ホンダCR-X1.5 Xの評判・スペック

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ホンダ CR-X 1.5 X

CR-Xのフロント外観(89年(H01)9月、MC時のフロント。仕様はグレードにより異なります)

CR-Xのリア外観(89年(H01)9月、MC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

CR-Xの内装・インパネ(89年(H01)9月、MC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

メーカー ホンダ
車種 CR-X
グレード 1.5 X
販売期間 1989年09月から 1990年08月
価格 1,262,000円
エンジン エンジン: 直列4気筒SOHC
排気量: 1493cc
型式: E-EF6
馬力: 100ps
トルク: 12.8/4500
ミッション: 4AT バッテリー: 標 準:55B24R 寒冷地:55B24R
タイヤ 前輪: 175/65R14
後輪: 175/65R14
ホイールサイズ: (F)5Jx14+45/(R)5Jx14+45
駆動: FF
最小回転: 4.5m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): -km/L
燃料: レギュラー
実燃費: 12.11から 14.1
ボディサイズ 高さ: 1270 車幅: 1675 全長: 3800
乗車定員 4人
評価・レビュー 外観: 5点
内観: 5点
スペック: 5点
エンジン: 5点
乗り心地: 3点
燃費: 2点
価格: 2点
中古車 台
買取価格相場
車を売る

ホンダCR-Xとは

ホンダが製造したCR-Xは、1983年から1991年まで製造されたコンパクトスポーツカーであり、当時の若者を中心に人気を集めました。価格帯はおおよそ120万円から200万円程度で、手頃な価格帯でありながらスポーティーな走りを楽しむことができました。CR-Xには様々なグレードが存在しましたが、特に人気が高かったのはSiやSiRなどの高性能モデルでした。エンジンは1.5リッターから1.6リッターの排気量を持ち、力強い加速とレスポンスの良さが魅力でした。燃費性能も優れており、スポーティーな走りを楽しみながら経済的に運転することが可能でした。馬力は約100馬力から140馬力まで幅広く展開され、軽量ボディとの組み合わせでダイナミックな走りを実現していました。 CR-Xの特徴としては、軽量ボディと優れたハンドリングが挙げられます。コンパクトなボディながら、剛性感の高いシャシーが採用されており、細かい操作にも応える優れた操縦性を持っていました。また、窓面積が広く、視界が良好であることもポイントであり、都市部からワインディングロードまで幅広いシーンで活躍しました。さらに、CR-Xの独自のデザインもファンに支持される要因の一つであり、流線型のスタイリッシュな外観は多くの車好きを魅了しました。 CR-Xはそのスポーティーな走りと使い勝手の良さから、若者を中心に広く支持される人気車種となりました。特にモータースポーツの世界でも高い評価を受け、幅広い層に愛されました。また、後継車種であるCR-Zや最新のシビックType Rなどにもその遺伝子が受け継がれていることから、ホンダファンやスポーツカーファンにとっては特別な存在として認識されています。その独自の魅力と歴史がCR-Xの人気の秘密であると言えるでしょう。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式E-EF6
最小回転半径4.5m
駆動方式FF
全長×全幅×全高3.8m×1.68m×1.27m
ドア数3
ホイールベース2.3m
ミッション4AT
前トレッド/後トレッド1.45m/1.46m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)1.55m×1.39m×1.05m
4WS-
車両重量890kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員4名
車両総重量-kg
ミッション位置フロア
最低地上高0.15m
マニュアルモード-
標準色-
オプション色-
掲載コメント※このクルマの燃費は発売当時の資料により、10モードの数値を表示しております。燃費=13.8km/l
エンジン型式D15B
環境対策エンジン-
種類直列4気筒SOHC
使用燃料レギュラー
過給器-
燃料タンク容量45リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量1493cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力100ps
最大トルク/回転数kg・m/rpm12.8/4500
福祉車両-
大型ガラスルーフ△
片側電動スライドドア-
サンルーフ△
両側電動スライドドア-
ルーフレール-
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ-
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー◯
メタルトップ-
リアスポイラー-
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール-
UVカットガラス-
片側スライドドア-
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ダブルウィッシュボーン
サスペンション形式後ダブルウィッシュボーン
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前175/65R14
タイヤサイズ後175/65R14
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ドラム式
ソナー-
駐車支援システム-
センターデフロック-
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー-
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシート-
ランフラットタイヤ-
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備◯
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム-
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート△
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能一括可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC-
フロント両席パワーシート-

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ホンダ CR-Xの知っておきたい情報

ホンダとは?
CR-Xとは?

