ホンダ新型オデッセイ2.4 Lの評判・スペック

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ホンダ オデッセイ 2.4 L

オデッセイのフロント外観(03年(H15)10月、FMC時の2.4 アブソルートのフロント)

オデッセイのリア外観(03年(H15)10月、FMC時の2.4 Lのリア)

オデッセイの内装・インパネ(03年(H15)10月、FMC時の2.4 Lのリア)

メーカー ホンダ
車種 オデッセイ
グレード 2.4 L
販売期間 2003年10月から 2004年11月
価格 2,750,000円
エンジン エンジン: 直列4気筒DOHC
排気量: 2354cc
型式: UA-RB1
馬力: 160ps
トルク: 218(22.2)/4500
ミッション: CVT バッテリー: 標 準:Q85 寒冷地:Q85
タイヤ 前輪: 215/60R16
後輪: 215/60R16
ホイールサイズ: (F)7Jx17+55/(R)7Jx17+55
駆動: FF
最小回転: 5.4m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): 12.2km/L
燃料: レギュラー
実燃費: 5.68から 24.11
ボディサイズ 高さ: 1550 車幅: 1800 全長: 4765
乗車定員 7人
評価・レビュー 外観: 4.45点
内観: 3.92点
スペック: 4.51点
エンジン: 4.36点
乗り心地: 3.5点
燃費: 3.79点
価格: 3.77点
中古車 3台
買取価格相場
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ホンダオデッセイとは

ホンダが製造するミニバン、「オデッセイ」は、1994年に初代が発売され、現在は5代目が販売されています。価格帯は中から上級層をターゲットにしたもので、日本国内市場を中心に、幅広いニーズに対応するラインナップが展開されています。グレードは、ベーシックなものから上級装備が充実したものまであり、使い勝手や快適性に応じて選択することができます。 エンジンは、3.5リッターV6エンジンを搭載し、最高出力は280馬力を誇ります。このパワフルなエンジンを活かすため、スムーズな走行と力強い加速を実現しています。また、燃費面では効率の良いエンジンを採用し、ミニバンとしては優れた燃費性能を持っています。 オデッセイの特徴としては、広々とした室内空間が挙げられます。乗員や荷物を快適に運ぶための使い勝手の良さが評価されており、家族連れやビジネス利用に適した車種として人気を集めています。さらに、快適な乗り心地や上質な内装、豊富な装備など、ユーザーのニーズに応えるための工夫が施されています。 オデッセイの人気の秘密は、そのバランスの良さにあります。パワフルな走行性能と快適な室内空間、使い勝手の良さが絶妙に組み合わさっており、幅広いユーザーから支持されています。ホンダが培ってきた技術と信頼性が、オデッセイの高評価につながっています。 総合的な評価から見て、オデッセイはホンダのミニバンとして確固たる地位を築いており、数々のユーザーから支持を受けている車種と言えます。その多彩なグレード展開や優れた走行性能、快適性、安全性など、幅広い要素がバランスよく備わっており、ミニバンとしての実用性と快適性を兼ね備えています。オデッセイは、ホンダの技術と信頼性を体現した一台であり、多くのユーザーに愛されている車種です。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式UA-RB1
最小回転半径5.4m
駆動方式FF
全長×全幅×全高4.77m×1.8m×1.55m
ドア数5
ホイールベース2.83m
ミッションCVT
前トレッド/後トレッド1.56m/1.56m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)2.79m×1.54m×1.22m
4WS-
車両重量1660kg
シート列数3
最大積載量-kg
乗車定員7名
車両総重量-kg
ミッション位置インパネ
最低地上高0.16m
マニュアルモード◯
標準色サテンシルバー・メタリック、ナイトホークブラック・パール、メテオールシルバー・メタリック、ロイヤルルビーレッド・パール、デザートミスト・メタリック、インディゴブルー・パール、グレイッシュモーブ・メタリック
オプション色プレミアムホワイト・パール
掲載コメント-
エンジン型式K24A
環境対策エンジンH12年基準 ☆☆☆
種類直列4気筒DOHC
使用燃料レギュラー
過給器-
燃料タンク容量65リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)12.2km/L
総排気量2354cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力160ps
最大トルク/回転数n・m(kg・m)/rpm218(22.2)/4500
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ△
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア△
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ◯
タルガトップ-
フロントフォグランプ-
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー◯
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール◯
UVカットガラス◯
片側スライドドア-
プライバシーガラス◯
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ダブルウィッシュボーン
サスペンション形式後ダブルウィッシュボーン
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前215/60R16
タイヤサイズ後215/60R16
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ディスク式
ソナー◯
駐車支援システム-
センターデフロック◯
横滑り防止装置-
トラクションコントロール◯
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)◯
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー△
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド◯
アイドリングストップシステム-
バケットシートEBD付きABS(◯)
ランフラットタイヤ◯
後退時連動式ドアミラー◯
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン◯
セキュリティアラーム-
レーンアシスト△
ロードサービス-
車間距離自動制御システム◯
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシートQQコール(△)
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート分割可倒
ETC△
フロント両席パワーシート◯

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ホンダ オデッセイの知っておきたい情報

ホンダとは?
オデッセイとは?

