11か月)という異例のスピードで開発された車種である。

なお、プレオでいうスマートルーフ車の様な仕様は存在せず、どのグレードも機械式立体駐車場(制限高1550mmまでの一般的なもの)へは入庫はできない。

また、2009年6月4日には電気自動車「プラグイン ステラ」が正式発表された(後述)。R2、R1の生産・販売終了後は、同社で自社生産している唯一の軽乗用車であったが、初代モデルは2011年4月末にオーダーストップ、および生産を終了。そして同年5月下旬をもって販売を終了した。初代モデルの販売終了直後に販売を開始した2代目モデルはダイハツ工業からのOEMモデルとなり、2014年12月にベース車のムーヴのフルモデルチェンジに合わせてフルモデルチェンジを行い3代目となった。なお、自社生産を行っていた初代から現行の3代目まで乗用モデルのみの設定となっており、商用モデル(軽ボンネットバン)は設定されていない。

2006年発売開始当初のラインナップは標準モデル(L・LX)とカスタム(R・RS)の2系統でスタートしたが、2011年3月の段階では標準モデル(L・LS)、カスタム(R・R Limited・RS)、リベスタ(-・S)の3系統だった。生産は群馬製作所本工場が担当。
内装色は、基本的に標準モデルがベージュ、カスタムがブラック、リベスタがブロンズ色加飾付ブラックを採用。外装は、標準モデルはシンプルなデザイン、カスタムは専用のグリルやバンパー、4灯式プロジェクターヘッドライト、大型フォグランプを採用してデザイン面で差別化を図っている。リベスタはカスタムのデザインをベースに、専用バンパー、フロントグリル、ブルーリフレクターヘッドライトなどインテリア、専用シート表皮などを採用。また、C型よりカスタム、リベスタにクールなインテリアを演出する青色LED間接照明付きオーバーヘッドコンソールが設定された。

タコメーター、マフラーカッターはLを除く全車に標準装備。トランスミッションはi-CVTと5速MT(Lグレードのみ選択可)であり、エンジンは全車直列4気筒DOHC16バルブ。ヘッドライトは、標準モデルのハロゲンタイプが2灯式マルチリフレクター、HIDタイプが2灯式プロジェクター、カスタムとリベスタが4灯式プロジェクターとなっている。

動力性能を向上させたLS、カスタムRS、リベスタSには、インタークーラー付きスーパーチャージャーとフロントスタビライザーが搭載され、更にスポーツ色を強めたカスタムRS、リベスタSにはi-CVTの変速プログラムに加速性能を向上させた「スポーツモード」、独立3眼エレクトロルミネセントメーターが標準装備されている。使用燃料はすべてのグレードでレギュラーガソリン仕様である。
富士重工側は、2010年度の販売台数を前年比6割減と見込んでいた。しかし、実際は予想を上回る販売台数であったため、販売計画を上方修正した。この時すでに2011年2月頃の生産終了が予定されていたが、独自のメカニズム(全グレードに、一連の軽トールワゴンとしては大変貴重な4輪独立懸架及び4気筒エンジンを採用し、上位グレードには更にスーパーチャージャー等を採用した事が挙げられる。)にこだわりのある熱心なファン層による駆け込み需要であったと思われる。このことは2010年6月初頭にメディアで報じられた。

この代からは前節の通り、初代発売以来5年間続けられてきたスバルでの自社生産ではなく、2008年4月10日に発表されたトヨタ自動車・ダイハツ工業(以下ダイハツ)との業務提携強化の一環として、ダイハツ・ムーヴ(5代目)をベースにバッジエンジニアリング(OEM)供給を受けたモデルである。生産はムーヴ同様にダイハツ工業滋賀工場(第2地区)もしくは京都工場。

2代目はベース車のムーヴに倣い、ノーマルタイプの「ステラ」とスポーティータイプの「ステラカスタム」の2タイプを設定した。また、先代に存在していたリベスタはカスタムに吸収される形で廃止された。

「ステラ」ではクリアタイプのフェンダーターンランプに変更され、メーターはシンプルで視認性に優れた大型1眼メーター(「L Limited アイドリングストップ」にはメーター右側にアイドリングストップ専用マルチインフォメーションディスプレイを追加)、ヘッドランプにはマルチリフレクターヘッドランプを備える。「ステラカスタム」はブラックの内装色でメーターは中央にecoリーフゲージ(エコドライブ度を葉の形状の変化で知らせる)・平均燃費・渡航可能距離・外気温を切替表示する「マルチインフォメーションディスプレイを配置した2眼ルミネセントメーター(「カスタムRS」はエコドライブ時、メーターのエッジライト色が白からブルーに変わる「ブルーecoシグナルメーター」付)、ヘッドランプはLEDイルミネーションを内蔵したプロジェクター式HIDヘッドランプを備える。なお、後期型ではカスタムにおいてルミネセントメーターがタコメーター付の3眼メーターに変更された。2013年10月に追加された「LS」もタコメーター付の3眼ルミネセントメーターを装備するが、アンバー色・シルバーメーターリング付仕様となる(カスタムはブルー色・メッキ調メーターリング付仕様)。