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ホンダCR-Xの新車情報

ホンダCR-Xの最新情報まとめ

ホンダ・CR-X

ホンダ・CR-X

CR-X(シーアール-エックス)は、本田技研工業がかつて生産、販売していた小型乗用車である。世代によって車名が異なる。
初代は同社の小型車シビックの姉妹車・バラードの派生車種として、シビックのフルモデルチェンジに先立って市場に投入された。発売にあたりホンダは「FFライトウェイトスポーツ」という新ジャンルであると説明し、以来この言葉は同クラスの車種を分類する場合に使用されることになる。

初代および2代目には後部座席を設定した2+2レイアウトであり、初代では着座位置の座面をやや凹ませ着座位置を下げて頭部スペースを確保し、2代目ではルーフ高が若干高められたためフラットなベンチ風のものが採用された。ただし、シビック3ドアよりも150mm以上短いホイールベースとファストバッククーペボディーが影響し、大人が2人座っての長距離移動は困難だった。なお北米向けには後席はなく、代わりに浅い小物入れが装備されている。

また、これらに共通の特徴として「アウタースライドサンルーフ」がある。短い屋根ゆえに屋根後半にスライド型サンルーフを格納した場合は開放感を得るに十分な開口面積が確保できないため、ボディの外に電動スライドさせるものである。曲率が大きい屋根を収納する戸袋は厚くなり後部座席の頭部スペースを圧迫するが、車外へ屋根を突出させることで戸袋をなくしこの問題も回避した。さらに北米では、後述するように軽い車体重量を活かした低燃費仕様が設定され、企業平均燃費(CAFE;Corporate Average Fuel Efficiency)の達成に貢献した。2代目モデルのトップグレードであるSiRは後に登場したタイプRと同等の性能を有しており、極端に短いホイールベースによる旋回性能で当時の若者に人気を博した。

3代目は、走行性能を追求したそれまでとは大幅にコンセプトを変え、開放感を楽しむタルガトップとして誕生し、1991年に発売されたビートに次ぐ、小型オープンカーとなった。これは、北米市場でCAFEの達成に貢献する低燃費仕様としての役割を、リーンバーンエンジン搭載車が担うことになり、軽量化の要求がなくなったためである。

販売チャンネルは「ベルノ店」。

1983年7月1日に「バラードスポーツ CR-X」として、日本国外では「CIVIC CRX」として発売。キャッチフレーズは「デュエット・クルーザー」。

リアにハッチを持ち、テールエンドを断ち切った形状の「「ファストバック」」クーペボディーは「コーダトロンカ(coda tronca)」または「カムテール(kamm-tail)」「カムバック(kammback)」と呼ばれ、全長を伸ばすこと無く空気抵抗を低減できる特性を持っている。車体の軽さも特徴であり、ABS樹脂とポリカーボネートをベースとした複合材料「H.P.ALLOY(エイチ・ピー・アロイ)」をフロントフェンダーとドア外装板等に、ポリプロピレンをベースとした「H.P.BLEND(エイチ・ピー・ブレンド)」を前後バンパーに採用し、車両重量は760kg (「1.3」5速MT)/ 800Kg (「1.5i」5速MT)となっている。2,200mmという非常に短いホイールベースと相まって生み出されるハンドリングは大変にクイックだったため、ステアリングの舵角中立部の反応は意識的にやや鈍く設定されていた。

エンジンは、1.5LのEW型エンジン(PGM-FI仕様)と、1.3LのEV型エンジン(キャブレター仕様)の2種類。日本国外向けにはシビック同様1.5Lのキャブレター仕様も設定された。グレードは1.3Lの「1.3」と1.5Lの「1.5i」で、「1.5i」ではアウタースライドサンルーフ、ドライブコンピュータ+デジタルメーター、ルーフベンチレーションなどが選択できたほか、MT仕様のファイナルギアレシオが4.4とローギアード化されており、より加速性能が増している。

サスペンションにも独自の工夫が見られ、フロントにストラット+トーションバー(リアクションチューブで長さを短縮)、リアは右側にのみスウェイベアリングを組み込み、ラテラルロッドをホイールと同軸化した車軸式+コイルスプリングの形式が採用され、総合して「SPORTEC-SUS」と称していた。

北米仕様には、その軽量の車両重量を生かした超低燃費仕様「CIVIC CRX HF」(1.3Lエンジン)があり、シティモードで50MPG(24.8km/L)・ハイウェイモードで56MPG(27.8km/L)と燃費性能で当時の低燃費No.1を獲得している。

