ダイハツデルタワゴン2.2 トランスフィールド ディーゼルターボ 4WDの評判・スペック

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ダイハツ デルタワゴン 2.2 トランスフィールド ディーゼルターボ 4WD

デルタワゴンのフロント外観(98年(H10)12月、MC時のフロント。仕様はグレードにより異なります)

デルタワゴンのリア外観(98年(H10)12月、MC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

デルタワゴンの内装・インパネ(98年(H10)12月、MC時のリア。仕様はグレードにより異なります)

メーカー ダイハツ
車種 デルタワゴン
グレード 2.2 トランスフィールド ディーゼルターボ 4WD
販売期間 1998年12月から 2001年05月
価格 2,600,000円
エンジン エンジン: 直列4気筒SOHC
排気量: 2184cc
型式: KH-CR50N
馬力: 94ps
トルク: 21.5/2000
ミッション: 4AT バッテリー: 標 準:105D31R 寒冷地:105D31R
タイヤ 前輪: 205/65R15
後輪: 205/65R15
ホイールサイズ: /
駆動: 4WD
最小回転: 5.7m
タイヤサイズ
燃費 燃費(JC08): -
燃費(10•15): -km/L
燃料: 軽油
実燃費: から
ボディサイズ 高さ: 1950 車幅: 1695 全長: 4550
乗車定員 8人
評価・レビュー 外観: 0点
内観: 0点
スペック: 0点
エンジン: 0点
乗り心地: 0点
燃費: 0点
価格: 0点
中古車 台
買取価格相場
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ダイハツデルタワゴンとは

「ダイハツ」が生み出した人気車種「デルタワゴン」は、1980年代から1990年代にかけて生産されたコンパクトなワゴンタイプの車両です。その時代の家族向け車として人気を集め、おおよそ350万円から450万円程度の価格帯で販売されました。グレードによって異なりますが、排気量は1.3Lから1.5L、燃費は約10km/Lから12km/L程度の数値で、機動力を重視した設計となっています。また、馬力は最大85psから100ps程度であり、日常の走行に充分なパフォーマンスを提供しています。タイヤサイズは基本的に13インチが使用されており、安定した走行性能を実現しています。デルタワゴンの特徴としては、使い勝手の良い使い勝手の良いワンボックス車でありながら、コンパクトなボディサイズで街中でも取り回しがしやすい点が挙げられます。その広い室内空間や使い勝手の良さ、耐久性の高さから、多くのユーザーに愛され続けてきました。デルタワゴンの人気の秘密は、シンプルで実用的なデザインと信頼性の高さにあります。歴史を振り返ると、登場当時から家族やビジネスでの利用に適した車種として、多くの支持を得てきたことが感じられます。デルタワゴンは、ダイハツの優れた技術とノウハウが凝縮された名車であり、今でも多くの愛好家から支持されています。

