フィアット新型パンダ4x4クライミング 4WDの評判・スペック

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フィアット パンダ 4x4クライミング 4WD

パンダのフロント外観(06(H18)年2月より販売されるアレッシィ(イタリアを代表するインダストリアル・デザインのアレッシィ社とのコラボモデル。写真はイタリア仕様のため、一部仕様が異なります))

パンダのリア外観()

パンダの内装・インパネ()

メーカー フィアット
車種 パンダ
グレード 4x4クライミング 4WD
販売期間 2007年02月から 2007年03月
価格 1,888,950円
エンジン エンジン: 直列4気筒SOHC
排気量: 1240cc
型式: GH-16912Q
馬力: 60ps
トルク: 102(10.4)/2500
ミッション: 5MT バッテリー:
タイヤ 前輪: 185/65R14
後輪: 185/65R14
ホイールサイズ: /
駆動: 4WD
最小回転: -m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): -km/L
燃料: ハイオク
実燃費: 12.79から 24.64
ボディサイズ 高さ: 1635 車幅: 1605 全長: 3570
乗車定員 4人
評価・レビュー 外観: 4.35点
内観: 4.35点
スペック: 4.35点
エンジン: 4.35点
乗り心地: 4.48点
燃費: 4.23点
価格: 3.58点
中古車 台
買取価格相場
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フィアットパンダとは

フィアットが製造するコンパクトカー「パンダ」は、1980年に初代モデルが登場して以来、世界中で支持を集めてきた人気車種です。軽快なデザインと使い勝手の良さが特徴であり、街中の移動からアウトドアまで幅広いシーンで活躍します。パンダは、数々のバリエーションや特別仕様車が展開されており、幅広いニーズに応えることができる点も魅力の一つです。 まず、パンダの製造時期について。初代モデルは1980年に登場し、その後何度もフルモデルチェンジを重ねながら、最新のテクノロジーやデザインを取り入れながら進化を続けています。時代に合わせたスタイリングや機能の向上により、常にトレンドをリードする存在として注目を集めています。 価格面では、パンダはコンパクトカーとして手軽な価格帯からスタートし、さまざまなグレードやオプションが用意されています。比較的手ごろな価格で購入することが可能であり、ランニングコストの低さも魅力の一つです。 さらに、パンダのスペック情報について。排気量はエンジンによって異なりますが、燃費性能に優れたモデルが多く、燃料効率の良さが利用者に支持されています。また、パンダの小回りの利きやすさや加速の良さ、安定した走行性能など、街乗りからワインディングロードまで幅広いシーンで安心して運転できる点も高評価を受けています。 馬力やタイヤサイズなどのパフォーマンス面においても、パンダは扱いやすさと快適性を両立させたバランスの良い仕様が特徴です。そのため、初心者から上級者まで幅広い層のドライバーに愛用されています。 以上のように、フィアットのパンダは長い歴史を持ちながらも常に進化し続けるコンパクトカーとして、多くの人々に愛され続けています。街乗りからアウトドア、レジャーまで幅広い用途に対応し、使い勝手の良さや経済性、安定した走行性能などが魅力となり、幅広い層に支持されている理由です。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式GH-16912Q
最小回転半径-m
駆動方式4WD
全長×全幅×全高3.57m×1.61m×1.64m
ドア数5
ホイールベース2.31m
ミッション5MT
前トレッド/後トレッド1.37m/1.37m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)-m×-m×-m
4WS-
車両重量1060kg
シート列数2
最大積載量-kg
乗車定員4名
車両総重量-kg
ミッション位置インパネ
最低地上高-m
マニュアルモード-
標準色ティシャンレッド、ホワイト、バニライエロー、カクテルブルー、ドライターコイズ、ブラックメタリック、スティールグレーメタリック
オプション色-
掲載コメント-
エンジン型式188A4
環境対策エンジン-
種類直列4気筒SOHC
使用燃料ハイオク
過給器-
燃料タンク容量30リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量1240cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力60ps
最大トルク/回転数n・m(kg・m)/rpm102(10.4)/2500
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ-
両側電動スライドドア-
ルーフレール◯
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア◯
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ◯
ハードトップ-
リアフォグランプ◯
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー-
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール-
UVカットガラス-
片側スライドドア-
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置左
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ストラット式
サスペンション形式後トーションビーム式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前185/65R14
タイヤサイズ後185/65R14
ブレーキ形式前Vディスク式
ブレーキ形式後ディスク式
ソナー-
駐車支援システム-
センターデフロック-
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー-
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートEBD付きABS(◯)
ランフラットタイヤ◯
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム◯
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン-
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート-
ETC-
フロント両席パワーシート-