1984年11月1日には、新たに1.6LのZC型エンジンを搭載する「Si」が追加。スイングアーム式バルブ駆動は、バルブクリアランス調整を容易にする目的で当時いくつかの採用例があったが、ZC型の場合はハイリフト化が主な目的だった。この試みが後の「VTEC」に生かされた。シリンダーブロックは「1.5i」のフルサイアミーズ型ブロックをボアアップしたものを採用し、ボア・ストロークは75mm×90mmというロングストローク仕様となっている。

エンジンの高出力化に伴い、駆動系はFF特有のトルクステアを防ぐため、等長ドライブシャフトが新たに採用されたが、ブレーキ構成は軽量な車重とショートホイールベースのため「1.5i」と同様の前輪:ベンチレーテッド・ディスク、後輪:リーディングトレーリングを踏襲(フロントブレーキパッドはセミメタルに変更)。なお、「Si」は「1.5i」とは異なり、アルミホイールは標準だが、ステアリングのパワーアシストはなく、エアコンやオーディオもオプションだった。

なお、ウレタン製のリアスポイラーが標準装備となり、スタビライザーを強化、オイルクーラーの追加、ボンネットには2個の大径カムプーリーをクリアするためにS800、シティターボに続いて「パワーバルジ」が付けられ、よりスポーティな印象が高まったものの、車両重量は860kgまで増加した。

1985年9月にマイナーチェンジを実施し、ヘッドライトがセミ・リトラクタブル・ヘッドライトから、輸出仕様の「CIVIC CRX」と同じ、固定式タイプに変更された。「Si」では、内装、メータパネルが変更されるとともに、外装ではサイドシルのデザイン変更や前後のバンパーの大型化、ツートーンカラーの廃止がなされた。よって、このモデルではヘッドライトやパンパーの形状で前期型と後期型を区別できる。なお、キャッチフレーズも「2人には、Xがいる。」に変更された。また、ステアリングのパワーアシスト付きモデルが選択できるようになった。アルミホイールはオプション。

ホンダ車のアフターパーツも生産している「無限」が、ブリスター形状の前後フェンダー、フロントマスク、リアスポイラーなどを「無限 CR-X PRO」の名称でリリースし、これらを装備した車両が鈴鹿サーキットのマーシャルカーとして用いられた。

E-AS型の形式名「AS」は、同社の1960年代のスポーツカー「Sシリーズ」の形式名のAS(Automobile Sports)と符合することから、一部のファンはホンダスポーツの再来と受け止めた向きもあった。

販売期間中の新車登録台数の累計は4万187台

1987年9月16日に発売。1986年10月にバラードが廃止されたため、車名から「バラード」が外れ単独モデルとなる。グレードは1.5Lの「1.5X」(EF6)と1.6Lの「Si」(EF7)。キャッチフレーズは、当時のサイバーパンク流行にあやかり「サイバー・スポーツ」。

スタイルは先代を踏襲しつつ、各部がフラッシュサーフェス化され、また全体的にワイド&ローフォルムとなった。先代では難があった後方視界を確保するため、リアエンドに「エクストラウインドウ」が採用された。用いられたガラスには黒のピンドットが配されており、スモークガラス同様車外からは一見して透明には見えないため外板パネルとの一体感があり、こと車体色が黒の場合顕著だった。これは、外観デザインで当代最大の特徴とも言える箇所である。後にインサイトや2代目以降のトヨタ・プリウスがほぼ同様の意匠を採用している。そのシャープなフォルムは当時の若い世代に人気があった。

先代にオプション設定されていたルーフベンチレーションは廃されたが、アウタースライド式サンルーフの他に「グラストップ」と呼ばれる、UVカットガラス製の屋根を装着する新オプションが設定された。グラストップには熱線反射材としてチタン皮膜が施され、。

エンジンはD15B型エンジン(CVデュアルキャブ仕様)と、ZC型エンジンの2種類。D15B型はSOHCながら1気筒あたり4バルブ(吸気側・排気側それぞれ2バルブ)で、「ハイパー16バルブ」と称していた。「Si」のボンネットには、先代同様パワーバルジが設けられ、「1.5X」との外見判別が容易だった。

サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン式サスペンションとなった。、前2:後1というフロントヘビーな重量配分もあって、。。