ムーヴ同様、横開き式バックドアを採用した最後の軽トールワゴンである。

発売当初のグレード体系は、「ステラ」は「L(ムーヴ「L」相当)」と「L Limited アイドリングストップ(同「X」相当)」の2グレード、「ステラカスタム」は「R(ムーヴカスタム「X」相当)」、「R Limited S(ムーヴカスタム「XLimited」相当。ただし、メモリーナビゲーションが装備されない代用に、「RS」に装着される15インチアルミホイールが標準装備という違いがあり、装備差により価格が異なる)」、「R Limited アイドリングストップ(同「G」相当、2011年11月の一部改良後は同「XLimited」相当)の3グレードが設定され、ムーヴの「XLimited」相当のグレードはステラでは設定されなかった。「カスタム」のターボ車「RS(ムーヴカスタム「RS」相当)」も当初は設定されなかったが、2011年8月に追加設定された。

後期型では新たに「L スマートアシスト(ムーヴ「LSA」相当)」、「L Limited スマートアシスト(同「XSA」相当)」、「カスタム R スマートアシスト(ムーヴカスタム「XSA」相当)」の3グレードを追加する一方、「カスタム R Limited」を廃止。この為、ムーヴカスタムの「XLimited」・「XLimited SA」に相当のグレードは設定されない。2013年7月には「カスタム RS スマートアシスト(ムーヴカスタム「RSSA」相当)」を追加。同年10月に「カスタムRS」と同じターボエンジンを搭載した「ステラ」のターボ車「LS(ムーヴ「Xターボ」相当)」・「LS スマートアシスト(同「XターボSA」相当)」を追加した。

前期型は運転席シートリフター、チルトステアリング(ムーヴでは「L」・「X」は非装備、「カスタムX」はチルトステアリングのみ非装備)、フロントスタビライザー(「カスタムRS」は大径スタビライザー)、クリヤーレンズサイドウインカーが標準装備されているほか、「L」はムーヴ「L」ではオプション設定不可の「nanoe(ナノイー)」ディフューザーもオプション設定されている。「L Limited アイドリングストップ」はステアリングホイールがムーヴ「X」の革巻からウレタンに変更され、オーディオレス仕様となる。これ以外にもメーカーオプションの設定にも違いがある。

後期型では、「L」以外の全グレードでオーディオレス仕様に、「L」は前期型同様、チルトステアリングと運転席シートリフターが標準装備(ムーヴ「L」は非装備)され、「カスタム R」・「カスタム R スマートアシスト」はステアリングホイールが本革巻に変更(ムーヴカスタム「X」・「XSA」はウレタン)、「カスタム RS」・「カスタム RS スマートアシスト」は16cmリアスピーカーが標準装備される(ムーヴカスタム「RS」・「RSSA」はオプション設定)。

外観は前期型ではダイハツからOEM供給を受けているスバルの軽乗用車と同じく六連星(むつらぼし)のCIマークや車名エンブレムの変更を行い、「ステラカスタム」はフロントデザイン(グリル・バンパー)を変更した程度で大きな差異がなかったが、後期型では「ステラ」にスバル車の共通デザインとなっているヘキサゴンモチーフのフロントバンパー開口部を、「ステラカスタム」にダーク色でハニカム基調のテクスチャーをクリアパーツで覆った専用デザインのフロントグリルやブラック塗装の大型フォグランプカバー、「ステラ」より大型化したヘキサゴンモチーフデザインのフロントバンパー開口部を採用し、「ムーヴ」・「ムーヴカスタム」と一層の差別化を図った。2013年10月に追加した「LS」はムーヴ「Xターボ」同様、ボンネットダクトが備わる。

ボディカラーはムーヴと異なるラインナップとなっており、発売当初はダイハツでは2代目タントに設定されている「ファインブルー・マイカメタリック」をステラ専用カラーとして設定されており、ムーヴ専用色の「ホワイト」とムーヴカスタム専用色の「ブロンズオリーブパールメタリック(オプションカラー、マイナーチェンジに伴い2012年12月で廃止)」はステラでは設定されない。当初は「アーバンナイトブルークリスタル・メタリック(オプションカラー)」もステラでは非設定となっていたが、2011年8月の「カスタムRS」追加発売に合わせてステラカスタム専用色として追加され、後期型では標準仕様のステラでも設定できるようになった。「シルキーマルーンクリスタル・メタリック(オプションカラー)」も2011年8月に追加設定されたが、マイナーチェンジに伴い2012年12月で廃止した(ムーヴでは2013年10月の一部改良に伴う廃止まで継続設定された)。その他、後期型ではこれまでステラ専用色だった「シャンパンゴールド・メタリックII」がステラカスタムでも設定できるようになり、ステラカスタムは専用色の「スパークリングオレンジクリスタル・メタリック」に替わり、新色の「タングステングレー・メタリック」を設定した。2013年7月にムーヴ側でボディカラーの差し替えが行われた関係で、ステラ専用カラーが「ファインブルー・マイカメタリック」から「シャンパンゴールド・メタリックII」となった。同年10月にはダイハツでは3代目タントに設定されている「ファイアークオーツレッド・メタリック」と「プラムブラウンクリスタル・マイカ(オプションカラー)」の2色を追加したが、後者はステラのみの設定である(ステラ専用カラーの「シャンパンゴールド・メタリックII」が設定されている為。ムーヴの場合はカスタムでも設定可能である)。

2代目に引き続いてムーヴをベースにOEM供給を受けるモデルで、ベース車であるムーヴの6代目へのフルモデルチェンジに合わせて3代目へフルモデルチェンジした。ノーマルタイプの「ステラ」とスポーティータイプの「ステラカスタム」の2タイプ構成は2代目(ひいては歴代ムーヴ)から踏襲される。