より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。

詳細項目 スペック
型式KH-CR50N
最小回転半径5.7m
駆動方式4WD
全長×全幅×全高4.55m×1.7m×1.95m
ドア数4
ホイールベース2.72m
ミッション4AT
前トレッド/後トレッド1.46m/1.45m
AI-SHIFT-
室内(全長×全幅×全高)2.62m×1.56m×1.26m
4WS-
車両重量1630kg
シート列数3
最大積載量-kg
乗車定員8名
車両総重量-kg
ミッション位置インパネ
最低地上高0.18m
マニュアルモード-
標準色シルバーメタリック
オプション色オーシャンクルーズトーニング、ファイアーストームトーニング、スペースクルーズトーニング
掲載コメント※このクルマの燃費は発売当時の資料により、60km/h定地走行燃費の数値を表示しております。燃費=16.0km/l
エンジン型式3C-TE
環境対策エンジン-
種類直列4気筒SOHC
使用燃料軽油
過給器ターボ
燃料タンク容量55リットル
可変気筒装置-
燃費(10.15モード)-km/L
総排気量2184cc
燃費(WLTCモード) -
燃費基準達成-
最高出力94ps
最大トルク/回転数kg・m/rpm21.5/2000
福祉車両-
大型ガラスルーフ-
片側電動スライドドア-
サンルーフ△
両側電動スライドドア-
ルーフレール◯
ドアイージークローザー-
Tバールーフ-
電動バックドア-
ルーフ系装備-
ディスチャージドランプ-
タルガトップ-
フロントフォグランプ◯
ハードトップ-
リアフォグランプ-
ソフトトップ-
ヘッドライトウォッシャー-
キャンバストップ-
フロントスポイラー-
メタルトップ-
リアスポイラー◯
マグネシウムホイール-
ローダウン-
アルミホイール△
UVカットガラス◯
片側スライドドア◯
プライバシーガラス-
両側スライドドア-
寒冷地仕様-
ステアリング位置右
ステアリングステアリングギア方式パワーアシスト付ラック&ピニオン式
ステアリングパワーステアリング◯
ステアリングVGS/VGRS-
サスペンション形式前ダブルウィッシュボーン
サスペンション形式後ラテラルロッド付4リンクコイル式
高性能サスペンション-
タイヤサイズ前205/65R15
タイヤサイズ後205/65R15
ブレーキ形式前ディスク式
ブレーキ形式後ドラム式
ソナー◯
駐車支援システム-
センターデフロック◯
横滑り防止装置-
トラクションコントロール-
フロントカメラ-
LSD(リミテッドスリップデフ)-
サイドカメラ-
ダウンヒルアシストコントロール-
バックカメラ-
AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)-
頸部衝撃緩和ヘッドレスト-
SH-4WD-
ABS-
ISOFIX対応チャイルドシート固定バー△
ブレーキアシスト-
ビルドインチャイルド-
アイドリングストップシステム-
バケットシートABS(◯)
ランフラットタイヤ-
後退時連動式ドアミラー-
エアサスペンション-
レインセンサー-
ブレーキ系装備-
インテリジェントAFS-
衝突軽減装置-
盗難防止装置-
ナイトビジョン-
セキュリティアラーム-
レーンアシスト-
ロードサービス-
車間距離自動制御システム-
パワーウィンドウ-
オットマン機構-
フルフラットシート-
チップアップシート-
本革シート
電動サードシート◯
フロントベンチシート-
床下ラゲージボックス-
シートリフター-
エンジンスタートボタン可
シートポジションメモリー機能分割可倒
キーレスエントリー-
運転席パワーシート分割可倒
ETC-
フロント両席パワーシート-

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ダイハツ デルタワゴンの知っておきたい情報

ダイハツとは?
デルタワゴンとは?

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ダイハツデルタワゴンの新車情報

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ダイハツ工業

ダイハツ工業

ダイハツ工業株式会社(ダイハツこうぎょう、英語:Daihatsu Motor Co., Ltd.)は、主に軽自動車、および総排気量1,000cc以下の小型車を主力とする日本の自動車メーカーである。本社所在地は大阪府池田市ダイハツ町。トヨタグループ16社のうちの一社で、日野自動車などと共にトヨタ自動車の完全子会社(機能子会社)である。

現在のコーポレーションスローガンは「Light you up 〜らしく、ともに軽やかに〜」。

現在量産車を手掛ける日本のメーカーとしては最も古い歴史(2019年現在創業112年)を持ち、初の国産エンジンを開発する目的で大阪高等工業学校(後の大阪帝国大学工学部、現大阪大学工学部の前身)の研究者を中心に、1907年に「発動機製造株式会社」として創立された。ブランド名・社名は、創業後、社名に「発動機」を冠する後発メーカーがいくつも出現し、既に出回っている「発動機製造」の発動機をどこで造った発動機か認識するため顧客の方で「大阪の発動機」と区別呼びし、やがて詰めて「大発(だいはつ)」と略称したことに由来する。

