アウディ802.8E シュポルトの評判・スペック
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アウディ 80 2.8E シュポルト
80のフロント外観(92年(H4)3月、FMC時の2.3 Eのフロント)
80のリア外観()
80の内装・インパネ()
| メーカー | アウディ |
| 車種 | 80 |
| グレード | 2.8E シュポルト |
| 販売期間 | 1992年11月から 1993年10月 |
| 価格 | 5,470,000円 |
| エンジン |
エンジン:
V型6気筒SOHC 排気量: 2771cc 型式: E-8CAAH 馬力: 170ps トルク: 25.5/3000 ミッション: 4AT バッテリー: |
| タイヤ |
前輪:
205/60R15 後輪: 205/60R15 ホイールサイズ: / 駆動: FF 最小回転: 5.4m タイヤサイズ |
| 燃費 |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): -km/L 燃料: ハイオク 実燃費: から |
| ボディサイズ | 高さ: 1400 車幅: 1695 全長: 4485 |
| 乗車定員 | 5人 |
| 評価・レビュー |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
| 中古車 |
台 買取価格相場 車を売る |
アウディ80とは
アウディの車種「80」は、1986年から1996年まで製造されたコンパクトセダンであり、同社の歴史の中でも名車として知られています。価格帯は当時の車市場において中価格帯に位置し、ユーザーに高級感と実用性を提供してきました。幅広いグレード展開がなされ、豊富な選択肢を提供していました。 エンジンにはさまざまな排気量が用意されており、環境にも配慮した燃費性能も優れていました。また、各グレードで異なる馬力を誇り、運転の快適性とスポーティな走りを両立していました。タイヤサイズも車種の特徴として、様々な路面状況にも対応可能な設計となっていました。 アウディ「80」の人気の秘密は、洗練されたデザインと高い品質、そして扱いやすさにあります。優れた操縦性と快適な乗り心地が絶妙に融合されており、幅広いユーザーから支持を集めました。さらに、信頼性の高さや快適な装備、安全性能の充実も魅力の一つです。 アウディ「80」は、歴史的価値と共に多くのファンを魅了し続けています。その優れたバランス感覚と実用性、そしてスポーティさが評価され、長く愛され続ける名車として知られています。より詳しいスペックやオプションの情報を見ることができます。
| 詳細項目 | スペック |
|---|---|
| 型式 | E-8CAAH |
| 最小回転半径 | 5.4m |
| 駆動方式 | FF |
| 全長×全幅×全高 | 4.49m×1.7m×1.4m |
| ドア数 | 4 |
| ホイールベース | 2.61m |
| ミッション | 4AT |
| 前トレッド/後トレッド | 1.44m/1.47m |
| AI-SHIFT | - |
| 室内(全長×全幅×全高) | -m×-m×-m |
| 4WS | - |
| 車両重量 | 1400kg |
| シート列数 | 2 |
| 最大積載量 | -kg |
| 乗車定員 | 5名 |
| 車両総重量 | -kg |
| ミッション位置 | フロア |
| 最低地上高 | 0.14m |
| マニュアルモード | - |
| 標準色 | パンセロメタリック、ラグーサ メタリック、マザーオブパールエフェクト |
| オプション色 | - |
| 掲載コメント | ※このクルマの燃費は発売当時の資料により、10モードの数値を表示しております。燃費=7.7km/l |
| エンジン型式 | AAH |
| 環境対策エンジン | - |
| 種類 | V型6気筒SOHC |
| 使用燃料 | ハイオク |
| 過給器 | - |
| 燃料タンク容量 | 70リットル |
| 可変気筒装置 | - |