北米仕様には先代と同様に超低燃費仕様のグレード「HF」を設定。D15B6型エンジンに変わった他、車体が大きく重くなったものの、シティモードで41MPG(20.3km/L)・ハイウェイモードで50MPG(24.8km/L)の燃費性能を実現している。

また、先代と同様「無限」が、前後バンパーやサイドステップ、リアウイング、マフラーなどを「無限 CR-X PRO.2」の名称でリリースし、鈴鹿サーキットでマーシャルカーとして用いられた。

1988年8月4日のマイナーチェンジの際に、3チャンネル・4wA.L.B.(ABS)装着車が設定された。

1989年9月22日、「VTEC」(可変バルブタイミング&リフト機構)を備えたB16A型エンジンを搭載した「SiR」(EF8)が発表された。最高出力は160PS(ネット値)に達し、排気量1Lあたり100PSという市販車のNAエンジンとしては驚異的な出力を実現していた。なお、この「SiR」は5MTのみの設定で、フロントブレーキが大径化される。

後期型ではボディ前部の形状変更と、ヘッドライト形状の変更といった若干のフェイスリフトが行われ、全長が前期型の3,775mmから3,800mmとなった。また、前期型では凹型断面をもつボンネット形状が、後期型では凸型に変更され、初代及び2代目前期型「Si」の特徴だったボンネットのパワーバルジは不要となり廃止された。

国内向けには限定車も含め、4年半で10色前後のボディーカラーが設定された。なお、欧州向けの前期型は日本国内仕様の外観とほぼ同じだが、後期型はVTEC仕様のみ日本国内とほぼ同じ外観で、それ以外は前期型と同じ凹型断面のボンネットを採用し、バンパー形状は後期の北米仕様に準ずる。また、北米向けは前期・後期を問わず、日本国内仕様の前期型とほぼ同じデザイン意匠(バンパー形状のみ小変更)であった。

1990年9月のマイナーチェンジでアルミホイールのデザインを変更したほか、電動格納式リモコンドアミラー装着車やSiRビスカスLSD仕様車が設定された。

1992年2月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1992年3月、デルソルのサブネームを付けた3代目と入れ替わって販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は7万1832台。

1992年3月6日に発売。ペットネームとして「デルソル(delSol)」の名称が付与され、それまでのハッチバックスタイルから、スイッチ操作のみで屋根をトランクルームの専用ホルダーに収納できる『トランストップ』と名付けられた電動オープントップを最大の特徴とした。このほか、外観は同じながらトップを手動で取り外す仕様も用意されたが、トランストップ仕様のスチール製トップに対し、手動仕様は取り扱いの負担軽減のため軽量なアルミ製とされた。電動仕様は手動仕様に対して重量が50-60kg、価格が17万円上乗せされる。

型式名の、EGが示すように、同時期の「スポーツシビック」がベースとなっている。
エンジンは「SiR」にB16A型エンジンが設定され、最高出力は170PSに向上している。その他、前期型にはD15B型エンジンの「VXi」、後期型にはD16A型エンジンの「VGi」が用意された。

前期型は、ヘッドランプの内側にバンパー埋め込み式の丸いアクセサリーランプを備える4灯式を特徴とする。

1995年10月にマイナーチェンジ。フェイスリフトが行われ、アクセサリランプを廃した2灯式ヘッドランプとなる。SOHCエンジンの1.6Lへの排気量アップが行なわれた。

1998年12月、日本国内でのスペシャリティクーペの市場低迷や、北米市場向けとしてシビッククーペと競合することもあり、CR-X delSolは生産終了となり、翌年をもって在庫対応分が全て販売終了、名実ともにCR-Xの商標は3代16年で終焉となった。販売期間中の新車登録台数の累計は1万5628台。

ミッドシップ車のようなプロポーションとディテールを生かして、駆動方式をFFからMRに改造したカスタムカーが製作されたこともある。
2006年11月に開催されたロサンゼルスオートショーで「Honda REMIX Concept」、2007年2月に開催されたジュネーヴモーターショーで「Honda Small Hybrid Sports Concept」、同年10月に開催された東京モーターショー2007では「CR-Z」という名のコンセプトカーが出展され、CR-Zは2010年2月に市販化された。



本田技研工業

本田技研工業

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英称: Honda Motor Co., Ltd.)は、東京都港区に本社を置く日本の大手輸送機器メーカーである。通称「ホンダ」、「Honda」。オートバイの販売台数、売上高は世界首位。自動車の販売台数は世界第7位(2015年度)。TOPIX Core30の構成銘柄の1つ。