親会社でありトヨタグループの中核企業であるトヨタ自動車は三井グループに属しているが、ダイハツ工業は三和グループに属し三水会・みどり会に加盟している。

エンブレムは以前は「大阪城」のイラストを模したものを使用していた。またこれとは別で、店舗看板やテレビ番組協賛の提供クレジット用に「ダイハツ」に楕円形の囲みをしたロゴもあった。現在の「D」を模したマーク(社章)は1966年に登場し、数回の修正を経ながら現在まで使用され続けている。1998年まで車台にエンブレムが搭載されることは少なかったが、同年2月のロゴリニューアルに伴い多用されるようになった。

設立年の1907年、日本で最初の国産エンジンである「6馬力 吸入ガス発動機」を発明。その当初は工場等の定置動力用として用いられるガス燃料の内燃機関(ガス発動機)や鉄道車両用機器の製造を手掛けていた。

1919年に純国産エンジンで軍用自動車を試作し、1930年には自社製小型4サイクル空冷単気筒サイドバルブ(SV)のガソリンエンジンを搭載した試作型オート三輪「ダイハツ號(号)HA型」の開発で本格的に自動車業界に参入。創立50周年となる1957年にミゼットで国内や東南アジアで大ヒットを記録し、1972年まで東洋工業(現マツダ)とともにオート三輪業界の覇権を争った。

1951年に「大阪発動機」から現在の「ダイハツ工業」へと社名を変更した。

四輪市場には1963年のコンパーノから参入。しかし当時四輪車への新規参入には通産省(現在の経済産業省)が難色を示していたため、スムーズな参入が出来なかった。また堅実な社風であったため、派手にアピールする手法も取らず、地味な印象となり、すでに評価を得ている先行メーカーに割って入って新規顧客を獲得するのは容易ではなかった。

同じころ自動車業界は再編の波が吹き荒れており、ダイハツにも三和銀行によってトヨタ自販・トヨタ自工との提携話が持ち出され、1967年11月に両社は業務提携に至った。この時の提携は同時期にトヨタ傘下入りした日野に比べると対等な関係で、それぞれの経営に自主性を持って運営していくと声明文が出された。またこの翌年ダイハツ自動車販売株式会社が設立されている。1966年までは鉄道車輌用の原動機、変速機および駆動装置も製造していた(ダイハツディーゼルとして分社化)。

トヨタとの提携後はパブリカをベースとしたコンソルテ、トヨタ・カローラをベースとしたシャルマンを生産し、四輪生産のノウハウとブランド力を蓄積していった。

1977年には満を持してダイハツ独自開発のコンパクトカーであるシャレードを投入。それまで振動の問題などから国内外のメーカーから敬遠されていた4ストローク直列3気筒ガソリンエンジンを採用し、軽自動車程度の価格に見合わぬ高い燃費・動力性能でカーオブザイヤーを受賞、ダイハツの四輪車は名実ともに大躍進を遂げた。

1980年になると、現在まで続く軽自動車のミラシリーズが登場。ここにアルト擁するスズキとの軽自動車戦争が勃発した。

1981年にダイハツ自動車販売はダイハツ工業と合併。1995年には同じトヨタ傘下の日野自動車と商品相互供給に関する基本契約の締結を発表、以降現在まで部品の取引を行っている。

1998年にはトヨタが株式を51.2%取得し、トヨタの連結子会社となった。

1995年登場のムーヴシリーズ、2003年登場のタントシリーズなどが大ヒットを記録したことで、2006年度(2006年4月から2007年3月までの一年間)には軽自動車総販売台数で30年以上連続1位であったスズキの牙城を崩し、ついにダイハツがトップに立った。その後2017年まで11年間連続で首位の座を守り続けている。また軽トラック市場もハイゼットなどを主力に、スズキとシェアトップを奪い合っている。

2009年からは軽自動車生産から撤退したスバルにも軽自動車・軽福祉車のOEM供給を開始。2016年度の国内販売台数は57万台だが、これに加えてトヨタ・スバルへのOEM供給・受託生産が25.5万台あり、軽自動車メーカーとしてのみならずトヨタグループの重要な生産拠点としての役割も大きい。