| 燃費(10.15モード) | -km/L |
| 総排気量 | 2771cc |
| 燃費(WLTCモード) | - |
| 燃費基準達成 | - |
| 最高出力 | 170ps |
| 最大トルク/回転数kg・m/rpm | 25.5/3000 |
| 福祉車両 | - |
| 大型ガラスルーフ | - |
| 片側電動スライドドア | - |
| サンルーフ | △ |
| 両側電動スライドドア | - |
| ルーフレール | - |
| ドアイージークローザー | - |
| Tバールーフ | - |
| 電動バックドア | - |
| ルーフ系装備 | - |
| ディスチャージドランプ | - |
| タルガトップ | - |
| フロントフォグランプ | ◯ |
| ハードトップ | - |
| リアフォグランプ | ◯ |
| ソフトトップ | - |
| ヘッドライトウォッシャー | ◯ |
| キャンバストップ | - |
| フロントスポイラー | - |
| メタルトップ | - |
| リアスポイラー | ◯ |
| マグネシウムホイール | - |
| ローダウン | - |
| アルミホイール | ◯ |
| UVカットガラス | - |
| 片側スライドドア | - |
| プライバシーガラス | - |
| 両側スライドドア | - |
| 寒冷地仕様 | - |
| ステアリング位置 | 左 |
| ステアリングステアリングギア方式 | パワーアシスト付ラック&ピニオン式 |
| ステアリングパワーステアリング | ◯ |
| ステアリングVGS/VGRS | - |
| サスペンション形式前 | ストラット式 |
| サスペンション形式後 | トーションビーム式 |
| 高性能サスペンション | - |
| タイヤサイズ前 | 205/60R15 |
| タイヤサイズ後 | 205/60R15 |
| ブレーキ形式前 | Vディスク式 |
| ブレーキ形式後 | ディスク式 |
| ソナー | - |
| 駐車支援システム | - |
| センターデフロック | - |
| 横滑り防止装置 | - |
| トラクションコントロール | - |
| フロントカメラ | - |
| LSD(リミテッドスリップデフ) | - |
| サイドカメラ | - |
| ダウンヒルアシストコントロール | - |
| バックカメラ | - |
| AYC(アクティブ・ヨー・コントロール) | - |
| 頸部衝撃緩和ヘッドレスト | - |
| SH-4WD | - |
| ABS | - |
| ISOFIX対応チャイルドシート固定バー | - |
| ブレーキアシスト | - |
| ビルドインチャイルド | - |
| アイドリングストップシステム | - |
| バケットシート | ABS(◯) |
| ランフラットタイヤ | - |
| 後退時連動式ドアミラー | - |
| エアサスペンション | - |
| レインセンサー | - |
| ブレーキ系装備 | - |
| インテリジェントAFS | - |
| 衝突軽減装置 | - |
| 盗難防止装置 | - |
| ナイトビジョン | - |
| セキュリティアラーム | - |
| レーンアシスト | - |
| ロードサービス | - |
| 車間距離自動制御システム | - |
| パワーウィンドウ | - |
| オットマン機構 | - |
| フルフラットシート | - |
| チップアップシート | - |
| 本革シート | |
| 電動サードシート | ◯ |
| フロントベンチシート | - |
| 床下ラゲージボックス | - |
| シートリフター | - |
| エンジンスタートボタン | - |
| シートポジションメモリー機能 | 分割可倒 |
| キーレスエントリー | - |
| 運転席パワーシート | - |
| ETC | - |
| フロント両席パワーシート | - |
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アウディ 80の知っておきたい情報
80とは?