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フィアット パンダの知っておきたい情報

フィアットとは?
パンダとは?

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フィアットパンダの新車情報

フィアットパンダの最新情報まとめ

フィアット・パンダ

フィアット・パンダ

パンダ(Panda )は、イタリアのフィアットが製造・販売する小型ハッチバック車である。

初代モデルは1980年から2003年まで、大きな変更を受けずに継続された。欧州で「Aセグメント」と呼ばれる最も小さな分類に属する乗用車である。

名称は動物のパンダにちなむが、これは初代モデル開発当初の主要市場として中国が企図されていたことによる。

オイルショックによる打撃とともに1970年代半ばにフィアット社は副社長で実務を執り行っていたウンベルト・アニェッリ()の下で組織運営に多くの問題を抱えていた。これを解決するためにウンベルトの幼馴染で実業家のカルロ・デ・ベネデッティ()が社外から招かれ、1976年4月に副社長に任命された。それまで自動車部門への投資を抑制する方針で1974年から1978年までの期間に新型車の発表がなかった同社の状況の中でデ・ベネデッティは即座に3種類の新型車の開発と社内の業績不振部門の切り捨てを発表した。

1976年7月デ・ベネデッティはイタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロを訪ね、フィアット・126のエンジンを使用した安価で簡単な構造の十分な室内空間を持つ新型車の要望を伝えた。デ・ベネデッティの「フランスの車のような感じ」という言葉をシトロエン・2CVのことだと理解したジウジアーロは、126と同等の重量と生産コストの小型車の設計に取り掛かった。ジウジアーロにしては異例なことにバカンスの期間も作業にあたり12月に最初のモックアップが完成した。翌年早々に2台がフィアット側技術陣に披露され、2月にはこの2台から採用案が選び出された。

オイルショックに伴い、燃費面で有利なコンパクトカーの開発が各社で行われていた1970年代、ティーポ セロ(タイプ ゼロ) と呼ばれるフィアット社内のプロジェクトを元にフィアット・126とフィアット・127の一部を置き換えるべく誕生したのが初代パンダである。

このモデルは、当時経営状態が芳しくなかったこともあり、フィアット史上初めて、開発を全面的に外部委託した車となった。その開発を担当したのは、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタリアのカロッツェリア・イタルデザインである。

開発、製造コストの低減のため、すべての窓を平らな板ガラスとするなど、ボディーは直線と平面による構成となったが、パッケージングの鬼才と言われるジウジアーロらしく、簡潔ながらもスペース効率にも優れたスタイリングとなった。(ジウジアーロ自身が、当時、自分の最高傑作だと述べている。)

1980年発売当初のラインナップはパンダ30(652cc、縦置き空冷2気筒OHVエンジン、イタリア国内専用モデル)とパンダ45(903cc、横置き水冷4気筒OHVエンジン)の2種が用意された。いずれもガソリンエンジンであった。モデル名につく数字は、当時のフィアットでの命名規則にしたがって、搭載エンジンの馬力をあらわしている。

いずれも、鉄板グリル と呼ばれる左右非対称形状のフロントグリルを備え、室内では、パイプフレームに布を張ったハンモックシート を採用していた。ボディは左右2ドア + ハッチバックの3ドアを基本とし、ハッチバックの代わりに観音開きドアを持つバンタイプも用意された。