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ホンダオデッセイの新車情報

ホンダオデッセイの最新情報まとめ

ホンダ・オデッセイ

ホンダ・オデッセイ

オデッセイ()は、本田技研工業が生産・販売する高級ミニバンである。

1994年に初代モデルが発売され、現行型は5代目である。ホンダが提唱した「クリエイティブ・ムーバー(生活創造車)」の第1弾として発売された初代から現在までヒットを続けており、ホンダの基幹車種のひとつに位置付けられている。

当時のホンダは、いすゞ自動車からビッグホーンのOEM供給を受けホライゾンとして細々と販売していた程度で、「RVを持っていないのが致命的」と言われるほどセダン・クーペ以外の車種展開に出遅れ、業績が低迷していた。

そんな中、開発費の厳しい制約からアコードのプラットフォームを用いて開発を行ったオデッセイは、発売間もなく同社の業績を回復させるほどの大ヒットとなり、同時期に販売されていた他社の類似車種と共に低ルーフミニバンブームの火付け役となった。ボディサイズをアコードと同じ生産ラインに流せる限界のサイズとし、当時のワンボックスカーでは常識であった後席スライドドアを採用できなかったことによる感覚や、4輪ダブルウィッシュボーンによる走りの良さが評価され、日本での大ヒットに繋がったとされる。ファミリー層のユーザーだけではなく、当時ホンダが生産していたスポーツモデルからの乗り換えユーザーからも人気を得た。

乗用車ベースのミニバンとしてセダン同等の運動性能を持つほか、3代目以降は「低床」「低重心」をキャッチコピーとし、なおかつセダンよりも広い室内空間を売りにしている。また、初代 - 4代目までは一般的なセダン型乗用車と同様、前ヒンジドアを採用していたが、5代目モデルではエリシオンとの統合による更なる低床化と車高アップに伴い、両側スライドドアに変更された。

3列目シートの床下収納機構がシリーズ通しての特徴で、3代目では電動格納式(一部グレードに標準装備またはオプション設定)のものも採用されていた。

1994年10月20日に発表された(発売は翌10月21日)。

発売当初の月販目標台数は4,000台程度と控え目であったが、予想外の大ヒットにより後に生産ラインが増強された。当時のミニバンにはない独特な乗用車的プロポーションが特徴であった。シフトレバーは、コラムシフトを採用し、前席から後席へのウォークスルーを可能にしていた。

エンジンはF22B型のみの設定で、アコードに設定されていたVTEC仕様は後のマイナーチェンジの際に採用された。トランスミッションは「プロスマテック(TYPE II)」と呼ばれる4速ATが搭載された。増加した車重に対して最終減速比を高めたためエンジン回転数は若干高めであり、以後のモデルに対して燃費が劣る。

ホンダの同排気量クラスの車の中では珍しく、タコメーターが標準装備されなかったため、発売開始から半年後には純正オプションとして用意された。グレード体系は「B」・「S」・「L」の3グレードで、「B」は7人乗り仕様のみ、「S」と「L」は6人乗り仕様と7人乗り仕様が選べる。

それまで、排気量2L以上の3ナンバー普通自動車クラスの販売台数では、長年の首位を維持していたトヨタ・クラウンを抜き去り、1995年には、12万5,590台の販売台数を記録。1994年には日本カー・オブ・ザ・イヤーの特別賞を、1995年にはRJCカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ヒットを後押ししたのはハード面だけでなく、当時、映画化された『アダムスファミリー』の出演者を総動員した販売戦略としてのソフト面での成功もある。

初代は北米や欧州でも発売されたが(欧州では「シャトル」という名前で販売)、アメリカ人の感覚では「小さい、狭い、非力(日本国内では大きいとされる3ナンバー車で、2.2Lエンジンが搭載されていても)」と判断され、よりパワフルなV6エンジン搭載モデルの登場を挟んで、ラグレイトが北米仕様の2代目オデッセイとなり、独自の進化を遂げている。また、欧州市場ではディーゼルエンジン車とマニュアルトランスミッション車の設定が無かったことが災いし、販売は振るわなかった。

日本国内では、日の丸自動車グループの日の丸リムジンがワゴンタクシーとして採用したほか(現在は2012年秋から4代目が採用されている)、北米では(現地のタクシーとしては)小排気量で非力だが燃費が良く荷物が積めて効率性に優れるとして、いすゞ自動車にOEM供給されたオアシスと併せてニューヨークのイエローキャブに採用されていた。