本田宗一郎が1946年に静岡県浜松市で本田技術研究所を起業し、後に本田技研工業へ改組した。二輪車(オートバイ)、四輪車(自動車)およびライフクリエーション事業(汎用製品:耕耘機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機)を主要事業としている。また、新規事業としてHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機及びターボファン式ジェットエンジンの開発・生産、二足歩行ロボット「ASIMO」に代表される各種ロボティクス機器の研究開発、風力発電施設による売電事業なども展開している。米ブランドコンサルティング会社のインターブランドが発表した2019年の世界ブランドランキングでは、日本の企業では7位のトヨタに次ぐ21位である。

日本での販売網は、四輪販売店がホンダカーズ店、二輪販売店がホンダドリーム店に大別できる。発電機や刈払機等の汎用機を専門に扱う店舗ブランドは存在しない。
小型車・軽自動車を主に扱っていた旧プリモ店の運営会社の出自が自転車店、オートバイ店、機械工具店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店であったり、地元有力者の中小の商店や企業などで委託販売形式を採用していた名残があり、地元に密着した販社が多い。

二輪車では無いレンタカー事業は、トヨタや日産など同業他社よりも早い1964年に参入したが、5年後の1969年に撤退、現在は日本国内全域を網羅する自社ブランドのレンタカー会社を持たない。ニッポンレンタカーやオリックス自動車、沖縄ツーリストと提携して、ホンダ車専用の予約サイトをこれら3社に運営委託している他、期間・地域限定でホンダ車を安価でレンタルできるキャンペーンを展開している。その後、二輪車のレンタカー事業としてホンダGOバイクレンタルを2020年4月6日から開始した。このサービスは予約から支払いまで全てオンラインとしているのが大きな特徴である。

2011年に発売したN-BOXシリーズの大ヒット以降は、国内販売の半数を軽自動車が占めるようになっている。

北米では大衆車ブランドのHONDAと高級車ブランドのAcura(アキュラ)で展開、大衆車では大きなシェアを占める。北米での売上は大きな収入源で、日本では販売していないATVやパーソナルウォータークラフトなども取り扱っている。

ホンダの中国展開は、1973年に本田宗一郎が自ら訪中して中国展開を決意し、二輪車の輸出を始めた。1982年には重慶市のメーカーと技術提携して現地での二輪車部品生産を開始した。1992年には重慶市、広州市ならびに天津市に合弁企業による二輪車生産工場を設けた。本格的な四輪車の販売へ乗り出すべく、1993年には香港にHONDA CHINAを設立した。当時は現地生産車ではなく輸入車のみではあったが、中国での販売とアフターサービスを行った。本格的な四輪車の生産は1994年に、東風汽車(武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司で始まった。1998年には広州汽車(広州)と合弁し、それまでの合弁相手だったプジョーが撤退した後の工場をそのまま譲り受け、アコードやフィットなどの生産を始めた。プジョーと合弁していた時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。

創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。
ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは縦組の場合は「ホンダ」の表記を要望している。
この他、それぞれの開発分野の独自性を示す意味で、二輪車用には翼をイメージしたマークと「HONDA」のロゴとの併用、四輪車用は「H」をデザインしたマークをそれぞれ専用のロゴマークとして採用している。四輪車でも、1980年代までは「H」マークと「HONDA」のロゴとが併用されていたが、2016年現在では「H」マークに統一されている。発電機などの汎用製品の場合には「HONDA」のロゴのみとなっている。

藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術者出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の八郷隆弘に至るまで、歴代の社長はすべて技術者出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目を担った本田の実弟・弁二郎も退社させている。その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。

創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した2代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することができた。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。一方で中途採用には積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組である。ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。

労働環境は、ほかの自動車工場より良いといわれる。良い例が、連続2交代制勤務といち早く週休2日制を導入したことがあげられる。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、ほかの自動車工場に比べ、女性の進出も多い。現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間程度の研修をさせている。

他社と比較して、テレビコマーシャルに有名芸能人をあまり起用しない。CMソングも国内楽曲ではなく、CM専用に制作したものや海外の楽曲が使われるケースが多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためとされている。一方、2010年代以降はCMに邦楽を使用することも多くなっている。

日本の自動車メーカーの中では知的財産権に関する取り組みが早く、1980年代以降、ホンダ車を製品化したプラモデル・ミニチュアカーにはパッケージに「本田技研工業承認済」(現在はHonda Official License Product)の文字が記載されるようになった。これは創業者の本田宗一郎が「ウチの車を製品化するときは、できる限り似せて作って欲しい」と発言したことにも由来する。ゲームについては、一般車両が混在して走るレーシングゲーム(首都高バトルシリーズなど)には版権を許諾していなかったが、2017年に登場したスマートフォンゲーム「首都高バトルXTREME」で初めて、アザーカーが登場するゲームに収録された。