1982年には843cc直列4気筒エンジンを積むパンダ34と、45をベースとしたスーパーの2モデルが新たに設定された。このうちスーパーは45の豪華版という位置付けで、特徴的な鉄板グリルに代わり樹脂製の柵状グリルを採用されたほか、シートも一般的なものに換装された。また、前後席で独立したキャンバストップのルーフを持つダブルサンルーフを搭載した、オープンカーのように開放的なモデルも存在した。

エンジン横置き前輪駆動車をベースとした市販車としては世界初となる四輪駆動モデル4x4(フォー・バイ・フォー)を1983年に追加。このパートタイム式の四駆システムはオーストリアのシュタイア・プフとの共同開発によるものである。

1986年には、エンジンがそれまでの3種に代わり、FIRE(Fully Integrated Robotized Engine )と名づけられた、ロボット組み立ての769ccと999ccの4気筒SOHCエンジン、および1,301ccディーゼルエンジンが採用された。

そのほかでは、従来のリーフリジッド式リアサスペンションに代わり、4x4を除き、アウトビアンキ・Y10での試用結果が良好であった独特のトーションビーム式(Ωアーム・トレーリングリンク)に変更され、スーパーで先立って採用された一般的なシート、樹脂製フロントグリルの全グレードへの拡大採用、メーター類の大型化や三角窓の廃止など、フィアットを立て直すほどの好調な販売実績を残した、パンダの利益を市場に還元するかのごとく、大規模な仕様変更となった。

またこの仕様変更に伴い、グレード名もそれまでの馬力由来の表記から、排気量由来の表記(パンダ750/1000)へと改められた。

これにより、従来型はセリエ(シリーズ)1、改良型はセリエ2と呼ばれるようになった。英語圏では
マーク1 / 2(1型/2型)とも呼ばれている。

1991年に無段変速機(CVT)を備えたセレクタと名づけられたグレードが登場する。セレクタに採用されたベルト式CVTは、富士重工業(現・SUBARU)から供給された「ECVT」である。

初代パンダの発表当時、フィアットグループであったスペインの自動車会社セアトにより、姉妹車がライセンス生産された。クルマにセアト版独自の特徴はなく、最も簡単なバッジエンジニアリングにより「セアト・パンダ」として販売された。一方、貨物用は荷室の屋根を高めたセアト独自の「トランス」(Trans )が新たに設定された。

1983年、フィアットはセアトの株式を売却、ライセンス契約も失効し、フィアットベースの全セアトのラインナップも、生産を終了しなければならなくなった。パンダの生産を継続したいセアトとフィアットとの間で、車名の使用差し止めをも含む、知的所有権に関する法廷闘争にまで発展したが、セアト側がパンダの前後デザインと車名を変更することで生産継続を許され、決着を迎えた。

その結果、1987年以降、生産が終了する1998年までは「マルベーリャ」、貨物用のトランスも「テッラ」と新たな名前での販売となった。同車はデザインと名称の変更以外は最後までセリエ1パンダの設計のまま生産が続けられ、1986年以降のセリエ2にあたるモデルは存在しない。

2代目パンダの元となるコンセプトカーはジンゴ(Gingo )の名で発表された。当時経営状況の良くなかったフィアットとしては心機一転、この新しい名前でデビューさせる予定であった。しかし、ルノーからルノー・トゥインゴとの商標の類似を指摘され、ルノー側が提訴する構えをも見せたため、ジンゴの名は使われずパンダの名を引き継ぐこととなった。波乱含みで2003年にデビューした2代目は、この年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。先代同様、四輪駆動の4x4も設定される。

ジンゴがそもそもSUV的なコンセプトで発表されたこともあって、2代目は若干背の高いフォルムとなった。前輪駆動モデルでもグレードによってはルーフレールが装備される点もSUV的である。全長/全幅は依然としてフォルクスワーゲン・ルポやシトロエン・C2などと同等であるが、これら3ドアのライバルと違いパンダは5ドアハッチバックとなる。2代目パンダは、その全量がポーランド・シロンスク県のフィアット子会社において製造されている。主要な部品を共有する新型フィアット・500と同工場で製造される。