1999年10月18日、同年10月23日から開催された第33回東京モーターショーで出品されるプロトタイプの概要を発表し、12月2日にフルモデルチェンジを発表(発売は2.3L車(S・M・L)が翌12月3日、V6 3.0L車(VG・VZ)は少し遅れて2000年1月21日)。初代の大ヒットを受け、デザインやコンセプトなどは共通化されたが、先代よりスポーティー志向の走りとなった。

エンジンは先代の後期型と同様のF23A型とJ30A型の2種類だが、J30A型は200PSから210PSと若干のスペック向上が図られている。トランスミッションは4速AT(2.3L)と5速AT(3.0L)が適用された。シフトレバーはそれまでのコラム式からインパネに移動され、同じコンポーネンツを持つアヴァンシアと異なり、Sマチック付きのゲート式を採用。エンジンの種類に関わらず、それぞれ6人乗りと7人乗りが設定された。

中国やオーストラリアなどでも発売された。中国仕様のみリアバンパーの運転席(左)側にリアフォグランプを装備している。先代まで販売が行われていた北米地域では、代わりとしてより大型な現地生産車が「オデッセイ」の名称を引き継いで発売され、日本でも後に「ラグレイト」として販売が行われた。

2003年10月17日、フルモデルチェンジを発表(発売は10月24日)。新開発の低床プラットフォームにより、ミニバンとしては異例である機械式立体駐車場へ入庫可能の1,550mm(四輪駆動車は1,570mm)という低全高スタイルとしながら、3列シート7名乗車のシートレイアウトを実現した。車名ロゴは初代から継続されていた「ODYSSEY」から「OdyssEy」に変更された。

エンジンは、アコードなどと共通のK24A型(標準:160PS、アブソルート:200PS)の2種類のみとなり、先代まで続いたV6エンジンを搭載した「プレステージ」を廃止した。「アブソルート」のエンジンはボア・ストロークは他仕様と同一であるが、プレミアムガソリン仕様に改められた上で圧縮比が高められている。トランスミッションは「M」と「L」のFFには7速マニュアルモード付CVTを、「アブソルート」や「S」および「M」「L」の4WD車には5速ATを搭載。また、上級グレードにはオプションで4代目アコードワゴンに採用されている電動式リアテールゲートが装備され、「L」には電動格納3列目シートが標準装備された。乗員定数は7人乗りのみ。タイヤ・ホイールは「アブソルート」が前後17インチホイールを、その他のモデルは前後16インチホイールが装着された。

ミニバンとは異なる運動性能やスポーティなデザインから、若年層やホンダが過去に生産していたスポーツモデルからの乗り換えユーザーに人気を博した。その一方で全高の低さに起因する開放感のなさを敬遠する向きもあり、当代モデルのキープコンセプトとして登場した4代目では、モデル末期頃における販売台数低下の原因ともなった。

2008年10月16日にフルモデルチェンジを正式発表(発売は翌10月17日)。月間目標販売台数は4,000台。

FCXクラリティに似たフロントマスクとなり、テールランプは、初代から継承してきた三角形から横長に変更され、車幅灯は先代後期型のLEDから電球に変更された。また、4代目には新技術として、車両の挙動の乱れを安定方向にアシストする「モーションアダプティブEPS」や魚眼CCDカメラにより死角の低減や車庫入れなどの支援をする「マルチビューカメラシステム」を搭載する。また、初めてECONボタンが搭載された。

室内に関しては、1,220mmの室内高は変わらず、室内長は60mm拡大された。2列目シート座面裏を削り込み、3列目シートの足元空間を拡大し、後席ドアの開口部も広げられた。視界に関しては、Aピラーを30%細めて後退させることで改善。2-3-2のシートは全席で前方視界が確保できるよう、V字に配列した。荷室はフィット同様にスペアタイヤを廃止し(代わりにオデッセイでは初となるパンク修理キットを装備)、荷室床下のアンダーボックスを設置した。この恩恵もあり、車体重量は先代よりも軽量化された。

エンジンは3代目と同じくK24A型が搭載されるが、ハイオクガソリン指定の「Absolute(アブソルート)」が206PS(151kW)・23.7kgf·m(232N·m)(4WDは204PS(150kw)・23.5kgf・m(230N・m)、その他が173PS(127kW)・22.4kgf·m(220N·m))にパワーアップされるのと同時に燃費も向上され、特に「M」・「L」・「Li」のFF車は「平成22年度燃費基準+25%」を達成した。また4代目では「アブソルート」を含め、全車「平成17年排出ガス基準75%低減レベル(☆☆☆☆)」認定を取得した。トランスミッションは従来同様FF車がCVT、4WD全車と「アブソルート」が5速ATとなる。また、「アブソルート」を除くFF車のステアリング脇には、エンジン・CVT・エアコンの制御を燃費重視にする「ECON」ボタンが備わる。