また、ASIMOを開発・製造していることから、自動車がロボットに変形して戦う作品での使用には一定の制約を設けており、「トランスフォーマー バイナルテック」ではロボット変形時に装備させる道具を武器としないことでホンダ車の商品化に漕ぎ着けた経緯がある。また、2012年から商品展開された「超速変形ジャイロゼッター」でも、日本の自動車メーカーの車両が多数登場する中で一台も登場していない。これについてホンダ側は「イメージに合わないためお断りした」と回答している。

1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与した。

近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売、地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、、有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っている。

また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。

これらの環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。

(2019年6月19日現在)
以下、特に断りのない限り、出典は、及びによる

自転車用原動機製作が社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブが空前絶後の大ヒット、全世界で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で1億台(2017年10月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。

社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。

2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化した。

一時期三ない運動により大打撃を受けたが、スズキ、ヤマハ、カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。

ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしているホンダであるが、日本国内向けの需要は年々減少を続け、2009年の日本国内の年間生産台数は18万台までに低下。一方、日本国外の工場では、旺盛な需要の下、インドではヒーロー・ホンダ社、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社の2社で560万台、インドネシアではアストラ・ホンダ・モーター社が300万台と生産数を増加させており、排気量の多寡があるとはいえ、日本の工場が一大生産生産拠点であった時代は過去のものとなった。

なお、ドイモイによる経済自由化以降、大量の中古オートバイが輸出されたベトナムでは、その品質の高さと並外れた耐久性、修理における簡便性によって人気が高く、オートバイを指す一般名詞としてHondaの語が使われる事がある程である。

2010年7月、ホンダは日本における若者の車離れ(二輪車離れ)に歯止めをかけるため、全二輪車の価格を値下げを発表、スーパーカブ50で約4万円、最廉価のフォルツァで約12万。これと並行して日本で生産している二輪の小型車を全て日本国外での生産に移管させる方針を明らかにしたが、その後円安傾向により国内生産のメリットが高まったため方針を転換し、2015年9月より熊本製作所においてミニバイクを増産することを公表した。2016年10月5日、縮小している国内向け50ccスクーターの生産・開発でヤマハと業務提携を検討、2018年をめどにヤマハの子会社である台湾山葉機車工業が製造している「ジョグ」と「ビーノ」をOEM生産として熊本製作所に移管して製造することとしている。

現在に至るまで前輪駆動車の割合が非常に多いのが特徴。創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮した柔軟な製造体制を持つ、四輪車を日本国内外の製作所にて生産している。

四輪初期は宗一郎の英国車への熱い思いが製品にも影響しており、シビックは英国オースチンのミニに感銘を受けて作られたと言われている。後の1972年、ホンダはオースチンを有するブリティッシュ・レイランド社と提携、資本や技術の提供を行うこととなる。

また、世界に先駆けて走行時に排出ガスを全く生み出さない水素燃料電池自動車の本格普及を目指し、2008年から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車「FCXクラリティ」の年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。

現在日本国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にすることで基本的に日本全国価格が均一であり、地方や季節を選ばずトラブルなく走行することができる。

4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。

そのような憂いなき歴史的背景をもつ反面、初代オデッセイに始まる“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの登場までは、RVやミニバンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップはステーションワゴンであるシビックカントリー、シビックシャトル、アコードワゴン、いすゞ自動車よりOEM供給を受けたジャズ、ホライゾン、ローバーグループ(現:ランドローバー社)よりOEM供給のクロスロードしか存在せず、バブル期のF1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加によるさまざまなニーズに応えられない状況にあった。

しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、CR-V、S-MX、ステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、RVやミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発を進め、昨今では、3.5L V6エンジンも選択可能なフルサイズミニバン エリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、7人乗りも選択可能なコンパクトミニバンフリードなど幅広い商品ラインナップを揃えている。

オデッセイの誕生以前、OEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、5代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。

ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなったアコードワゴン(現アコードツアラー)を中心に、2011年に登場したエントリークラス ステーションワゴンのフィットシャトル、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだストリームなどが発売されている。アコードツアラーにおいては、尿素を用いずに欧州排出ガス規制()をクリアさせた、CO排出量において優位性を持つクリーンなディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなど国際市場での環境対応も計っている。

RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。

またこれらの車両を用い、同社が福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で介護車、および自操車と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送るための支援を目的に販売している。

コンパクトカーの分野では、2002年、フィットがトヨタ自動車のカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1~6位(2004年1~8月データによる)の成績を維持している。

2006年(平成18年)度、日本国内の省エネ法改正などの車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発された。

軽自動車の分野においては、高い衝突安全性を持つN-WGN、スーパーハイトワゴンのN-BOX、のミッドシップエンジン採用の軽ワゴンバモス、ダンプやリフターなどの特装車も選択可能な軽トラックのアクティトラック、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのN-VANなど、快適性などを犠牲にすることなく、高い環境性能を達成している。なお、1998年にトゥデイが生産終了となってからは、一般的な機械式立体駐車場に入庫可能な軽自動車(全高1,550mm以下)は2015年にN-ONEのローダウンモデルが発売されるまでの間生産していなかった。

ハイブリッドカーにおいては、パラレル式と分類されるハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。

ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じてエンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、および同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムであるため、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助および、減速時に於ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。

2009年4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量などの経営コンセンサス的問題を解決するために、ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「株式会社ブルーエナジー」をジーエス・ユアサコーポレーションとの共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。

2020年10月にはホンダ初の電気自動車としてホンダ・eを発売した。同車は街中での小回りを重視するため、21世紀の量産自動車としては異例となるリアエンジン・リアドライブ方式を採用している。

最近では、一般ユーザーが休日にサーキットまで自走して、安全かつ気軽にサーキット走行を楽しめることをコンセプトに開発された「タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、NSXは生産終了)に設定している。

また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダの車を使用したアマチュア~プロ志望者向けの年間シリーズレース「ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース」を1981年から現在まで長きにわたって開催している。

また、4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして現在まで販売されているシビックおよびアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステムを採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つインスパイアなどがある。

ホンダのイメージアイコンとして1990年から2006年の長きにわたり生産・販売されたNSXは、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの念入りな機能修復サービスを受けられるNSXリフレッシュプランを1993年から実施している。なおNSXは2016年から新型が生産・販売が開始されたが、初代のリフレッシュプランも引き続き継続して実施している。

近年、過去に同社から販売されていたS800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたS2000は、1970年以降に発売されたホンダ車では唯一のFR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気のF20C・VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”、2.0Lで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されている。

北海道の鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられた車種も数多い。

2004年10月7日に発売されたレジェンドは新開発の四輪駆動システムSH-AWDを採用し、出力のメーカー自主規制の緩和にともない、国産の量産車では初めて280PSを超える300PSとなった。

レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出すために小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上および、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。

なお、タクシー・パトカー専用車両(市販車と異なる仕様で製造された車両)は過去も現在も全く生産していない。また、同業のスズキと同じく軽自動車クラス以上のトラックやバスを生産していない。

自社製の汎用ガソリンエンジン(汎用エンジン)を利用した耕うん機、芝刈機、運搬車、ポンプなどの農業機械、除雪機、発電機、電動カート「モンパル」、船外機、家庭用ガスコージェネレーションユニット、太陽電池パネルなどを生産している。

ホンダの汎用事業は、創業者の本田宗一郎が、オートバイで培ったガソリンエンジン技術で「世の中の人々の重労働を軽減したい」という思いからスタートした。ホンダ初の汎用製品は1959年に開発・発売した耕うん機「F150」であり、小型ガソリンエンジンを搭載した耕うん機を低価格で提供したことによって、1959年当時、ケロシンエンジンやディーゼルエンジンが主流であった農機業界において大ヒット商品となった。

その後、ソニーの創業者井深大の要望を受けて超小型の発電機を開発したり、世界の環境規制に先駆けて4ストローク船外機にチャレンジしたりと、各分野で業界に先駆けた取り組みを続けている。

1980年、誰でも簡単に取り回しができる超小型耕うん機「こまめ」を発売。業界の常識を覆したこまめは後の家庭用ミニ耕うん機市場を創出するきっかけとなり、2003年「サラダ」、2009年「ピアンタ」を中心に、相次いでヒット商品を開発している。
特にピアンタは、家庭用カートリッジこんろで使うカセットボンベ1本で簡単・パワフルに働く耕うん機として、年間1万台を上回る大ヒット商品となっている。