「ステラ」はリアコンビランプを縦型3本の導光線デザインに変更したほか、内装はダークグレー×ホワイト×グレージュの3トーンインテリアを採用しており、ブラック内装の「ブラックインテリアセレクション(ムーヴでの「ブラックインテリアパック」に相当)」をオプションで設定(本オプションを設定した場合、メッキインナードアハンドルが追加されるほか、「L/Lスマートアシスト」、「G/Gスマートアシスト」には本革巻きステアリングも追加される)。また、大型メーターにはタコメーターが追加された。

「ステラカスタム」はヘッドランプに加えてクリアランスランプやフォグランプもLED化され、専用仕様のリアスポイラーとリアゲートを採用。メーターは2眼メーターに軽自動車初となる4.2インチTFTカラー液晶のマルチインフォメーションディスプレイを搭載し、インパネガーニッシュはヘアライン調シルバーを採用した。

また、バックドアは2代目の横開き式から、初代と同じ跳ね上げ式に戻された。

発売当初、グレード体系はステラは「L(ムーヴ「L」相当)」、「G(同「X」相当)」、「GS(同「Xターボ」相当)」の3グレード、ステラカスタムは「R(ムーヴカスタム「X」相当)」と「RS(同「RS」相当)」の計5グレードを基本としており、全グレードにスマートアシスト付グレードを設定する。ステラの「G」と「GS」は元々、2014年5月に発売された2代目の特別仕様車のグレード名として用いていたが、3代目では、「L Limited」・「LS」に替わるカタロググレードに昇格した。ムーヴカスタムに新設された「ハイパー」系グレードに関してはステラカスタムでは単独のグレード名としては設定されないが、ムーヴカスタム「ハイパー」系グレードの専用装備品をひとまとめにしたセットオプション「プレミアムセレクション」が代わりに設定される。

2016年6月の一部改良により、ステラの「GS(スマートアシスト付仕様を含む)」が廃止(ムーヴ「Xターボ」・「XターボSA II」は継続設定、2017年8月のマイナーチェンジにより、「XターボSA III」のみとなる)、ステラカスタムにエントリーグレードの「F(ムーヴカスタム「XSpecial」相当)」が追加され、ステラカスタムは3グレードとなった。

2017年8月のマイナーチェンジで、ステラの「G」、ステラカスタムの「F」・「R」・「RS」が廃止され、ステラは「L」・「L スマートアシスト(ムーヴ「LSA III」相当)」・「G スマートアシスト(同「XSA III」相当)」の3グレードに、ステラカスタムは「R スマートアシスト(ムーヴカスタム「XLimited SA III」相当)」と「RS スマートアシスト(同「RSハイパー SA III」相当)」の2グレードの計5グレードとなった。

2020年8月の一部改良で、ステラの「L」、ステラカスタムの「RS スマートアシスト」が廃止されて3グレードに整理され、「スマートアシスト」非搭載グレードやターボ車が廃止された(OEM元のムーヴでは、「スマートアシスト」非搭載グレードやターボ車が引き続き設定されている)。

装備内容は2代目とは異なり、6代目ムーヴと基本的な装備内容を共通化した。これにより、ムーヴとステラの車両本体価格の価格差が無くなり、同一価格となった。

ただし、メーカーオプションの設定範囲がムーヴよりも絞られており、ムーヴでは設定できるメーカーオプションの一部装備がステラではグレードによりメーカーオプション設定を設けていない装備がある。

外観は2代目・後期型同様、六連星のCIマークや車名エンブレムの変更に加えてステラ専用のデザインが与えられている。

2014年12月発売型では、ステラはフロントグリルをダークメタリック塗装とメッキ加飾を施した3本ラインデザインとなり、フロントバンパーはスバル車の特徴であるヘキサゴンモチーフを継承した造形を採用。ステラカスタムはフロントグリルをスモーク調のアクリルタイプとなり、フロントバンパーはヘキサゴンモチーフデザインの開口部を採用したデザインを2代目から踏襲し、フォグランプカバーもL字のメッキアクセントを採用した専用デザインとなった。

2017年8月のマイナーチェンジではステラカスタムにおいてデザインを変更。フロントグリルは直線基調の造形としたダークメッキ仕様に、また、フロントバンパーを新デザインに変更したほかヘッドランプは多灯式LED(ハイ&ロービーム)となった。また、「カスタムRS スマートアシスト」では、LEDライナーを装備し、15インチアルミホイールのデザインを変更した。

ボディカラーは2代目同様、ムーヴ専用色の「ホワイト」がステラでは設定されない違いがあるものの、これ以外のカラーは発売当初はムーヴと共通化された。また、ムーヴで新設定となった2トーンカラーはステラでも同一のカラーバリエーション(ステラは2色、ステラカスタムは5色)で設定可能であったが、2016年6月の一部改良により、ステラカスタム専用(「カスタムF」を除く)設定となった。
ステラはイタリア語で「星」の意味。

リベスタは「RE」+「VESTA」の造語。「VESTA」は、太陽系の火星と木星の間にある小惑星の一つであり、他の小惑星に比較して格段に明るいため、古代ローマの炉の女神ウェスタにちなんで名付けられた(詳細は「ベスタ (小惑星)」を参照)。「明るく輝くベース車がカスタマイズによってあらためて輝きを増しているという意を込められている。