2006年3月にはアレッシィとのコラボモデルが登場した。

2007年には1.4L 直列4気筒 DOHCエンジン (100PS/13.3kgm)を搭載するスポーティーモデル「100HP」を追加。

また、パンダは、2007年のダカールラリーに、「チーム・フィアット・パンダカール」にて4x4モデルで出場した。2台体制でドライバーはそれぞれ、M・ビアジオンと、B・サビーであったが、2台ともリタイアに終わっている。

2011年のフランクフルトモーターショーで発表。その後、市販を開始した。2012年には4x4も復活している。デザインは2代目のキープコンセプトとするも、若干サイズアップされ、室内空間が拡大された。その一方で、全高は抑えられて、タワーパーキングに収納可能な1,550mmとなっている。

プラットフォームは500やランチア・イプシロンと共用。エンジンは直4・1.2Lガソリン(FIRE)、直4・1.3Lディーゼル(マルチジェット)のほか、500やイプシロンで採用済の直2・0.9Lツインエアも用意。1.2Lと0.9Lにはガソリン/LPGのバイフューエル仕様の設定もある。

日本仕様は2013年5月8日にフィアットクライスラージャパン(現:FCAジャパン)を介して発表された(発売開始は同年6月1日)。グレードは0.9Lツインエアを搭載する「Easy」のみでデュアロジックの組み合わせのみ、右ハンドルのみとなるが、並行輸入業者によって左ハンドル仕様や4x4、ディーゼル車なども少数ながら日本に入っている。尚、4x4については2014年9月26日、シティブレーキコントロールが装着された上で日本市場でも発表された。国内で展開されている外国メーカーの四輪駆動車としては最も安価な設定になっている(0.9Lツインエアと6MTとの組み合わせのみ、発売開始は同年10月4日。タスカングリーン160台、アイスホワイト120台、イタリアンレッド60台の計340台限定)。また、同年10月23日には11月1日より「FIAT Panda MT」を100台限定(イタリアンレッド50台、アイスホワイト50台)で発売すると発表。「Easy」をベースにトランスミッションを5速MTに変更し、価格を10万円下げたモデルである。

2015年1月30日には、4x4をベースにベースキャリア、ラゲッジマット カジュアルを装備した「FIAT Panda 4x4 Adventure Edition」を発売。タスカングリーン33台、アイスホワイト17台、イタリアンレッド10台の計60台限定。2015年7月10日には、4x4をベースにリアプライバシーガラス、オートエアコン、シティブレーキコントロールを装備した「Fiat Panda 4x4 Comfort」を発売した。タスカングリーン100台、ベネチアンブルー20台の計120台限定。

2015年11月4日には、Easyの仕様変更を行い、4x4の限定モデル等で先行投入されていたシティブレーキコントロールをベース車にも標準装備しつつ、価格を据え置いた。

2015年12月2日には、限定車の「Fiat Panda 4x4 Terra(テッラ)」を発売。ボディカラーにスイートキャンディー ベージュを設定している。スイートキャンディー ベージュが50台、ヴェネチアンブルーが30台の計80台限定。

2020年10月24日に、150台限定で「Fiat Panda Cross 4x4が発売された。ボディーカラーはパステルイエローのみとしている。


フィアット

フィアット

フィアット()は、イタリアの自動車メーカーである。現在は、持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の一部門を構成する。

社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字を取ったものである。「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。トリノ市のリンゴット地区に本拠を置くことから、フィアット本社工場と「リンゴット」はしばしば同義とされる。

「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車のみならず、自動車関連業、鉄道車両や船舶、航空機の製造などのイタリアにおける産業分野全般を掌握し、マスコミュニケーション、金融等にも進出している。

このことから、イタリアのみならずヨーロッパにおいても大きな影響力を持つ。かつては「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。

イタリア証券取引所に株式を上場している。2007年までニューヨーク証券取引所(コード:FIA)にも上場していた。創業グループの1人のジョヴァンニ・アニェッリを継ぐアニエッリ家が大株主となり代々経営を行っている。