2016年にトヨタがダイハツの株式を100%取得し、完全子会社となった。これ以降ダイハツはトヨタグループにおいて軽自動車を含む小型車部門としての立場を明確にし、新興国向け戦略の一翼を担うことになる。

低価格・高機能・安全性を同時実現することの難しい小型車生産の分野に特化しており、長らくトヨタから小型車・小型エンジンの開発・生産・OEM供給を委託されてきた。デュエット、およびキャミ、スパーキー、パッソ、パッソセッテ、2代目bB、ラッシュ、ルーミー/タンク、ライズといった車種のほか、ヤリスなどに搭載された1KR-FE型エンジン、初代後期型プロボックスなどに搭載された1NR-FE型エンジンはその代表である。

開発思想は親会社のトヨタに近く、使い勝手と品質に優れたクセのない車が多い。オーソドックスな軽セダンだか経済性とコストパフォーマンスに優れたミライースや居住空間や乗降性に優れたタント、およびムーヴはその代表である。これらをベースにした福祉車両や軽トラックも評価が高く、軽福祉車両市場においてダイハツが50%を占めるに至っている。

一方で技術的な分野では、親会社のトヨタと違う独自のものが多い。代表的なものとしては、ハイブリッドではなく内燃機関・シャーシの改良によって低燃費を実現する『イース(eS)テクノロジー』にこだわっているところが挙げられる。エンジンは90年代後半から採用され始めた『TOPAZ(TOP from A to Z)』と名付けられたシリーズで、低圧縮比による低燃費だけでなく、独自の触媒早期活性化システムとインテリジェント触媒により、貴金属の使用量を大幅に削減しながら長期使用でも安定した低排出ガスを実現している。同様にトヨタがD-4系の直噴技術を発展させているのに対し、ダイハツはポート噴射にこだわる姿勢を見せており、1KRエンジンには直噴と同じ効果をポート噴射で低コストで実現している。衝突被害軽減ブレーキなどの運転支援システムに関してもトヨタに頼らず、『スマートアシスト』と呼ばれる技術を独自に開発している。さらにはトランスミッションについても、トヨタが子会社のアイシン・エイ・ダブリュと共同開発しているのに対してダイハツは内製に徹している。2019年にはトヨタ・アイシンが発進用にギアを装着したCVTを開発する一方、ダイハツはギアを高速側に採用し動力分割機構も搭載した『D-CVT』を発表している。
プラットフォームでは、トヨタの新世代コモンアーキテクチャー戦略TNGAに準じた、独自開発の新世代プラットフォーム「DNGA」(「GA-Aプラットフォーム」のみこれに該当する)の開発を行っており、2019年7月には4代目タント(および、そのOEMとなる2代目スバル・シフォン)に先行採用された。

以前は逆にモーター駆動の開発に熱心で、電気自動車(EV)の開発を1965年に始めていた。1966年にはやくもコンパーノバンをベースとしたEV試作車を発表、1968年にはハイゼットバンをベースとしたハイゼットEVの販売を開始、以後電動ゴルフカートやDBC-1、ハロー、ラガーEVなどさまざまな車種を発表、販売している。公道走行可能なEVで2000台近く、遊園地などの構内専用車種を含めると8000台を超える販売実績がある。2005年には軽初となるハイブリッドのハイゼットカーゴを発売したり、2012年にはハイゼットEVの実証実験車が発表されている。なお将来的にゼロ・エミッション法の世界的広がりにより販売が必須となることが予想されるEVに関しても、「トヨタには頼らない」としていた。