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アウディ80の新車情報
アウディ80の最新情報まとめアウディ・80
アウディ80(Audi 80 )は、西ドイツ(1990年以降はドイツ)の自動車メーカー、アウディが1966年から1996年まで生産していた小型乗用車である。
初代、2代目のモデルはフォルクスワーゲン・パサートと兄弟車の関係にあった。2代目-4代目モデルの上級仕様は「アウディ・90という名称で販売された。また、80/90は、北米、及びオーストラリア市場においては、1973年から1979年まで「フォックス(Fox )」、1980年から1987年までは「A4000」の名称で販売されていた。
1972年に発売された小型乗用車である。歴史的には1965年から生産されていたF103系(エンジン出力によりアウディ60-スーパー90と呼ばれた)の後継モデルであったが、フォルクスワーゲン・パサートの兄弟車として、フォルクスワーゲングループ内では、より大きな役割を与えられていた。
フロントにエンジンを縦に搭載し、前輪(モデルにより前後輪)を駆動する。ボディ形状の基本は4ドアセダンであり、モデルにより2ドアセダンや5ドアステーションワゴンをラインナップした。またフロアパンを共用するアウディ・クーペ、アウディ・カブリオレなどの派生車種があった。
1972年8月に登場。アウディと同じグループのフォルクスワーゲンの新世代の中型車として、1973年6月に登場するパサートのベースともなった。
完全な新設計の水冷直列4気筒SOHCエンジンを縦置きし、前輪を駆動する。ルートヴィヒ・クラウスらによる簡潔なメカニズムとジョルジェット・ジウジアーロによる美しいスタイリングをもち、1973年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。
本国では、「80」、「80L」、「80S」、「80LS」、「80GL」のグレード、1.3Lと1.5Lのエンジンに2ドアと4ドアがあり、1973年の第45回フランクフルトモーターショーで、1.6L、100馬力のエンジンを搭載した高性能モデル、「80GT」が追加された。
また、同ショーでは、カルマンのブースにおいて、80シリーズをベースにジウジアーロがデザインしたショーカー『アッソ・ディ・ピッケ』が展示された。強いウェッジフォルムの4座のクーペボディは内外装とも近未来的で、円筒状のインストルメント・パネルには、各種情報がデジタル表示された。
日本には1973年夏から、正規輸入販売代理店のヤナセを通じて販売が開始された。正式輸入されたモデルは、4灯式ヘッドライトをもつ「80GL」グレード1種で、1.5L、4ドア、右ハンドル仕様に限られた。価格は139.8万円で、当時最も安い輸入車のひとつであった。
1976年モデルからは、1.6L Kジェトロニックインジェクション仕様エンジンの「GLE」が輸入され、50年排出ガス規制をクリア。これ以降、日本へ正式輸入される80シリーズは、すべてインジェクション仕様となった。
1977年モデルは、上質感を醸し出すことでフォルクスワーゲンとの差別化を明確にすべく、第2世代のアウディ・100を踏襲した外観にマイナーチェンジされ、「GLE」と「LE」の2つのグレードが日本へ正式輸入された。
両者の外観の違いは、フェンダーアーチのモールの有無程度だが、「LE」には2ドアも用意され、マニュアルトランスミッション(MT)を選ぶこともできた。価格は、「GLE」のオートマチックトランスミッション(AT)が299.8万円、2ドアの「LE」でも269.8万円となった。
一方、北米向けは「フォックス」と呼ばれ、ワゴンタイプのボディも用意された。この第1世代の80は1,103,800台が生産され、日本へは10,391台が正規輸入された。
本国では1978年9月(日本では1979年)にフルチェンジした。デザイナーは初代と同じくイタルデザインのジウジアーロで、2ドアと4ドアの2種類が用意された。前モデルのフォルクスワーゲンの派生モデルという雰囲気を消し去った、上質感のある6ライトのクリーンなデザインとスペース効率の良さが特徴で、当時日本の小型車寸法上限を大幅に下回る全長と全幅にもかかわらず、486Lのトランク容量を持つこととなった。