ジョヴァンニ・アニェッリらイタリア北部の数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。同年には最初の自動車を発売した。その後1902年にはアニェッリがフィアットの社長となった。1908年には最初の航空機エンジンを開発した。

第一次世界大戦中にフィアットはイタリア北部の工業都市トリノにある工場をフル操業して、連合国軍の1国であるイタリア軍に軍需製品を供給した。路面電車、航空機、鉄道列車、トラクター、ディーゼルエンジンなどの生産で当時3万人以上の労働者を雇用していた。

第一次世界大戦後にはミッレミリアなどのレースでも活躍したほか、フォーミュラーレースにも参戦してアルファロメオやブガッティなどと覇を競った。その後「トッポリーノ」こと初代「500」などの大ヒットモデルを出したほか、高級車部門にも進出した。

また国外進出に意欲的で、第一次世界大戦後には日本やアメリカ、満州国などへの輸出を拡大したほか、1934年にはフランスにシムカを設立させたほか、ドイツでは1932年にNSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。

イタリアが1940年から参戦した第二次世界大戦中は、各種軍用車や航空機などを生産していた。1943年イタリアは連合軍に降伏し、さらにその後も本社のあるトリノなど北部がドイツ軍の占領下におかれたため、生産は停止し、さらに工場が連合国軍機の爆撃を受けるなどの損害を被った。

第二次世界大戦終戦直後の1945年12月にジョヴァンニ・アニェッリが死去した。その後はヴィットリオ・ヴァレッタが経営を行った。イタリアが戦災から復興し1950年代から1960年代にかけて「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げ、「アウトストラーダ」の拡張や自家用車の普及が進む中で「500」(ヌォーヴァ)や「600」などのヒットモデルを送り出した。

なお戦後も海外進出には積極的で、1950年にスペインでセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立した。1968年にはトルコでトファシュを設立している。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した。他にも、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。

また、イタリアが冷戦下において共産党を含む左翼陣営が勢力を持っていたこともあり、他の西側諸国が進出を躊躇していた東欧圏への進出を進めた。ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年にアフトヴァースが、元イタリア共産党書記長のパルミーロ・トリアッティの名を冠したトリヤッチ市に建設された工場で「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始した。

また、1930年代から生産していたポーランド(ポルスキ・フィアット)での生産を1965年より再開した。また、ユーゴスラビア(ザスタバ)にも進出した。

1966年にヴィットリオ・ヴァレッタから、ジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いだ。

ジャンニ・アニェッリが経営を引き継いだ1960年代後半から1980年代にかけては、「アウトビアンキ」(1968年)や「フェラーリ」(1969年)、「アバルト」(1971年)のほか、経営不振に陥っていた高級車メーカーの「ランチア」を1969年に買収した。さらに、国営化されて以降高コスト体制と品質問題による販売不振から経営苦境に陥っていた「アルファロメオ」を1986年に傘下に収めた。これにより、イタリアの自動車業界を事実上独占することになる。

さらに、オートバイ及び小型車メーカーの「ピアッジオ」を1964年に買収した。他にも、電装部品メーカーの「マニエッティ・マレリ」を1967年に買収した。また、商用車部門として「イヴェコ」を1975年に創立した。

1974年から1978年までフィアットは新型車の発表がなかった。これは、石油ショックや、その前後の左翼勢力による慢性的な労働争議により経営が不安定化したため。

しかしリビアの元首であるカダフィ大佐からの融資を受け入れた。その後1980年代始めに発売された、小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した。これは、イタリアを代表するカロッツェリアのイタルデザインの創始者ジウジアーロが設計を手掛けていた。他にも、1988年にはエンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを完全子会社化した。その際、レイオフ(一時解雇)された従業員を呼び戻した。

しかし実際は、政府の要請で買収したアルファロメオの経営立て直しに多額の資金を費やさざるを得なかったことや、労働争議により経営状態は安定せず、イタリア政府による日本車の輸入規制や、レイオフした社員を政府による救済機関で引き取ってもらうなどの措置に助けられている状況であった。