ディーゼルエンジン開発にも早くから取り組み、特に小型ディーゼルエンジン技術で実績を残している。1960年代初頭に小型トラック用としてはクラス初のディーゼルエンジンを採用すると、1983年にはシャレードで当時世界最小排気量となる1リッター3気筒の乗用ディーゼルエンジン(CL型)を開発。これが1リッター36.54kmという驚異の燃費で世界記録を樹立し、ギネスブックにも記載された。2003年の東京モーターショーでも660ccの2ストロークディーゼルエンジンが出展されたものの、こちらは市販化には至っていない。過去には船舶用の低速大型ディーゼル機関も生産しており、太平洋戦争後の1950年代以降は、国鉄のディーゼル機関車・気動車向けディーゼル機関生産に、先発の新潟鐵工所・神鋼造機と共に携わった。これら船舶用ディーゼルエンジンは1966年(昭和41年)に分社された系列の「ダイハツディーゼル」に移管して製造されているが、ランドクルーザープラドなど自動車のディーゼルエンジンの受託生産は今もダイハツ工業が行っている。

1970年代にスズキに4ストロークエンジンを供給していたことがある。当時の排ガス規制に対応できず困っていたスズキはトヨタを頼り、トヨタは系列会社となっていたダイハツにAB型エンジンの供給を要請、これが実現した。同様にシャレードに搭載され高い評価を受けていた3気筒CBエンジンを、1982年から93年までイタリアのイノチェンティ・ミニ社に供給していた。

日本で初めて水平対向エンジンの乗用車を作ったメーカーでもある。1951年発売の三輪車のBeeがそれで、駆動形式はRR、リアサスペンションは独立懸架式という当時としては先進的なものだった。この他軽自動車に四輪独立懸架を積極的に導入したり、660ccの4気筒エンジンであるJBエンジン、「軽のGTカー」とも呼べるソニカや対国内ラリー特化型兵器ストーリアX4を開発したりするなど、現在の堅実な車作りとは裏腹に挑戦的なパッケージングで自動車を売っていた頃もあった。

その機械加工能力の水準を買われ、1920年代以来、国鉄(当初は鉄道省)との関わりも深く、鉄道向け機器としては蒸気機関車用の給水加熱器や自動給炭機(国鉄・汽車製造との共同開発)、客車室内の引き戸用ドアチェック、通勤電車の自動ドア向けドアエンジンなどを製造した。このため、鉄道用空気ブレーキ装置の大手メーカーである日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)の設立にも関わっている。

1965年にコンパーノ・スパイダーで地方のレースに参加したのがダイハツのモータースポーツデビューとなる。このときP-1、P-2と異なる仕様のコンパーノが同時期に登場していた。
1966年にダイハツはコンパーノ・ベルリーナの1.0リッターエンジンを1.3リッターDOHC16バルブ化した「R92A」型エンジンを、プロトタイプレーシングカーのP-3に搭載して第三回日本グランプリにデビュー。ライバルのロータス・エリートとアバルト・シムカを破ってGP-Iクラスで優勝を収めた。このP-3は「ピー子ちゃん」という愛称で親しまれた。翌年の第四回では同クラスに、風洞実験で開発したFRPボディ&ミッドシップエンジンのP-5を2台投入。しかしメカニカルトラブルで予選を走れず、決勝に進むことができなかった。第五回ではP-5の4台体制を敷き、総合10位でクラス優勝を再び取り戻した。続く鈴鹿1000kmでは、トヨタ・7とポルシェ・906に次ぐ総合3位フィニッシュを果たしている。1969年の第六回に向けてもフェロー7を公開していたものの結局参戦せず、6月の富士1000kmを最後にチームは解散。ダイハツはサーキットの大舞台から姿を消した。なおトヨタ・7の開発にはダイハツの風洞施設が用いられている他、幻の5.0リッターターボの開発にもダイハツが参加していた。