SUBARU

SUBARU

株式会社SUBARU(スバル、)は、日本の自動車などを製造する重工業の会社である。

かつての商号は、「富士重工業株式会社」(ふじじゅうこうぎょう、略称:富士重(ふじじゅう)・富士重工(ふじじゅうこう)、、略称:FHI)であったが、2017年4月1日に自動車のブランド名として広く浸透していた「SUBARU(スバル)」に由来する「株式会社SUBARU」に商号を変更した。

日本の自動車メーカーとしては古い歴史を持ち、国内規模は小さいながらもレガシィシリーズ、フォレスター、インプレッサシリーズなどで世界的人気・知名度の高い自動車メーカーの一つである。特に同社のアイデンティティである4輪独立懸架や水平対向エンジンの技術は北米を始めとする海外で高く評価されており、中古車の輸出も盛んに行われている。なお、愛媛県四国中央市に本社を置く紙加工メーカーのスバル株式会社とは社名が似ているが無関係である。

1917年(大正6年)5月、中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現:太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とする。太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機(1945年(昭和20年)に富士産業と改称)がプリンス自動車工業と共に解体されたのが 、富士重工業のルーツである。

軍需から非軍需産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により1953年(昭和28年)に富士重工業を設立。1955年(昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。

1958年(昭和33年)発売の軽乗用車「スバル・360」と、その派生型である1961年(昭和36年)発売の軽商用車「スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立。その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。

中島飛行機は、主として太平洋戦争敗戦まで陸海軍の需要に応え、軍用機および航空用エンジン開発・製造に取り組んだメーカーである。三菱重工業、川崎航空機と並ぶ、日本最大規模の航空機製造会社であった。

特に技師長小山悌の指揮下、陸軍(陸軍航空部隊)の歴代主力戦闘機・九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」など、多数の著名な軍用機を送り出した。実戦投入は成らなかったが、日本初のジェットエンジン搭載機「橘花」の機体製造も中島の手に依っている。

航空発動機部門では、軍用ゆえの生産性や戦闘における生存性、前線での整備性などから空冷星型エンジンにほぼ特化しており、一式戦「隼」や零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された「榮(ハ25)」、四式戦「疾風」や「紫電改」に搭載された「誉(ハ45)」などを開発した。

日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに富士産業と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などの金属製品を作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。

このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、進駐軍の兵士たちが当時移動に利用していたアメリカ製のスクーター「パウエル」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた陸上爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用して試作、1947年(昭和22年)に「ラビットスクーター」として発売した。ラビットは運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、会社の基盤を支える重要な商品となった。ラビットシリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の1968年(昭和43年)まで生産された。

また航空機製造で培った板金・木工技術を活用し、1946年(昭和21年)からバスボディ架装にも進出、特に従前のボンネットバスより床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに1949年(昭和24年)にはアメリカ製リアエンジンバスにならい、得意の航空機製造技術を生かした、日本初のモノコックボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスより更にスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流はリアエンジンへ移行していった。

このようにして非軍需産業へ転進した富士産業であったが、1950年(昭和25年)8月、当時の政策によって財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。

1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。1952年(昭和27年)4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還が始まった。富士工業(太田、三鷹工場)、富士自動車工業(伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、1952年(昭和27年)12月、大宮富士工業(大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。

同じ頃、1953年(昭和28年)の保安庁(現:防衛省)予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、ビーチ・エアクラフトT-34 メンターの製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速させた。1953年(昭和28年)5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛(宇都宮工場)が新たに再合同に参加することが決まり、1953年(昭和28年)7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社富士重工業株式会社が発足した。因みに丸の中に6つの星が描かれたSUBARUのロゴマークは、この「5社が集まって1つの大きな会社になった」ことを示している。

1954年(昭和29年)9月、6社が合併契約書に調印。1955年(昭和30年)4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に富士重工業株式会社としてスタートした(当時の資本金:8億3050万円、従業員:5,643名)。ロゴは「富士重工」で、「重」の1画目がない形になっており、長らく使用された。

旧・中島飛行機の発動機開発の拠点で、荻窪工場と浜松工場を引き継いだ富士精密工業は、中島飛行機再合同の動きが本格化した1952年(昭和27年)には、事実上、既にタイヤメーカーのブリヂストンの資本下に入っており、再合同には参加しなかった。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業など3社は、後に富士重工業の関連会社として加わっている。

富士重工業は、1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は1965年(昭和40年)に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年(昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである。

1966年(昭和41年)、それまで東京・丸の内の内外ビルディングに所在していた本社機能が新宿駅西口(新宿区西新宿)に自社建設した「新宿スバルビル」に移転する。

この節では自動車部門について述べる。

レオーネを発売した1970年代初頭から、本格的なアメリカ市場への進出を開始。オイルショックや排気ガス規制などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の円安を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。

1968年(昭和43年)から1999年(平成11年)まではメインバンク(日本興業銀行/現: みずほ銀行)が同じ日産自動車と提携、日産・チェリー、パルサー、サニーなどの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていた。しかし、これら横置きエンジンの受託車両とスバル車とはボディ骨格からが大きく異なるため、設計や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。
一方、水面下では、インプレッサの企画段階において直列4気筒を横置きした試作車が作られ、水平対向の制約から逃れて「広い意味での汎用性」に重きを置く商品政策に舵を切る動きもあった。

1968年2月に(スバル・オブ・アメリカ)設立、同年イスラエル進出を皮切りに(エピソード欄も参照)、1970年代中盤から、南米、オーストラリアを中心としたアジア・オセアニア地方、中東、ヨーロッパなどにも進出。1970年代以前には年産10万台にも満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし、順調に企業規模を拡大した。