1990年代は「ブラーボ/ブラーバ」とジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代プントがヨーロッパで大ヒットし、かろうじてその屋台骨を支えたが、その後も欧州連合発足後のイタリアにおける日本車の輸入規制撤廃による競争激化などを受けて、不安定な経営状況が続いた。

2000年より自動車部門でゼネラルモーターズと提携していた。だが、2005年に経営状況が悪化したフィアットとの提携を進めることを躊躇したゼネラルモーターズ側が一方的に提携を解消した。これにより買収契約に関する違約金、15.5億ユーロをゼネラルモーターズから得た。

その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもとで、ゼネラルモーターズから得た違約金を原資に、経営の建て直しをはじめた。

その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンがブランドマーケティング担当部長に就任した。このとき過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開し、世界的に大ヒットさせた。なお、長い歴史を持つフィアットは、社名ロゴと車両オーナメントの変更が多いことでも知られている。

また、2005年には経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、相次いで3つの新型車を発表している。一つめには、「クロマ」の名で、導入が待たれていた新Dセグメントモデルを発表した。ボディはワゴン風の5ドアとなっている。二つめには、7月28日には「グランデプント」を発表した。これはプントの第3世代となる。全長は4mを超えており、「グランデ」の名のとおり大きいサイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっていることがうかがえる。2006年1月には同モデルがヨーロッパ市場における販売台数1位になるなど、フィアット建て直しのシンボルとなった。

三つめには、12月11日に小型クロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表。これはスズキとの共同開発によるもの。この三つはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。

2004年にはニューパンダが、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。これは1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継である。

その後2005年11月には単月黒字を計上した。これは積極的な新車攻勢と、ラポ・エルカーンが主導するブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加したため。その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど長年の低迷から完全に復活したとの評価を受けたと同時に自らも「復活宣言」を行った。

2007年にはグランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、往年のヒット作である「500」の新型をデビューさせ、同車種はヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。さらには「アバルト」ブランドを復活した。

2009年1月には、サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表した。フィアットは、クライスラーが北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外におけるクライスラー車の販売でも協力することを表明した。

これを受けて「クライスラー・300」が「ランチア・テーマ」として、「ダッジ・ジャーニー」が「フィアット・フリーモント」としてイタリアをはじめとしたヨーロッパ市場で販売されたほか、「500」がアメリカ市場で販売されることになった。

2010年4月21日、フィアットは産業機械および商用車部門を分離すると発表。翌2011年1月1日にCNHグローバルやイヴェコなどを統括する持株会社であるフィアット・インダストリアルが設立された。

2012年5月23日にマツダと業務提携を発表。マツダ・ロードスターの4代目モデルをベースとした新車を、アルファロメオのブランドで販売する計画を発表した。生産はマツダが担当する。その後、アルファロメオではなくフィアットから124スパイダーとして販売されることが発表された。

2014年1月には、クライスラーを完全子会社化すると発表し、同年10月12日に合併、新たに設立された持株会社「フィアット・クライスラー・オートモービルズ」(FCA)の傘下にフィアットとクライスラー両社が置かれる企業形態となり、トヨタ自動車やフォルクスワーゲン、ルノーやゼネラルモーターズなどに次ぐ規模の自動車グループとなった。

翌13日にはニューヨーク証券取引所での取引を開始した。またその後フェラーリをFCAより分社化するとともに上場させたが、現在もマルキオンネ会長がフェラーリの会長を兼任し、マセラティへのエンジン供給を行うなど密接な関係を保っている。

また上場以降は、アルファロメオやアバルト、ジープなどの高付加価値ブランドの車種展開の積極化を行うことで、収益の向上を図っている。しかしながら、同時にグループ内の経営効率化を受けて、老舗ブランドのランチアの展開縮小が進められている。

事業買収を長年続けてきた結果、フィアットの事業分野は自動車製造やエンジン製造、造船業などを始めとする製造業、農業、金融と多岐に及ぶ。イタリアの各種製造業の多くがフィアットグループに属するためその影響は大きい。