WRCには1979年からシャレードでラリー・モンテカルロにスポット参戦し、1981年にクラス優勝を挙げた。1984年からはサファリラリーに参戦。シャレードは多数のクラス優勝をする活躍を見せ、1993年には排気量で1L上回るグループAマシン(スバル・インプレッサ、三菱・ランサーエボリューションなど)を押しのけ、総合1~4位のトヨタ・セリカに次ぐ5位〜7位を占めてダイハツのWRC挑戦は幕を下ろした。またシャレードをグループB化し最高クラスに参戦する計画もあり、コンセプトモデルの926Rも発表していたものの、突然のグループB消滅により立ち消えとなっている。

国内ではラリー・ダートトライアルで活躍。全日本ラリーでは1984年にシャレードで初めてクラスタイトルを獲得した。1990年代にはミラの4WDターボ仕様であるTRXX X4Rを投入し、アルトワークスやヴィヴィオと激しく争い、全日本ラリーで3度クラスタイトルを獲得。1998年にストーリアX4が登場すると黄金時代を迎え、全日本ラリー選手権・全日本ダートトライアル選手権の両方で2000年〜2005年までクラスタイトルを連覇した。ストーリアX4は後継車のブーンX4が登場した後も、規則で禁止されるまでの2014年まで参戦し続け、2012~2014年に異なったドライバーたちでJN1クラスを3連覇した。後継のブーンX4も2006年にJN2クラスでタイトルを獲得し、2008年のWRC(ラリージャパン)にスポット参戦(1,300ccモデルのみFIA公認車両となっており「X4」は日本国内競技でのみ有効なJAF登録車両なのでFIA主催の国際イベント(WRC)には参戦不可だったため、FFの1,300ccモデルに輸出用MTを組み、登録車名も海外名シリオン/ブーンとして出場)し、N1クラス優勝もしている。このようにダイハツは国内外のモータースポーツに積極的に参戦してきたが、2009年1月13日、「昨今の自動車業界を取り巻く経済状況の厳しい状況」および「(年を追うごとに)深刻化する若年層の車離れなどを理由に、モータースポーツ活動自体からの撤退とDRSの解散、関連会社DCCSが主催するジムカーナ競技会ダイハツチャレンジカップの終了を発表した。

以降はメーカーワークスとしてのモータースポーツ活動は行っていないが、スポーツカスタマイズブランドとしてD-SPORTが存在する。大阪市の独立系自動車部品商社「SPK」の1部門でダイハツ工業と直接の資本関係はないが、東京オートサロンにダイハツ工業が出展する際は毎年ダイハツ工業のブースで車両・商品展示を行うなど深い関係を持っており、全ダイハツディーラーでも唯一商品の取り扱いがある。またかつてダイハツのワークス活動を率いたDRS(ダイハツ・レーシング・サービス)の名を冠する競技向けパーツの販売も行っている。また元々のDRSの母体であったDCCSは現在も長野県佐久市に存在する。

オート三輪業界でもいち早く、太平洋戦争直後の1940年代末期から大量生産システムの本格導入に取り組むと共に、日本全国へのディーラー網整備を早期に完了し、小型商用車市場に地歩を築いた存在である。

自動車業界では、テレビコマーシャルの活用の先駆的存在でもあった。1957年に発売した軽オート三輪「ミゼット」は、小型軽便な実用性と廉価さを武器に「街のヘリコプター」のキャッチフレーズで売り出されたが、相前後してダイハツは、大阪の大阪テレビ放送(現・ABCテレビ)で製作され1958年から放送されて高い視聴率を誇った喜劇テレビドラマ『やりくりアパート』のスポンサーとなり、ミゼットの売り込みをかけた。番組の最後には主演のコメディアン大村崑、佐々十郎らが実車のミゼットを横に、コミカルなギャグ混じりに「ミゼット!」と車名を連呼するインパクトたっぷりの生コマーシャルが放送され、ミゼットはこのCM効果も手伝って当時の大ヒット作となっている。

地元であるJR新大阪駅の在来線コンコース、及び和歌山駅には常設のダイハツ車の展示スペースがあり、新型モデルが時折入れ替わりをしながら1台展示されている(ちなみに、マツダも地元広島県のJR広島駅のコンコースに常設の展示スペースがある)。