1985年(昭和60年)9月のプラザ合意以降の急激な円高とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。1987年(昭和62年)、いすゞ自動車との共同出資で、スバル・イスズ・オートモーティブ (SIA)を設立して現地生産も開始したが、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、1989年には300億円もの営業赤字に転落。深刻な経営危機が報じられるまでになった。

しかし、折からの「バブル景気」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、1989年1月、レガシィの発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。1990年(平成2年)には日産ディーゼル(現UDトラックス)の経営再建に手腕を発揮した川合勇の下で地道なコスト削減努力が続けられた。WRCへの出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産100万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。

バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、2000年(平成12年)に放出株全てがゼネラルモーターズ(GM)に売却された。

2005年(平成17年)10月5日にはGMの業績悪化に伴い、GMが保有する富士重工株20%を全て放出。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が引き受けて筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。トヨタとの資本提携によるスバルの恩恵は大きく、稼働率の下がっていたスバルの北米工場で「トヨタ・カムリ」の生産を請け負ったり、品質管理やコストダウンの方法を学んだりするなどして利益率を高めた。また北米特化の車作りに転換する一方で、風力発電事業や軽自動車生産から撤退するなどの「選択と集中」を進めた。軽自動車保有層の受け皿としてダイハツ工業車のOEMを受け、販売を継続することとした。こうした努力が2015年の利益率業界1位に繋がっている。また2012年の「86/BRZ」の生産・販売も、トヨタとの提携を生かそうと模索していたことがきっかけであった。

2010年(平成22年)8月、東京都新宿区の本社ビル(新宿スバルビル)が老朽化したことなどに伴い、建物を小田急電鉄に売却した上で、本社機能を東京都渋谷区恵比寿の東京スバルの本社が入っていた「エビススバルビル(旧)」の跡地に新たに建て替える「エビススバルビル(新)」へ移転させることを発表。2014年(平成26年)8月18日、本社移転が完了した。なお、エビススバルビル(新)の一角はスバル恵比寿ショールーム(スバル スター スクエア)および東京スバル恵比寿店として機能する。

2013年(平成23年)1月、ロボット開発で国からの補助金を不正受給していたことが判明し、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から計8億250万円の返還処分及び補助金交付停止処分を受ける。

2016年(平成28年)5月、2017年(平成29年)4月1日付で社名を「富士重工業株式会社」から「株式会社SUBARU」に変更することを臨時取締役会で決議した。

2016年10月1日、産業機器部門が自動車部門に統合された。その後、12月7日に「2017年9月30日をもって事業を終息し、一部技術資産と米国販売子会社10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」と正式に発表した。これにより、SUBARUは今後自動車生産と航空関連に特化した企業となり、商号変更とともに新時代を迎えることとなる。

米紙『シカゴ・トリビューン』では、スバルの北米市場での成功は、四輪駆動と安全性が裏付ける確かな商品群を、適正価格で販売できるからだと指摘している。『東洋経済』によると、米国における在庫回転期間は、他社が概して2か月のところスバルは半月程度に過ぎず、販売奨励金は570ドルであり、1000ドル以下は異例と報じている。

2019年にはトヨタが出資比率を20.00%に増加させて持分法適用会社(=関連会社)となり、同時にスバルもトヨタの株を持ち合って連携を強化した。また、EVのSUVのプラットフォームをトヨタと共同開発することも発表されている。

1953年(昭和28年)9月、富士重工業はビーチ・エアクラフト社と「T-34 メンター」の製造ライセンス契約に調印。1955年(昭和30年)10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入を開始した。さらに1957年(昭和32年)11月、戦後初の国産ジェット機「T-1 (練習機)(初鷹)」の開発に成功。中等練習機として1963年(昭和38年)までに66機を防衛庁(現: 防衛省)に納入した。

1965年(昭和40年)8月、民間向け軽飛行機FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌1966年(昭和41年)10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。

戦後初の国産旅客機「YS-11」の開発にも参加。主翼桁と尾翼を担当。この経験はのちに、1973年(昭和48年)12月、アメリカ・ボーイング社とボーイング747の生産分担契約に結実し、1974年(昭和49年)には新世代旅客機ボーイング767の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。

一方で1974年(昭和49年)、富士重工業は米国のロックウェル・インターナショナル社と双発ビジネス機FA-300の共同開発を開始。1975年(昭和50年)11月に初飛行に成功、1977年(昭和52年)から販売を開始した。しかし、オイルショックの打撃によりロックウェル社が軽飛行機事業から撤退し計画は頓挫。FA-300は僅か42機で生産を打ち切り、富士重工業も小型機の自社開発を断念する結果となった。

以上のように民需(民間機)については限定された実績にとどまるが、官需(もっぱら陸海空の各自衛隊機)については「T-34」や「T-1」の後も順調に実績を重ねてきた。詳細は#航空宇宙部門の節を参照。民間機についても、1990年代以後の潮流として増えてきている国際・複数企業による共同開発にいくつか関与している。

主力のSUBARU群馬製作所とその矢島工場がある群馬県太田市と、大泉工場がある同県大泉町は周辺を含めて下請け企業も多く、企業城下町となっている(「太田市#産業」「大泉町#産業」参照)。そこで働くために南米日系人らが多く移り住み、太田市と大泉町は外国人集住都市会議のメンバーとなるなど地域社会への影響は大きい。群馬製作所の本工場所在地は地名もスバル町となっている。