また、メーター周辺にライトなどのスイッチを集中させた、いわゆる「サテライトスイッチ」を導入した。なお「サテライトスイッチ」はその後「100」や「90」も採用することになるほか、後継モデルにも採用されるなど、アウディらしさを表現するアイテムの1つとなった。
日本へは4ドアモデルを全年式に渡ってヤナセが輸入していた。左右両方のハンドル位置が用意され、日本仕様車だけの特徴として初期モデルには開閉可能な三角窓が存在していた(1981年モデルを持って廃止)。ベーシックグレードの「CL」と、メッキトリムやパワーウィンドウ、フォグランプなど内外装の装備を充実させた「GLE」が用意された。両グレードともに4気筒1.6Lエンジンを搭載していた。
1980年には、2ドアハッチバックの2輪駆動モデルの「80クーペ」と、ボディーフレームを流用した2ドアハッチバックの4輪駆動モデルの「クアトロ」が発表された。
1981年に4気筒は1.6Lから1.8Lに換装され「CLE」と「GLE」の2グレードとなり、上級グレードの「GLE」には、ヘッドライトウォッシャーや間欠ワイパー、フロントフォグランプなどが標準装備となった。
1983年には4気筒に加え、直列5気筒の「GL5E」とその4WD版「quattro(クワトロ)」が投入された。なおこの際に日本国内は「CLE」と「GL5E」、「quattro」の3グレードとなった。「CLE」の装備はこれまでの「GLE」と同様のものに格上げされ、「GL5E」と「quattro」にはロナール製のアルミホイールが装着されるほか、フロントセクションがチンスポイラー化されるなど外観の差別化を行っている。
デビューから6年後の1984年末に発売が開始された「1985年モデル」よりマイナーチェンジを行い、後期型となった。上級車種の「100」に倣い細部をフラッシュサーフェース化した結果、空気抵抗係数(Cd値)の軽減に成功している。特にリアセクションは変更が大きく、トランク開口部がバンパーレベルまで下げられ(従来はテールライトレベルである)かすかに角を立たせた結果、トランク容量が490Lに増加した。
また前後バンパーやサイドモールなどからメッキトリムを減らし「100」同様のブラックのプラスチックに変更する他、「100」同様のフルカバーホイールキャップを導入するなど、細部のデザインを変更することで「100」と近いイメージを演出している。インテリアはダッシュボードのパッドとシートの素材を「100」同様のものに変更したが、外観ほどの変更は行われなかった。同時にグレード構成が「100」と同様に「CC」と「CD」とされた。また、4輪駆動の「80クワトロ」も台数限定で販売された。
後期型に移行すると同時に、5気筒モデルは「アウディ・90」と改称され、大型一体バンパーを装備するなどより高級感を増したデザインに改められ、別モデル化された。従来の「クワトロ」も「90クワトロ」に格上げされた。
フォルクスワーゲンとの差別化に成功した上に多数の派生モデルを出したことで、1986年末に新型に移行するまでの8年間に、全期後期合わせて1,405,506台が生産され、これまでのアウディで最大のヒット作となった。
なお、アメリカとカナダでは「4000」の名で販売され、角型4灯ヘッドランプと当地の安全基準を満たす大型バンパーが装着されていた。また専用デザインのアルミホイールが用意されていた。1986年のマイナーチェンジ後は「90」が「4000」として販売された。
1986年のパリ・サロンでデビュー。スタイリングは、ハルトムート・ヴァルクスらのアウディ社内デザインチームによるもので、1994年に登場するA4のチーフデザイナー、ペーター・シュライアーも担当した。インゴルシュタットに新設された工場で生産された。
メカニズムは基本的に2代目モデルのものを踏襲するが、ボディは一新され、細部までのフラッシュ・サーフェス化と4.5度強く傾斜したウインドスクリーンにより(『80年代輸入車のすべて』三栄書房、36頁参照)、「100」を超えるCd値0.29の空力特性をもつ。ボディ鋼板には、100%亜鉛メッキを施された。
トランクの荷室に入り込まない工夫されたヒンジや、ガイドピンにより開閉するドアウインドウ、90度近くまで開くドアなどが特徴。開発段階ではステーションワゴンタイプも計画されていたためか、トランク容量は2代目モデルよりも小さい。運転席からは、サテライトスイッチが姿を消し、ATにはスタッガードゲートが採用され、シフトレバーとブレーキペダルを連動させた安全機構が加わった。また、アウディ独自の乗員保護機構、プロコン-テンシステムが採用された。