外観やコンセプトなどを中心に3代目の特徴を色濃く残している一方、足まわりや車体剛性、ステアリング性能が磨かれており、特に走行性能は多くの車評論家・ユーザーから賞賛を受けた。
3代目に引き続き車高を機械式立体駐車場に入庫可能な1,550mmに抑え、大都市圏の消費者を主なターゲットとした。しかし、モデル末期頃は大都市圏の消費者の間でいわゆる車離れが進んだこと、当代オデッセイはユーザーからステーションワゴンのような車だ、と認識されがちだったこと、また駐車場に制約の少ない地方都市ではその車高が敬遠され、全高が高いハイルーフタイプのミニバンに人気が集まるなど、販売面では苦戦を強いられ当車の良い面があまり理解されないまま、次代モデルにバトンタッチした。

2013年9月26日に5代目の公式ティーザーサイトを開設し、車両の一部仕様を公開した。先行公開された写真では、歴代初となる両側スライドドアの採用と、8人乗りの設定が明らかになった。11月1日から発売を開始した。

エクステリアは、2013年4月20日の上海モーターショーに出展されたコンセプトモデル「Concept M」に似たものとなっている。3代目以来の設計思想となる「超低床プラットフォーム」が大幅に刷新された。フロアの骨格構造だけでなく、フロア下の燃料タンクの薄型化や排気システムのレイアウトの工夫等によって低床化を徹底。セカンドシートのステップ位置で高さを先代モデルから60mm下げた300mmとし、全高を140-150mm上げた。これは超低床プラットフォームの採用により、全高を高めてもオデッセイらしい走りを実現できると判断したためである。また、大開口タイプのメッキフロントグリルを採用し、スポーツグレードの「ABSOLUTE(アブソルート)」ではフロントメッキグリルの真下にメッキバーを3本配置し、エアロバンパーやドアロアガーニッシュの下部にクローム調モールを配置した。リアのエンブレムはリアライセンスガーニッシュ上に移動し、一体成型デザインとなった。

インテリアは、インパネにソフトパッドを採用。3列目シートは3人掛けでリクライニング構造を3分割し、左右席と中央席でリクライニング角度を変えることで、各乗員の肩に触れることなく3名が座れるように工夫された。2列目シートは乗員人数によって異なり、従来からの7人乗り仕様はシートバックを倒すと連動でシートクッション前面の角度が持ち上がる構造となり、内蔵式オットマン・中折れ機構付シートバック・ロングスライド機構を備えたプレミアムクレードルシートが採用された。新設の8人乗り仕様は、6:4分割スライドシートが採用された。なお、「G」と「ABSOLUTE」のFF車は7人乗り仕様・8人乗り仕様の選択が可能で、EX系は7人乗り仕様のみ、「B」のFF車及び全グレードの4WD車は8人乗り仕様のみの設定である。また、EX系はメーカーオプションで本革シートの設定が可能である。

エンジンは、次世代環境技術「EARTH DREAMS TECHNOLOGY(アース・ドリームス・テクノロジー)」を投入し、新開発のK24W型を採用した。「アブソルート」は、これまでのプレミアムガソリン仕様から無鉛レギュラーガソリン仕様に変更した。同型エンジンを直噴化することによって、出力は標準の175PSから190PS(4WDは185PS)に向上した。組み合わされるトランスミッションはCVTとなり、併せてドライブ・バイ・ワイヤとCVTの協調制御「G-design Shift」を採用した。「アブソルート」は7スピードモード+パドルシフトが備わった。なお、燃費向上により、「B」は「平成27年度燃費基準」を、「B」を除くFF車・8人乗り仕様と4WD車は「平成27年度燃費基準+10%」を、FF車・7人乗り仕様は「平成27年度燃費基準+20%」をそれぞれ達成した。

足回りは、プラットフォームの刷新に伴い、形式を大幅に変更した。アームやロッド類などの剛性を強化し、前後にZFザックス製の振幅感応型ダンパーを採用した。その他、液封コンプライアンスブッシュの採用、リアダンパーマウントを入力分離式に、バネ下重量の低減など改良箇所は多岐にわたる。

装備面は、自動ブレーキによる支援で衝突の回避や軽減を図る「低速域衝突軽減ブレーキ」と前方に障害物がある状況でアクセルペダルを踏み込んだ場合に急な発進を防止する「誤発進抑制機能」で構成される「シティブレーキアクティブシステム」と、1列目シート用i-サイドエアバッグシステムとサイドカーテンエアバッグシステムをセットにした「あんしんパッケージ」を新たに設定した。EX系は、衝突の危険がある場合に回避や被害軽減を図る「衝突軽減ブレーキ(CMBS、E-プリテンショナー付)」をメーカーオプションに設定。「G・EX」・「ABSOLUTE」・「ABSOLUTE・EX」にはカメラで駐車枠を自動認識し、バックや縦列での駐車時にステアリングが自動で回転して運転操作をアシストする「Hondaスマートパーキングアシストシステム」もメーカーオプションに設定した。