太田市と同じ両毛エリアには、研究開発部門としてスバル研究実験センター(栃木県佐野市)を有する。同センターの美深試験場(北海道美深町)には、走行試験や運転支援技術などの開発に使うテストコースを備えている。

日本と並ぶ主要市場であるアメリカ合衆国では、現地生産を行っている。
日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、防衛省向け航空機の製造・開発及び定期整備やボーイング社向け分担生産を中心とし、その他 海上保安庁、消防や警察向けのヘリコプターの生産・整備も広く行っている。中でも固定翼機の主翼製造には業界屈指の技術と品質を誇り、ボーイングからボーイング787の開発に関わる企業の中で特に高度な能力を持つサプライヤーとして高く評価する表彰を受けているほか、対潜哨戒機P-1や輸送機C-2など(主に主翼を製造)の国内開発でも大きく貢献している。
40m超の主翼製造能力・設備は世界でもボーイングやエアバスに次ぐレベルである。

複合材製品についても、世界屈指の技術力を持つ。複合材料の実機適用は国内メーカーの先駆的役割を果たしている。

民間分野ではYS-11開発参加やFA-200販売で国産機の実績を積んでいる。

無人航空機の開発にも積極的であり、標的機や無人偵察機など自衛隊向けの機体を主とし、将来の無人機の活躍を見据えた複数の新型無人機開発に関わっている。任務多様化、機能高度化に向け、様々な技術を研究・開発中である。

さらには宇宙航空研究開発機構(JAXA)の超音速実験機D-SENDの製造・開発や航空自衛隊の先進技術実証機(後のX-2)の主翼・尾翼製造・開発など日本の航空宇宙産業発展のための高度な先進技術の研究開発にも数多く参加し、実績を残している。

現在は各種環境用プラント設備のみを生産している。それ以外の製品については後述。
1946年(昭和21年)に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」(1949年(昭和24年))の開発に成功。後に富士自動車工業となり、「スバル360」等の開発を行ない、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。この分野では「スバル」ブランドを使っておらず、エンブレムとしてもプレアデス星団をあしらったスバルのエンブレムではなく、カタカナの「フ」の字をあしらったエンブレムを使用している(右の写真を参照)。一時期は民生デイゼル→日産ディーゼル(現・UDトラックス)を中心に大型自動車メーカー5社のバス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体メーカーの系列化(子会社での生産)で生産台数が減少した。

ピークとなる1980年(昭和55年)には1日12台を製造、年間では2,393台を生産したが、バス事業の環境変化から1993年(平成5年)以降は赤字状態となっていた。1998年(平成10年)に三菱ふそうと日野自動車の架装から撤退、2002年(平成14年)1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を西日本車体工業(西工、福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所で行なっていたバス車体架装事業を終了する決定をした。

このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数のいすゞ自動車を最後に2003年(平成15年)3月31日で生産を終えた。3月28日には「バス最終生産車出荷式」が執り行われ、東濃鉄道納入の日産ディーゼル大型観光バスを送り出し、バス車体事業部門の解散式となった。1946年(昭和21年)以来、57年間続いたバス車体事業は累計生産数8万1,292台もって終止符を打った。なお、国内向けだけではなく、海外向けにも6,000両以上が出荷された。

またABボルボのシャシーを輸入し、アステローペシリーズと連節バスを製造していたが、これらも2000年(平成12年)に生産が終了している。なお、伊勢崎製作所はその後スバルカスタマイズ工房(現:桐生工業伊勢崎工場)となり、販売済みの車両に対するアフターサービスを行なっている。

1950年(昭和25年)頃から主に客車と気動車を旧国鉄やJR、私鉄、第三セクター向けに、また、群馬・栃木県内に路線を持つ東武鉄道向けには電車を生産していた。生産両数の減少により2002年(平成14年)5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた鉄道車両事業を終える決定をした。2003年(平成15年)2月に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。JR四国2000系気動車などの振り子式気動車は大半が富士重工製。

鉄道車両事業の最終製造車は甘木鉄道AR300形AR303号車となった。最後に製造された電車は東武30000系電車(31406Fの4両)。

なお、先述の伊勢崎事業所でも、東京都電2500形8両のうち昭和34年製造分の6両製造していた。この2500形は、当初軌間1,067mmの第14系統杉並線専用に杉並電車営業所へ配属された電車で、台車はD-10Nという戦前の車両のものを再利用している。1963年(昭和38年)11月23日の都電杉並線・杉並電車営業所廃止後は荒川電車営業所へ移送され、しばらく留置の後に改軌のうえ営業復帰。さらに事故廃車の1両を除く7両が早稲田電車営業所に転属し、昭和43年9月に除籍・廃車となった。
他、も参照。
他、も参照。

も参照。

他、も参照。
なお、富士重工業は、2016年10月1日をもって自動車部門の競争力強化のため、産業機器カンパニーをスバル自動車部門に統合し、既存商品の製造、販売、サービスに特化した上で、開発案件の停止による人員の自動車部門への配置転換など、将来的には事業縮小・撤退の意向であると発表した。
そして2016年12月7日、「2017年9月30日付けで事業終了とし、一部技術資産と米国販売子会社を10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」旨を正式に発表した。
SUBARUでは、建設現場向けの仮設ユニットハウス、小型のプレハブ住宅を製造していた。以前は通信販売で名高いセシールでも扱っていたことがある。