4WDのメカニズムに関しては、従来のベベルギアに代わり、トルクセンシング能力をもつトルセンデフになった。これにより、状況に応じて前後のトルク配分を変化させることが可能になった。
トランクリッドにつく4輪マークは、1964年のアウトウニオンDKW・F102以来。当初、日本仕様のみの特注品であったが、のちに標準化され、現在のアウディ車まで続いている。
日本へは1987年6月よりヤナセから販売が開始された。当初、1.9L、3速ATの1種で、ハンドルは左右とも用意され、価格は共に407万円だった。1987年夏からはスポーツシートやスポイラーを装備した「シュポルト」(3速AT)が追加。1988年モデルから待望の「80クワトロ」の導入が始まり、MT仕様のみで、価格は543万円。また、装備を簡素化した廉価版のヨーロッパ(381万円)が追加され、「シュポルト」は5速MT仕様に変更された。1988年夏には新型90シリーズが導入され、「2.3Eシュポルト」の単一グレードで価格は490万円。1989年モデルからは、80シリーズの排気量が2.0Lに拡大し、90シリーズにはAT仕様が加わった。1990年モデルでは「90 2.3E」に右ハンドル仕様が設定され、「80クワトロ」の輸入が中止された。1990年夏には、ようやく「90クワトロ20V」の販売が開始された(569万円)。1991年3月には「クーペ20V」が導入され、613万円で発売された。さらに、80シリーズの日本国内販売10万台を記念して、特別仕様の「80ジーガー」(Sieger)が500台限定で販売された(395万円)。なおSiegerとはドイツ語で「勝者」の意味。
この第3世代の80は、1991年末までに約5万1千台が日本国内で販売された。
1992年デビュー。前モデルで不評だった点を改良するためにホイールベースを伸ばし、室内空間の拡大を行っている。トランク容量についても、安全上の対策で後部座席裏にあった燃料タンクをリアシート下側に位置変更しトランクスルーが可能となった。同時に荷室の容量も拡大しフラットな状態に改善された。また、ワゴンボディのアヴァントが追加され新たな客層を取り込むことに成功している。
先代B3の機械制御3速ATから電子制御の4速ATへと変更され、ロックアップ機構も加わった。ATはエコノミーとスポーツの2ウェイで使用が可能となった。エンジンは先代からのキャリーオーバーであるが、5気筒モデルの90が再び80へ編入し、V6エンジン搭載車が新たに加わった。V6モデルはフラッグシップのアウディ・V8を意識した専用のフロントマスクを与えられた。
1995年に「アウディ・A4」シリーズにバトンタッチし、「」という名称は消滅することになった。
アウディ
(ラテン語:Audi)は、フォルクスワーゲングループに属しているドイツの自動車メーカーである。
現在株式の99.55%をフォルクスワーゲンAGが保有している。本社所在地はドイツ・バイエルン州、インゴルシュタット。ドイツ国内には、インゴルシュタット、ネッカーズルムに組み立て工場がある。過去にはKarmann-Rheineにカブリオレモデルの80(1997年 - 2000年)、A4(2002年 - 2009年)を一部生産委託していた時期もあった。
2012年現在、ドイツ国外の生産拠点はハンガリー・ジェール、ベルギー・ブリュッセル、スペイン・マートレル、スロヴァキア・マルティン、ブラチスラヴァ(両工場はVWのプラント)、インド・アウランガーバード、中華人民共和国・長春市の7箇所に置いている。
なお、2013年度から中国仏山市でも生産(年間生産能力15~20万台)が開始される予定。
同グループでは、主に中〜上級価格帯をカバーするブランドと位置づけられている。「クワトロ」(Quattro)という名称の四輪駆動システムを持ち、アルミボディなど先進的な技術を用いる傾向がみられる。ディーゼルエンジン(TDI)を、環境対策上のガソリンエンジン車の代替と位置づけており、重点的に開発・宣伝を行なっている。車種構成はFF車とFFベースの四輪駆動車がほとんどである。従来車体デザインがおとなしいと評されていたが、最近はデザイン的にもBMW、メルセデスベンツに引けを取らないよう押しの強いデザインを取り入れ、フロントマスクが睨み付けるようなデザインのモデルも増えてきた。