タイプ体系は標準モデルと「ABSOLUTE」の2本立て構成を継続した。標準モデルはベーシックグレードの「B」、快適装備をプラスした充実グレードの「G」、上級グレードの「G・EX」の3タイプ。「アブソルート」は「G」の仕様内容をベースとした「ABSOLUTE」と、最上位モデルの「ABSOLUTE・EX」の2タイプ。

「長い冒険旅行」という意味の英語で、ギリシャ神話のオデュッセイアを語源とする。


本田技研工業

本田技研工業

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英称: Honda Motor Co., Ltd.)は、東京都港区に本社を置く日本の大手輸送機器メーカーである。通称「ホンダ」、「Honda」。オートバイの販売台数、売上高は世界首位。自動車の販売台数は世界第7位(2015年度)。TOPIX Core30の構成銘柄の1つ。

本田宗一郎が1946年に静岡県浜松市で本田技術研究所を起業し、後に本田技研工業へ改組した。二輪車(オートバイ)、四輪車(自動車)およびライフクリエーション事業(汎用製品:耕耘機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機)を主要事業としている。また、新規事業としてHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機及びターボファン式ジェットエンジンの開発・生産、二足歩行ロボット「ASIMO」に代表される各種ロボティクス機器の研究開発、風力発電施設による売電事業なども展開している。米ブランドコンサルティング会社のインターブランドが発表した2019年の世界ブランドランキングでは、日本の企業では7位のトヨタに次ぐ21位である。

日本での販売網は、四輪販売店がホンダカーズ店、二輪販売店がホンダドリーム店に大別できる。発電機や刈払機等の汎用機を専門に扱う店舗ブランドは存在しない。
小型車・軽自動車を主に扱っていた旧プリモ店の運営会社の出自が自転車店、オートバイ店、機械工具店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店であったり、地元有力者の中小の商店や企業などで委託販売形式を採用していた名残があり、地元に密着した販社が多い。

二輪車では無いレンタカー事業は、トヨタや日産など同業他社よりも早い1964年に参入したが、5年後の1969年に撤退、現在は日本国内全域を網羅する自社ブランドのレンタカー会社を持たない。ニッポンレンタカーやオリックス自動車、沖縄ツーリストと提携して、ホンダ車専用の予約サイトをこれら3社に運営委託している他、期間・地域限定でホンダ車を安価でレンタルできるキャンペーンを展開している。その後、二輪車のレンタカー事業としてホンダGOバイクレンタルを2020年4月6日から開始した。このサービスは予約から支払いまで全てオンラインとしているのが大きな特徴である。

2011年に発売したN-BOXシリーズの大ヒット以降は、国内販売の半数を軽自動車が占めるようになっている。

北米では大衆車ブランドのHONDAと高級車ブランドのAcura(アキュラ)で展開、大衆車では大きなシェアを占める。北米での売上は大きな収入源で、日本では販売していないATVやパーソナルウォータークラフトなども取り扱っている。

ホンダの中国展開は、1973年に本田宗一郎が自ら訪中して中国展開を決意し、二輪車の輸出を始めた。1982年には重慶市のメーカーと技術提携して現地での二輪車部品生産を開始した。1992年には重慶市、広州市ならびに天津市に合弁企業による二輪車生産工場を設けた。本格的な四輪車の販売へ乗り出すべく、1993年には香港にHONDA CHINAを設立した。当時は現地生産車ではなく輸入車のみではあったが、中国での販売とアフターサービスを行った。本格的な四輪車の生産は1994年に、東風汽車(武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司で始まった。1998年には広州汽車(広州)と合弁し、それまでの合弁相手だったプジョーが撤退した後の工場をそのまま譲り受け、アコードやフィットなどの生産を始めた。プジョーと合弁していた時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。

創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。
ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは縦組の場合は「ホンダ」の表記を要望している。
この他、それぞれの開発分野の独自性を示す意味で、二輪車用には翼をイメージしたマークと「HONDA」のロゴとの併用、四輪車用は「H」をデザインしたマークをそれぞれ専用のロゴマークとして採用している。四輪車でも、1980年代までは「H」マークと「HONDA」のロゴとが併用されていたが、2016年現在では「H」マークに統一されている。発電機などの汎用製品の場合には「HONDA」のロゴのみとなっている。

藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術者出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の八郷隆弘に至るまで、歴代の社長はすべて技術者出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目を担った本田の実弟・弁二郎も退社させている。その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。