2004年に富士ハウレン株式会社へ分社化し、2011年に社名を富士重工ハウス株式会社に変更されたが、2020年3月2日付で子会社のスバルファイナンス保有分も含めた全株式がユアサ商事へ譲渡されたと同時に、富士クオリティハウス株式会社へ商号変更された。
1998年、富士重工会長・社長の川合勇と専務取締役の小暮泰之が、海上自衛隊の救難飛行艇開発をめぐり賄賂を提供していたとして逮捕され、辞任する事件が起きた。賄賂を受け取った国会議員は富士重工の前身「中島飛行機」の創業者の一族、中島洋次郎元衆院議員であったが、2000年9月に懲役2年の実刑判決を受けた。しかし精神不安定に陥っていた中島は2001年に首を吊り自殺した。富士重工側の2人は2006年に執行猶予つきの懲役刑が言い渡された。

1996年(平成8年)、滋賀県にて「レガシィ」がブレーキの故障によって正面衝突する事故を起こした。警察は捜査の結果、同様のトラブルが1994年1月、岡山・千葉両県で発生し、本社に苦情が寄せられたが内密に処理されていたことが判明。1997年(平成9年)には工場を取り調べた警察によって欠陥隠しが判明。ブレーキ以外にも多岐にわたる不具合が発覚し、警察から警告を受けたスバルは11車種147万台についてリコールを届け出た。1998年(平成10年)、東京地方裁判所は富士重工業に過料140万円(7件分)の支払いを命じた。また、事故発生の危険性を十分認識しながら運輸省(当時)にリコールを届けなかったため事故が起きたとして、富士重工業の当時の品質保証本部の幹部2人を業務上過失傷害容疑で大津地方検察庁に書類送検した。2000年(平成12年)に大津地検は業務上過失傷害罪で同社の品質管理責任者だった2人を略式起訴、一週間後に罰金各50万円の略式命令が下った。

2017年(平成29年)9月には「サンバー」62万台がリコールとなったが、リコール対象は1999年2012年生産(6代目)と古くに及ぶことに加え、多数の不具合報告と2013年(平成25年)、2015年(平成27年)と2度の行政指導があったにも関わらず遅いリコールとなったため、サンバー所有者の不信を招いた。これについてスバルは「プーリーが外側に出ない構造であった」「対応に時間がかかった」としている。

2012年、クリーンロボット事業部において不正経理が行われていたと共に、経済産業省や行政法人からの委託事業・補助金事業について不正が行われていたと発表した。不正経理は2004年から2011年の間に行われ、架空発注の元に2億円以上の資金を不当にスバルから引き出し、主にクリーンロボット部部長が私的に流用していた。スバルは元クリーンロボット部部長を栃木県に刑事告訴した。

1984年に運輸省での「レオーネ」の型式認定試験の際、事前の提出書類の数値よりも実際の車重が軽くなってしまったため、密かに重りとなる鉛数十kgを前後バンパーに詰めていたことが発覚。これにより「レオーネ」の販売開始が遅れ、生産計画に混乱が生じた。

2017年9月に日産自動車が起こした無資格検査問題に伴い、自動車企業各社で調査がされた結果、スバルは群馬工場で30年以上にわたって無資格で検査をしていたことが判明した。「BRZ」の兄弟車でスバルが生産を担当する「トヨタ・86」を含めて直近3年間の25.5万台がリコールとなった。

問題になった完成検査は日本国内車のみに適用されるもので、大別して①保安基準検査と②型式検査に分かれる。②型式検査の方法は各企業で異なるものの、国土交通省に申請し認可を受けた方法である必要があり、また①保安基準検査の基準と手法は全社共通である。完成検査員は、各企業内で「当該検査に必要な知識及び技能を有する者のうちからあらかじめ指名された者(=資格取得者)」が行う必要があった。スバルでは、まず有資格者の監督下で無資格者が検査を行う→独り立ちして一定期間業務→筆記試験受験→資格取得という流れであったが、この「独り立ち」の時点では誰も監督していなかったことが問題とされた。また独り立ち期間中に完成検査員の印章を借りて押印することも常態的に行われていたという。また同年12月に国土交通省に提出された調査報告書によると、研修自体が十分な時間に満たなかったことや、筆記試験で試験官が答えを教えるなどの不正をしていたことも判明。さらに国土交通省の立ち入り検査の際は、無資格者を意図的に現場から外すなどの隠蔽工作も慢性化していたことが分かった。日産の不正と合わせて日本の完成検査制度の信頼が崩れたことで、貿易自由化交渉や経済連携への悪影響が懸念される。

佃モビリティ総研の佃義夫所長は国内の販売が減少状況で、メーカーは国が定めた点検手順を費用のみがかかる形式的な行為だとしていたと分析している。また韓国の『中央日報』は他国には無いもので、十分に監督されるわけでもない規制が問題の一端を提供したのだと日本が不要な規制を設けていたことを批判した。ジャーナリストの井元康一郎は、既に完成検査の基準を凌駕する品質が確保されているため実際の検査を修業に使う行為や、現場の意見が強くルールも工場ごとの流儀で決まり経営側も改革を進められないなど、自動車製造など日本の古典的な製造業に由来する現象だと指摘している。

上述の無資格検査が発覚した際、燃費の不正もあるという報告を受けて外部弁護士に調査を依頼したところ、同検査の一部である、抜き取りによる燃費検査と排ガス検査においてデータ書き換えが行われていたことが2018年3月に発覚した。燃費の検査行為は道路運送車両法の保安基準の対象外(=自主的なもの)である一方、排ガスの検査は対象内であるため同法に抵触する可能性がある。いずれも基準値の範囲内であるとして、リコールは行わない見込みであるが、これらの一連の問題を受けて吉永社長は会長職へ退いた。