フィアットグループオートモービルズ(Fiat Group Automobiles S.p.A)は、2007年、フィアットグループ内における自動車関連事業を再構成する目的で設立された会社である。同社は以下の会社を包括している。

フィアットは第一次世界大戦後より「ミッレミリア」をはじめとするモータースポーツに参戦している。また、世界ラリー選手権(WRC)には早期から参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で活躍をした。特に131アバルトラリーはマニファクチャラーズ部門を3度、ドライバー部門を2度制覇しWRCで最も活躍したFR車となった。

1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特にデルタで6連覇を果たした1987年〜1993年にかけては常勝ともいえる活躍をしていた。

近年は経営悪化もあって活動を潜めていたが、プントでJWRCに継続的に参戦。2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦しヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させた。2007年からはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦。2007年から2009年まで6勝するも、タイトルを獲得したプジョー、シュコダには届かず苦戦を強いられている。

また、2007年から2010年までの間、ロードレース世界選手権MotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなった。自動車会社が資本関係のない他の自動車会社のスポンサーとなるケースはトラック業界等を除くと数少ないが、チームにフィアットと資本関係のあるフェラーリへの去就が噂されていたバレンティーノ・ロッシ選手がいたことが関係していると見られている。最終的にヤマハへのスポンサーシップを終了した理由も、明らかにはされていないものの、ロッシが翌年ドゥカティへ移籍することになった事が大きな理由であると言われている。

「イヴェコ」ブランドなどで生産されているトラックや バス、建設機械やトラクターなどの農業機械などの事業は2011年に分社化されて「フィアット・インダストリアル」となった。

なお、かつてはフィアットは、トラクターメーカーとしても知られていた。1919年、最初のトラクター702型の発売を皮切りに、フィアットは農業機械部門に進出した。
1971年にランボルギーニグループから、「ランボルギーニ・トラットリーチ」(農業機械部門)の全株式を取得。

1984年には農業機械部門を「フィアットアグリ」として分社化、1988年には建設機械部門も統合し「フィアットジオテック」と改称。1991年にフォード・ニューホランドを買収、「ニューホランド・ジオテック」と改称する。

その後、1999年にはケースIHを買収し「CNHグローバル」と改称した。現在では、CNHグローバルの有するケースIH、ニューホランドブランドのトラクターが世界中で発売されている。
かつてフィアットは航空機及び飛行機エンジンのメーカーとしても名を馳せていた。特に軍用機の分野では様々な用途の機種を開発、生産していた。

第一次世界大戦後、フィアットはポミリオやアンサルドといった小規模な航空機メーカーを吸収し、1930年代にはフィアット CR.32やフィアット CR.42といった有名な複葉戦闘機を世に送り出した。第二次世界大戦では、ダイムラー・ベンツ製のエンジンを搭載した戦闘機フィアット G.55、優れたデザインの爆撃機フィアット BR.20などをイタリア空軍に提供した。さらに、イタリア軍向けにフィアット レベリM1935重機関銃など機関銃を製造していた。

1950年代、NATO加盟国で共通の軽戦闘爆撃機を装備する計画が持ち上がり、フィアット G.91が設計された。その後、航空機開発部門はアエリタリアを設立するためにアエルフェールと合併した。G.91の生産もアエリタリアが引き継いだため、アエリタリア G.91と呼ばれている。

トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ (La Stampa)」などの各種マスコミもフィアットグループに属する。また、ジョン・エルカーンが取締会のメンバーを務める「コリエーレ・デラ・セラ」も影響下にあるとされる。

イタリアサッカー1部リーグセリエAの強豪ユヴェントスは、フィアットのオーナー一族であるアニエッリ家が設立し、現在も同家がオーナーとしてその資金・運営においてバックアップしている。そのため、ユヴェントスの選手たちはフィアットグループの車に乗っている。現在の胸スポンサーはフィアット傘下のブランド「ジープ」。