現在の車に使われている「フォーシルバーリングス」と呼ばれる4つの輪を組み合わせたエンブレムは、かつてのアウトウニオンのエンブレムに手を加えたもので、アウトウニオン設立に参加した4社の団結を象徴するものである。なお、左から順に、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーを指すものとされる。
なお、アウトウニオン設立以前ののエンブレムはのデザインになるもので、audiと書かれた逆三角形の上に半球が乗り、更にその上にアラビア数字の「1」が乗るといったものであった。
創業者アウグスト・ホルヒ()の姓「horch」は、「聞く」を意味するドイツ語「horchen」を連想させるものであった。これをラテン語に訳した言葉にちなむ。「horch」は「horchen」の親称二人称単数の命令形であり、そのラテン語が「audi (audī)」
後述するように、ホルヒは「ホルヒ自動車製造株式会社」から追放されたのち、新会社「ホルヒ自動車製造有限会社」を設立したが、裁判所に訴えられ名称を使用することができなくなった。ホルヒが友人のと相談した際、フランツの息子ハインリッヒが「聞く」という意味のラテン語「」はどうかと提案し、それが採用されることになった。
1985年にNSUアウトウニオンAGからAGへ社名変更したが、「」が選ばれた理由は「世界のだれもが発音しやすい名前」だからという。
創業者はアウグスト・ホルヒ(August Horch 、1868-1951年)。自動車史の黎明期にベンツで工場長を務めた後に独立、ザクセン州ツヴィッカウでホルヒを設立し、1901年から自動車生産を開始、当時としては高性能・高品質の自動車を送り出して名声を得る。
しかしアウグスト・ホルヒは、良質の車を作ることにこだわって経営面への配慮を欠くきらいがあり、1909年には経営陣から追放を受けた。速やかに自力で別のホルヒを設立、自動車生産を開始したが、元のホルヒの抗議によって、同一社名・車名を使うことを差し止められる。
この結果、アウグスト・ホルヒは1910年に自社の社名・車名を「ホルヒ」から「」に変更。とはラテン語で「聞く」という意味でオーディオの語源であり、ホルヒのドイツ語での意味と同義である。
は2612cc(2.6L)4気筒のモデルからスタートし、3564cc(3.6L)、4680cc(4.7L)、5720cc(5.7L)となっていく。これらは人気を得、スポーツイベントでも活躍した。アウグスト・ホルヒは1920年にを去った。初の6気筒モデルは1924年の4655cc(4.7L)だった。1928年、はDKWのオーナーだったイェルゲン・スカフテ・ラスムッセンに買収される。同年、ラスムッセンは米国リッケンバッカー自動車の生産設備を購入、この設備は1929年から生産された高級モデル、ツヴィッカウ(Audi Zwickau )とドレスデン(Audi Dresden )で使われ、またこれらにはリッケンバッカーのエンジンを搭載した。他にプジョーからライセンスした4気筒エンジンを搭載したモデルも生産された。この時期の車は特殊なボディワークがなされた高級車だった。
第一次世界大戦後の不況の中、ドイツ自動車市場にはアメリカ大手自動車メーカーが大挙して進出し、既存の国内メーカーを脅かしていた。これに対抗するため、1932年にザクセン州に本拠を置く中堅メーカーであったDKW、、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が合同し、新たにアウトウニオン(Auto Union, 自動車連合)を結成した。「」ブランドのモデルは同社の中級〜高級クラスの車種として存続したが、第二次世界大戦勃発で製造中止された。
アウトウニオンは、第二次世界大戦の戦禍とその敗戦後のソ連によるザクセンの工場接収という壊滅的なダメージから逃れ、西ドイツのインゴルシュタットを新天地として再出発した。部品やバイク、バンの生産を経て、「アウトウニオン」および「DKW」ブランドで乗用車の生産を再開した。1956年から1964年まではダイムラー・ベンツの支配下にあり、1964年以降はフォルクスワーゲンの傘下となっている。
1965年に「」ブランドの乗用車生産が再開され、前輪駆動の堅実な中級セダンを主軸とする形で80・スーパー90・100などモデルのラインナップを広げた。1969年にはロータリーエンジンの開発で知られたNSUを併合、NSUアウトウニオンとなる。以降は80や100シリーズなどのヒット作を世に送り出しフォルクスワーゲン・グループの中〜上級クラスを担うブランドとして発展した。1985年に社名をに変更した。