翌4月に提出された報告書によると、少なくとも2012年12月から2017年11月までの間に903台において検査員および班長によるデータの書き換えがあった。また同期間以前のデータは既に無いが、「2002年から不正が行われていた」という証言もあり、同報告書はその可能性は否定できないとした。

同年9月には、加えてブレーキ検査でのデータ改ざんも発覚。こうした不正の一部は1990年代前半から行われていたとされる。さらに同年11月に、これらの検査不正は発覚後も一年の間(同年10月まで)行われていたことが判明。追加で10万台のリコールが発表され、一連の不正によるリコールは53万台に膨れ上がった。

2018年10月25日にエンジンの部品が壊れる恐れがあるとして、複数の車種について大規模なリコール(回収・無償修理)を近く国土交通省に届け出ることが明らかとなり、国内のみならず、海外で販売した車種にも影響が及ぶ可能性があるとしている。対象は少なくとも数十万台にのぼる模様となる見込み。バルブスプリングというエンジン部品が不具合を起こし、エンジンの作動に影響が出る恐れがあり、日米の市場で販売した戦略車種が対象になるとみられる。また、トヨタ自動車と共同開発したスポーツカーの「BRZ」、およびその同型車種となる「トヨタ・86」もリコール対象に含まれる。

2019年1月16日から国内唯一の完成車工場である群馬製作所(群馬県太田市)の操業を全車種で停止した。部品メーカーから調達している電動パワーステアリングに、不具合が見つかり、原因の究明を優先した。28日からの操業再開を準備しているが納車の遅れや新たなリコール対策などの影響が懸念される。

2019年1月28日から、不具合の恐れがある電動パワーステアリング(EPS)について対策を施したEPSの調達に一定のめどをつけたため工場を再稼働した。当面は1日の生産台数を減らして品質優先での操業となる。出荷済みの車については、リコールの有無などを検討する。

2019年1月31日、生産停止の原因となった電動パワーステアリングの不具合で「フォレスター」など3車種計約780台をリコールすると国土交通省に届け出た。リコール対象は他に「SUBARU XV」と「インプレッサ」で、2018年(平成30年)12月28日~2019年(平成31年)1月16日製作分。また、国内向け約780台のリコールに加え、海外向けに生産した計約1万4千台についても、リコールや部品交換を検討すると明らかにした。

2019年1月24日に、2016年に過労自殺した男性社員の代理人が会見し、2015年から2017年にかけて、社員3421人に計7億7千万円の残業代を払っていなかったことが判明した。過労自殺の社内調査で2018年1月までには判明していたが、「(調査結果を)隠すような意図はなく、公表すべきだとは認識していなかった」(広報)としている。1年間にわたり問題を公表しなかったことになり、企業姿勢が問われる事態になっている。

作詞は富士重工業の元社員。作曲は團伊玖磨。富士重工業時代に創立10周年記念として制定された社歌である。

SUBARUへの社名変更に際して「社歌を変えないでほしい」という従業員の声を受けて、社名変更後も社歌として使われることとなったが、富士重工業時代の歌詞には「富士重工」を連呼するパートがあるため、その部分は作詞者の了承を得た上で「わがスバル」に置き換えられた。

トヨタとの資本提携が決まった時、トヨタの豊田章一郎や渡辺捷昭から言われた言葉である。また「これ以上、(トヨタの得意ゾーンの)円に入ってくれば即座にたたきつぶしますから、そのつもりで」とも言われたという。

軽自動車生産からの撤退についてスバルの吉永は「ウチの規模で軽に開発リソースを割くよりも、世界で売れる車に特化する。勇気ある決断でも何でも無い。合理的に考えれば軽は撤退しかなかった」と語っている。

1967年に勃発した第三次中東戦争を受け、国連安保理はイスラエルに対し占領地区の開放を勧告する決議を採択した。世界中の企業がこれに呼応して貿易ボイコットを開始、翌1968年にはトヨタ・日産・本田技研が出荷停止するなど日欧の自動車メーカーも追随した。一方、時を同じくしてラビットスクーターが生産終了することとなり、以前からラビットをイスラエルへ輸入していた業者はこれを受けてスバル360に着目し、さっそく同1968年より取扱い始めた。彼らは翌1969年に現地企業(英)Japanauto Israel Auto Corporating Ltd.を設立、同年からff-1も販売開始。後にレオーネが主力商品となった。こうした経緯から、(非公式にではあるが)富士重工業は海外初進出国として
同国への輸出を開始することとなった。加えて、当時は輸入車の多くが排気量やボディ形状の関係で高額な関税が課せられており庶民向けの選択肢が小型車に限られていた中、小排気量ながら比較的大きな車体を備えたスバル車は同国民の需要にも合致した。この結果、ダイハツ工業が1983年に輸出解禁するまでの10年以上に渡り、同国の乗用車市場において大きなシェアを獲得する結果となった。1988年、三菱自工が現地法人を設立したのを皮切りに輸出再開が相次いだのに加え、90年代には韓国車の輸出攻勢も始まった結果、富士重工業のシェアは非常に小さいものとなっている。なお、本エピソードを下敷きとして、映画「ピンク・スバル」が2010年に製作された。

詳細は「スバリスト」を参照

スバリスト(英語:Subie)は自動車メーカーSUBARUが製造する自動車の愛好家のこと。スバル主義者。