インドネシアではアストラ・インターナショナルとの合弁で「アストラ・ダイハツ・モーター」 (ADM) を設立。ダイハツ車の販売と、ジャカルタ・スンター工場にてダイハツおよびトヨタブランド車の製造を行っている。スンター工場は2010年度には生産能力を年30万台に引き上げた。

マレーシアでは1993年に現地資本との合弁でマレーシア第二のメーカーのプロドゥアを設立。2006年には第一のマレーシアの自動車メーカープロトンと親会社のトヨタを抜いてマレーシア市場最大手に踊り出ている。1995年にはマレーシア政府がゼブラを国民車に指定した。またインドネシアでも、トヨタとの姉妹車販売によりホンダと2位争いを展開している。

一方、その他の地域においては販売不振による撤退が目立つ。1989年には当時、小型車市場が拡張の傾向にあったアメリカ市場への参入を1959年のトライモービル(日本名・ミゼットMP)の現地への800台限定投入以来、30年ぶりに試みたが、親会社のトヨタの知名度が強すぎたせいか米国内でのダイハツの知名度が低く、ディーラー網の整備にてこずったことなどから売れ行きが伸びなかったため、1992年をもって撤退した。また、2006年3月には韓国車との競合などでやはり不振を極めていたオーストラリア市場からの撤退を、2007年11月にはベトナムの現地合弁会社ベトインド・ダイハツ(ビンダコ)の清算および同国市場からの撤退を発表している。さらに2011年1月にはヨーロッパ市場からの撤退も発表した。

中華人民共和国ではこれまでシャレードやテリオスなどダイハツの車種が現地生産されていたものの、ダイハツブランドでの販売は行われていなかった。2007年、第一汽車子会社の一汽吉林汽車との合弁でセニアの生産・販売を行いダイハツブランドの展開を開始したが、知名度不足から販売が低迷したため2009年には早くも展開を断念し、同年中に一汽ブランドへ変更することを発表した。しかしながら、双方のメンツを重んじ、対外的には「技術援助契約の枠組の変更」という表現が取られている。主な要因は、

と考えられている。

トヨタの完全子会社となった後はトヨタと合同で仮想カンパニー「新興国小型車カンパニー」を設立、トヨタグループの先兵としてアジア展開の強化に努めることとなる。
※2020年8月現在

日本テレビ系列

TBS系列

フジテレビ系列

テレビ朝日系列

テレビ東京
1971年11月、ダイハツを欠勤して沖縄返還協定阻止のデモに参加した組立工員Xが、凶器準備集合等の嫌疑で現行犯逮捕・勾留された。その後1ヶ月後Xは工場に復帰するが、その間に行われた配置転換でXは余剰人員として扱われており、Xはこれを無視して就労。事情聴取のための労務課の呼び出しも無視し続けたため、ダイハツ側は自宅謹慎を命ずるが、これも無視して出勤したXは警備員と揉み合いになった。その後もXは立ち入りを試みるとともに、会社前でのビラ配りや、工場ゲリラと称する17人を率いて警備員と揉み合うなどし、ダイハツは遂にXを解雇するに至った。Xはこれを不服として裁判所に提訴、1審・2審で訴えを認められたものの、最高裁判所はXの訴えを棄却した。

同社が、フレックスタイム制を適用した社員約1,000人に対してサービス残業を行わせていたとして、淀川労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが、2009年4月2日に判明した。同社は、フレックス制適用の社員について、社内のパソコンが社内ネットワーク接続している時間を労働時間として計算していたが、同労基署の調査によって、接続を切断した後も業務を続けていた社員が複数に亘って存在していたことが確認された。これを受け同社は、該当社員に対し、未払いの時間外労働手当約5,000万円を支払った。

2009年10月10日、滋賀工場で粉塵爆発による火災が発生し1人死亡、2人負傷。

2019年3月14日、中津工場で第1塗装工場で火災が発生し1人負傷。