創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した2代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することができた。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。一方で中途採用には積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組である。ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。

労働環境は、ほかの自動車工場より良いといわれる。良い例が、連続2交代制勤務といち早く週休2日制を導入したことがあげられる。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、ほかの自動車工場に比べ、女性の進出も多い。現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間程度の研修をさせている。

他社と比較して、テレビコマーシャルに有名芸能人をあまり起用しない。CMソングも国内楽曲ではなく、CM専用に制作したものや海外の楽曲が使われるケースが多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためとされている。一方、2010年代以降はCMに邦楽を使用することも多くなっている。

日本の自動車メーカーの中では知的財産権に関する取り組みが早く、1980年代以降、ホンダ車を製品化したプラモデル・ミニチュアカーにはパッケージに「本田技研工業承認済」(現在はHonda Official License Product)の文字が記載されるようになった。これは創業者の本田宗一郎が「ウチの車を製品化するときは、できる限り似せて作って欲しい」と発言したことにも由来する。ゲームについては、一般車両が混在して走るレーシングゲーム(首都高バトルシリーズなど)には版権を許諾していなかったが、2017年に登場したスマートフォンゲーム「首都高バトルXTREME」で初めて、アザーカーが登場するゲームに収録された。

また、ASIMOを開発・製造していることから、自動車がロボットに変形して戦う作品での使用には一定の制約を設けており、「トランスフォーマー バイナルテック」ではロボット変形時に装備させる道具を武器としないことでホンダ車の商品化に漕ぎ着けた経緯がある。また、2012年から商品展開された「超速変形ジャイロゼッター」でも、日本の自動車メーカーの車両が多数登場する中で一台も登場していない。これについてホンダ側は「イメージに合わないためお断りした」と回答している。

1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与した。

近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売、地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、、有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っている。

また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。

これらの環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。

(2019年6月19日現在)
以下、特に断りのない限り、出典は、及びによる

自転車用原動機製作が社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブが空前絶後の大ヒット、全世界で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で1億台(2017年10月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。

社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。

2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化した。

一時期三ない運動により大打撃を受けたが、スズキ、ヤマハ、カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。

ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしているホンダであるが、日本国内向けの需要は年々減少を続け、2009年の日本国内の年間生産台数は18万台までに低下。一方、日本国外の工場では、旺盛な需要の下、インドではヒーロー・ホンダ社、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社の2社で560万台、インドネシアではアストラ・ホンダ・モーター社が300万台と生産数を増加させており、排気量の多寡があるとはいえ、日本の工場が一大生産生産拠点であった時代は過去のものとなった。

なお、ドイモイによる経済自由化以降、大量の中古オートバイが輸出されたベトナムでは、その品質の高さと並外れた耐久性、修理における簡便性によって人気が高く、オートバイを指す一般名詞としてHondaの語が使われる事がある程である。

2010年7月、ホンダは日本における若者の車離れ(二輪車離れ)に歯止めをかけるため、全二輪車の価格を値下げを発表、スーパーカブ50で約4万円、最廉価のフォルツァで約12万。これと並行して日本で生産している二輪の小型車を全て日本国外での生産に移管させる方針を明らかにしたが、その後円安傾向により国内生産のメリットが高まったため方針を転換し、2015年9月より熊本製作所においてミニバイクを増産することを公表した。2016年10月5日、縮小している国内向け50ccスクーターの生産・開発でヤマハと業務提携を検討、2018年をめどにヤマハの子会社である台湾山葉機車工業が製造している「ジョグ」と「ビーノ」をOEM生産として熊本製作所に移管して製造することとしている。

現在に至るまで前輪駆動車の割合が非常に多いのが特徴。創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮した柔軟な製造体制を持つ、四輪車を日本国内外の製作所にて生産している。

四輪初期は宗一郎の英国車への熱い思いが製品にも影響しており、シビックは英国オースチンのミニに感銘を受けて作られたと言われている。後の1972年、ホンダはオースチンを有するブリティッシュ・レイランド社と提携、資本や技術の提供を行うこととなる。

また、世界に先駆けて走行時に排出ガスを全く生み出さない水素燃料電池自動車の本格普及を目指し、2008年から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車「FCXクラリティ」の年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。

現在日本国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にすることで基本的に日本全国価格が均一であり、地方や季節を選ばずトラブルなく走行することができる。

4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。

そのような憂いなき歴史的背景をもつ反面、初代オデッセイに始まる“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの登場までは、RVやミニバンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップはステーションワゴンであるシビックカントリー、シビックシャトル、アコードワゴン、いすゞ自動車よりOEM供給を受けたジャズ、ホライゾン、ローバーグループ(現:ランドローバー社)よりOEM供給のクロスロードしか存在せず、バブル期のF1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加によるさまざまなニーズに応えられない状況にあった。

しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、CR-V、S-MX、ステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、RVやミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発を進め、昨今では、3.5L V6エンジンも選択可能なフルサイズミニバン エリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、7人乗りも選択可能なコンパクトミニバンフリードなど幅広い商品ラインナップを揃えている。

オデッセイの誕生以前、OEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、5代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。

ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなったアコードワゴン(現アコードツアラー)を中心に、2011年に登場したエントリークラス ステーションワゴンのフィットシャトル、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだストリームなどが発売されている。アコードツアラーにおいては、尿素を用いずに欧州排出ガス規制()をクリアさせた、CO排出量において優位性を持つクリーンなディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなど国際市場での環境対応も計っている。

RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。

またこれらの車両を用い、同社が福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で介護車、および自操車と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送るための支援を目的に販売している。

コンパクトカーの分野では、2002年、フィットがトヨタ自動車のカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1~6位(2004年1~8月データによる)の成績を維持している。

2006年(平成18年)度、日本国内の省エネ法改正などの車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発された。

軽自動車の分野においては、高い衝突安全性を持つN-WGN、スーパーハイトワゴンのN-BOX、のミッドシップエンジン採用の軽ワゴンバモス、ダンプやリフターなどの特装車も選択可能な軽トラックのアクティトラック、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのN-VANなど、快適性などを犠牲にすることなく、高い環境性能を達成している。なお、1998年にトゥデイが生産終了となってからは、一般的な機械式立体駐車場に入庫可能な軽自動車(全高1,550mm以下)は2015年にN-ONEのローダウンモデルが発売されるまでの間生産していなかった。

ハイブリッドカーにおいては、パラレル式と分類されるハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。

ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じてエンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、および同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムであるため、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助および、減速時に於ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。

2009年4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量などの経営コンセンサス的問題を解決するために、ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「株式会社ブルーエナジー」をジーエス・ユアサコーポレーションとの共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。

2020年10月にはホンダ初の電気自動車としてホンダ・eを発売した。同車は街中での小回りを重視するため、21世紀の量産自動車としては異例となるリアエンジン・リアドライブ方式を採用している。

最近では、一般ユーザーが休日にサーキットまで自走して、安全かつ気軽にサーキット走行を楽しめることをコンセプトに開発された「タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、NSXは生産終了)に設定している。

また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダの車を使用したアマチュア~プロ志望者向けの年間シリーズレース「ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース」を1981年から現在まで長きにわたって開催している。

また、4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして現在まで販売されているシビックおよびアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステムを採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つインスパイアなどがある。

ホンダのイメージアイコンとして1990年から2006年の長きにわたり生産・販売されたNSXは、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの念入りな機能修復サービスを受けられるNSXリフレッシュプランを1993年から実施している。なおNSXは2016年から新型が生産・販売が開始されたが、初代のリフレッシュプランも引き続き継続して実施している。

近年、過去に同社から販売されていたS800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたS2000は、1970年以降に発売されたホンダ車では唯一のFR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気のF20C・VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”、2.0Lで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されている。

北海道の鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられた車種も数多い。

2004年10月7日に発売されたレジェンドは新開発の四輪駆動システムSH-AWDを採用し、出力のメーカー自主規制の緩和にともない、国産の量産車では初めて280PSを超える300PSとなった。

レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出すために小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上および、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。

なお、タクシー・パトカー専用車両(市販車と異なる仕様で製造された車両)は過去も現在も全く生産していない。また、同業のスズキと同じく軽自動車クラス以上のトラックやバスを生産していない。

自社製の汎用ガソリンエンジン(汎用エンジン)を利用した耕うん機、芝刈機、運搬車、ポンプなどの農業機械、除雪機、発電機、電動カート「モンパル」、船外機、家庭用ガスコージェネレーションユニット、太陽電池パネルなどを生産している。

ホンダの汎用事業は、創業者の本田宗一郎が、オートバイで培ったガソリンエンジン技術で「世の中の人々の重労働を軽減したい」という思いからスタートした。ホンダ初の汎用製品は1959年に開発・発売した耕うん機「F150」であり、小型ガソリンエンジンを搭載した耕うん機を低価格で提供したことによって、1959年当時、ケロシンエンジンやディーゼルエンジンが主流であった農機業界において大ヒット商品となった。

その後、ソニーの創業者井深大の要望を受けて超小型の発電機を開発したり、世界の環境規制に先駆けて4ストローク船外機にチャレンジしたりと、各分野で業界に先駆けた取り組みを続けている。

1980年、誰でも簡単に取り回しができる超小型耕うん機「こまめ」を発売。業界の常識を覆したこまめは後の家庭用ミニ耕うん機市場を創出するきっかけとなり、2003年「サラダ」、2009年「ピアンタ」を中心に、相次いでヒット商品を開発している。
特にピアンタは、家庭用カートリッジこんろで使うカセットボンベ1本で簡単・パワフルに働く耕うん機として、年間1万台を上回る大ヒット商品となっている。