第一次世界大戦後より日本への乗用車の輸出を始め、大倉喜七郎率いる日本自動車や、ヤナセが正規輸入販売代理店となり「509トルペード」や「1500ベルリーナ」などの中型車を販売していた。その後1930年代に入ると満州国への輸出も行っていた。1938年(昭和13年)には大日本帝国陸軍がイ式重爆撃機を輸入して使用していた。

第二次世界大戦後も乗用車の輸入が行われていたが、いくつかの変遷を経て1980年代に入ると、ジヤクス・カーセールス、チェッカーモータース、サミットモータース(住友商事)が正規輸入販売代理店となり、フィアットのみならず、「アバルト」ブランドの車種も輸入販売された。

なおアルファロメオの輸入販売は、イタリア本社の民営化など様々な要素から正規輸入販売代理店が変わり、その中で1980年代中盤には日本国内での正規輸入販売代理店がなくなり、輸入販売が中断することとなった。しかし1988年に大沢商会が正規輸入販売代理店となったことで輸入販売が再開された。

1990年代以降は地場資本の企業による輸入販売をやめ、当時他の欧米の自動車会社でも積極的に行われていたように自社の日本法人を設立して、自前での輸入販売への切り替えを進めた。

1990年4月より、フィアットグループオートモービルズは日本法人「アルファロメオジャパン」を設立、アルファロメオ車を販売するディーラー網「アレーゼ」の整備を始めた。同年11月にはアレーゼにおいてフィアット車の取り扱いも開始し、社名を「フィアットアンドアルファロメオモータースジャパン」へと改称した。

さらに1997年の「フィアットオートジャパン」への改称を経て、2007年8月より「フィアットグループオートモービルズジャパン」として、フィアット、アルファロメオおよびアバルト・ブランド車の輸入・販売を行っている。ディーラー網の名称は、2003年以降アレーゼから「アルファロメオ」へと変更され、更に「フィアット」「アバルト」が追加されている。

1998年まではマツダ系列の「オートザム」でも取り扱われていた、ランチアの正規輸入は現在行われていないが、ガレーヂ伊太利屋が並行輸入し販売を行っている。

2012年7月1日に、「フィアットグループオートモービルズジャパン」はクライスラーの日本法人でもあり、「メルセデス・ベンツ日本」の子会社でもあった「クライスラー日本」と業務統合し「フィアットクライスラージャパン(FCJ)」を発足させた。

なお、「フィアット・クライスラージャパン」は法人名称ではなく、登記上は別々に存続していた「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」を一括した呼称としていた。そして2015年1月1日、「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」の両法人は正式に合併し、社名を「FCAジャパン株式会社」(FCA Japan Ltd.、略称:FCAJ)に変更。

2016年からは、フィアット・クライスラーのそれぞれの部門で、正規ディーラー網の再編成が行われている。2016年4月1日に、全国の「クライスラー・ジープ」店の名称を「ジープ(+地名)」に変更。同年10月より新CIによる統一店舗デザインが導入される。

2016年7月1日から、フィアット正規ディーラーでアバルトブランド全車の取り扱い及びサポートを開始。合わせて、ディーラー名をフィアット/アバルト(+地名)に変更した。2017年より、アルファロメオを新CIの専売店舗で販売する体制を開始。アルファロメオの販売をフィアット/アバルトとの併売体制から切り離し専売制へと移行する。2018年より、フィアット/アバルト販売店にも新CIによる統一店舗デザインが導入される。

フェラーリとマセラティは、長年正規輸入販売代理店を経由しての輸入販売が行われていたが、同じく日本法人による輸入販売に切り替えられた。現在フェラーリは2008年に設立された日本法人のフェラーリ・ジャパンが輸入し、「コーンズ・モーターズ」や「ロッソ・スクーデリア」など8社の正規販売代理店が販売している。マセラティは2010年4月に設立された日本法人のマセラティ・ジャパンが輸入し、全国の正規販売代理店が販売を行っている。

かつてはクボタがフィアットブランドのトラクターを輸入していたが、現在は傘下の「ニューホランド」と「ケースIH」のトラクターが、日本法人の日本ニューホランドおよび三菱農機によって輸入されている。