近年でみると、太陽電池事業にも参画。熊本県にソーラーパネルの量産工場を持っており、日本国内を中心に事業を展開。甲子園球場の屋上にもHondaのソーラーパネルが設置されている。
創業者である本田宗一郎は航空機開発の夢をもっており、二輪車用に翼をイメージしたマークを採用したのもこのためとされる。しかし三菱重工や川崎重工など戦前からの航空機メーカーと異なり航空関連の技術者がおらず経験も無いため、基礎技術から習得する必要と判断し1962年頃から行動を開始した。

1962年頃、航空機技術者を確保するため、学生向けの軽飛行機の設計コンテストのスポンサーとなったり、新聞に軽飛行機技術者の求人広告に掲載するなどし、吉野浩行は前者で川本信彦は後者で入社した。またジェットエンジンの開発を目指しガスタービンエンジンやガスタービン自動車の研究も行った。

1964年、航空事業のノウハウを収集するため本田航空を設立、ホンダエアポートを整備した。

その後小型機の改造などで技術開発を継続したが、この時点では大々的に公表していなかったが、本田技術研究所に航空用エンジンや機体の開発部門を集約するなど体制を強化していった。

2006年7月25日、超軽量ジェット機への本格参入を表明し新型機HondaJetを公表した。当初は2013年の販売を目指すとした。

2006年8月、航空機部門をホンダ エアクラフトとして独立させ、航空機開発の拠点をアメリカに移す。

変わったところでは「ホンダ社食のカレーうどんの素」がある。これは、ホンダの各事業所にある社員食堂にて金曜日限定で販売されるカレーうどん(レシピは各事業所ごとに異なる)のスープ部分をレトルト化したもので、2017年よりホンダの関係者向けに販売されていたが(製造はホンダ開発)、2020年からはホンダウェルカムプラザなどでの一般販売も行われるようになった。2020年現在は埼玉製作所/浜松工場/鈴鹿製作所/栃木研究所/熊本製作所の5種類が販売されている。
過去にはフォード・モーター車(1975年~1979年)やジープ(1990年~1997年)車を扱っていた時期があった。

2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、2010年以降へと一旦延期、結局、急激な不況のあおりを受け、最終的に国内進出自体が白紙撤回された。

かつての販売系列

2018年4月より販売網の再編成を実施。異なる客層へのサービスの違いを明確に分ける体制とする。
2009年から2010年にかけて、インスパイア、アコード、シビックなど国内外の計約95万台に対して、エアバッグに関するリコールを行った。内容としてはエアバッグの膨張装置に不具合があり、エアバッグ展開時に膨張装置が破裂して金属片が飛散し、運転者を負傷させるものであった。米国では本件に絡んだ事故が計7件報告されており、うち死亡事故については飛散した金属片が運転者の首に刺さり、致命傷となった。

2010年5月、中国広東省仏山市にあるホンダ系列の部品工場にて、大規模なストライキが発生、
直後に他系列工場にも飛び火、江蘇省の台湾系機械工場では警官隊と従業員が衝突、50人が負傷する事態に至った。
この影響により同国内の4つの組立工場が操業停止に追い込まれ、約2週間に渡るストライキによる損失は生産高ベースで400億円以上に達した。
事件の背景として、現地の日本人駐在員との50倍にのぼる給与格差が挙げられる。当該工場の女性従業員の手取り給与が平均1千元であるのに対し、日本人駐在員は5万元であることが指摘された。従業員側は経営側に日本人駐在員の給与を公表するよう迫ったとされる。

1968年から1969年にかけて子会社工場で勤務していた男性が、当時アスベストを吸ったことが原因で中皮腫を患ったとして、後に子会社を吸収したホンダに対して約9,600万円の損害賠償請求を起こした。2010年12月の判決ではアスベストと中皮腫の因果関係が認められ、男性に対して約5,400万円(うち約2,000万円が慰謝料)の支払いが命じられた。自動車業界において、アスベスト被害が認定された初のケースとなった。

2010年12月、米国における同社のインターネットサイト利用者のうち、約490万件の個人情報が、外部からの不正アクセスにより流出していたことが判明した。個人情報には名前、メールアドレス、車両番号が含まれる。約490万件のうち、約220万件がアキュラ所有者の車両番号など、残る約270万件がニュース配信を受けている者のメールアドレスとされる。

同年5月、約28万人分の顧客情報がカナダで流出したことが判明した。流出した情報は、2009年に登録された顧客の名前と住所、車両番号などとされる。

2006年9月20日にフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、トヨタ自動車、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長のビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴されている。

2020年10月改編で、多くの番組のスポンサーから撤退した。

など
など。
など多数。