近年でみると、太陽電池事業にも参画。熊本県にソーラーパネルの量産工場を持っており、日本国内を中心に事業を展開。甲子園球場の屋上にもHondaのソーラーパネルが設置されている。
創業者である本田宗一郎は航空機開発の夢をもっており、二輪車用に翼をイメージしたマークを採用したのもこのためとされる。しかし三菱重工や川崎重工など戦前からの航空機メーカーと異なり航空関連の技術者がおらず経験も無いため、基礎技術から習得する必要と判断し1962年頃から行動を開始した。

1962年頃、航空機技術者を確保するため、学生向けの軽飛行機の設計コンテストのスポンサーとなったり、新聞に軽飛行機技術者の求人広告に掲載するなどし、吉野浩行は前者で川本信彦は後者で入社した。またジェットエンジンの開発を目指しガスタービンエンジンやガスタービン自動車の研究も行った。

1964年、航空事業のノウハウを収集するため本田航空を設立、ホンダエアポートを整備した。

その後小型機の改造などで技術開発を継続したが、この時点では大々的に公表していなかったが、本田技術研究所に航空用エンジンや機体の開発部門を集約するなど体制を強化していった。

2006年7月25日、超軽量ジェット機への本格参入を表明し新型機HondaJetを公表した。当初は2013年の販売を目指すとした。

2006年8月、航空機部門をホンダ エアクラフトとして独立させ、航空機開発の拠点をアメリカに移す。

変わったところでは「ホンダ社食のカレーうどんの素」がある。これは、ホンダの各事業所にある社員食堂にて金曜日限定で販売されるカレーうどん(レシピは各事業所ごとに異なる)のスープ部分をレトルト化したもので、2017年よりホンダの関係者向けに販売されていたが(製造はホンダ開発)、2020年からはホンダウェルカムプラザなどでの一般販売も行われるようになった。2020年現在は埼玉製作所/浜松工場/鈴鹿製作所/栃木研究所/熊本製作所の5種類が販売されている。
過去にはフォード・モーター車(1975年~1979年)やジープ(1990年~1997年)車を扱っていた時期があった。

2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、2010年以降へと一旦延期、結局、急激な不況のあおりを受け、最終的に国内進出自体が白紙撤回された。

かつての販売系列

2018年4月より販売網の再編成を実施。異なる客層へのサービスの違いを明確に分ける体制とする。
2009年から2010年にかけて、インスパイア、アコード、シビックなど国内外の計約95万台に対して、エアバッグに関するリコールを行った。内容としてはエアバッグの膨張装置に不具合があり、エアバッグ展開時に膨張装置が破裂して金属片が飛散し、運転者を負傷させるものであった。米国では本件に絡んだ事故が計7件報告されており、うち死亡事故については飛散した金属片が運転者の首に刺さり、致命傷となった。

2010年5月、中国広東省仏山市にあるホンダ系列の部品工場にて、大規模なストライキが発生、
直後に他系列工場にも飛び火、江蘇省の台湾系機械工場では警官隊と従業員が衝突、50人が負傷する事態に至った。
この影響により同国内の4つの組立工場が操業停止に追い込まれ、約2週間に渡るストライキによる損失は生産高ベースで400億円以上に達した。
事件の背景として、現地の日本人駐在員との50倍にのぼる給与格差が挙げられる。当該工場の女性従業員の手取り給与が平均1千元であるのに対し、日本人駐在員は5万元であることが指摘された。従業員側は経営側に日本人駐在員の給与を公表するよう迫ったとされる。

1968年から1969年にかけて子会社工場で勤務していた男性が、当時アスベストを吸ったことが原因で中皮腫を患ったとして、後に子会社を吸収したホンダに対して約9,600万円の損害賠償請求を起こした。2010年12月の判決ではアスベストと中皮腫の因果関係が認められ、男性に対して約5,400万円(うち約2,000万円が慰謝料)の支払いが命じられた。自動車業界において、アスベスト被害が認定された初のケースとなった。

2010年12月、米国における同社のインターネットサイト利用者のうち、約490万件の個人情報が、外部からの不正アクセスにより流出していたことが判明した。個人情報には名前、メールアドレス、車両番号が含まれる。約490万件のうち、約220万件がアキュラ所有者の車両番号など、残る約270万件がニュース配信を受けている者のメールアドレスとされる。

同年5月、約28万人分の顧客情報がカナダで流出したことが判明した。流出した情報は、2009年に登録された顧客の名前と住所、車両番号などとされる。

2006年9月20日にフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、トヨタ自動車、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長のビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴されている。

2020年10月改編で、多くの番組のスポンサーから撤退した。

など
など。
など多数。