1980年代には乗用車用四輪駆動システムの「クワトロ」を開発し、「四輪駆動はオフロード向け」というイメージを塗り変えた。
1986年には、今では鉄の防錆に欠かせない亜鉛めっきを量産車として世界初採用し、車体の耐久性・持続性を向上させた。後に他の自動車メーカーも追随した。
フォルクスワーゲンのゴルフはが開発を手がけた車である。1970年代、ビートルの後続車の開発がなかなか進まないフォルクスワーゲンにの社長だったルドルフ・ライディングが移籍し、当時フォルクスワーゲンがビートルの後続モデルとして計画しポルシェが設計・開発していたミッドシップの2ドア・ハッチバック試作車EA266を設計図を見たとたんに開発中止を命じ、元職場で計画中だったFF車を急遽代案として採用した。
の現行モデルには大きく分けてセダンやハッチバックなどのAモデル、SUVのQモデルの二つのベースモデルがあり、それに加えてTT、R8の二つのスポーツカーをラインナップしている。また、一部モデルを除きベースモデルをチューニングしたハイパフォーマンスモデルが設定されており、のチューニングによるSモデル(Sportに由来)、子会社であるスポーツ(旧クワトロ社)のチューニングによりさらに性能を高めたRSモデル(Racing Sportに由来)がある。
ここ数年はモーターショーに出品するコンセプトカーは殆どがクアトロとなっている。
1967年にヤナセがLを輸入したことから始まる。以来1992年末までヤナセにより輸入・販売された。また、1992年に「フォルクスワーゲン日本」(のちのフォルクスワーゲングループジャパン)が輸入元となり、旧ジヤクス系の「ファーレン」及びトヨタ自動車系の「DUO」店でフォルクスワーゲン(VW)と併売された。
1998年部門が独AUDI AGが100%出資する「ジャパン」として分離(現社長フィリップ・ノアック)。VWとの併売体制になっている「ファーレン」「DUO」販売網のディーラー契約を一旦白紙に戻し、改めて専売のディーラー契約を結び直し、2001年より新CIに準拠した全国ディーラー網を始動させた。2007年にはヤナセとの共同出資で作ったディーラー「ヤナセ販売」をジャパン側が全部買収し、「ジャパン販売」としてインポーター直販体制を作った。2008年の新規登録台数は16,040台であり、輸入車に占める割合は7.8%であった。
首都圏や大阪にショールーム(販売店)を設置しており、2013年には横浜・みなとみらい地区にジャパン販売が展開するショールームの中で国内最大規模(旗艦店)となる「Audi みなとみらい」が開業した。また、東京・尾山台にある本社ショールームは安藤忠雄の設計となっている。
2016年1月より、前社長である大喜多寛の退任により、ジャパン販売株式会社の代表取締役社長であった、斎藤徹が着任した。
また、2016年より、R8とRSモデルを販売するサブブランド「スポーツ」が5店舗で展開された。
2020年、ジャパン販売の全株式を「PAIGジャパンオートモビルインベストメント合同会社」に譲渡。日本での販売をポルシェ・ホールディングの世界展開に組み込み、ジャパンはインポーター業務に専念する。
1981年から1986年まで世界ラリー選手権(WRC)に4輪駆動車のクワトロが参戦し、1982年と1984年にマニファクチャラーズタイトルを獲得して、通算23勝を挙げた。グループBのライバルメーカーも4輪駆動化に追随し、以後ラリーにおける優位性を決定的にした。また、クワトロはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムでも成功を収めた。
1999年よりプロトタイプレーシングカーを開発し、各国の耐久レースに参戦している。FIA 世界耐久選手権(WEC)ではトヨタや同じフォルクスワーゲングループのポルシェと熾烈な対決を演じ、2012年、2013年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
ル・マン24時間レースでは1999年の参戦初年度で3位に入賞し、翌2000年にR8で初優勝を達成。2001年、2002年、2004年、2005年に5回の総合優勝を記録した(2003年はワークス参戦を休止)。2004年は日本のプライベートチームであるチーム郷が優勝した。2006年はR10で出場し、2008年まで3連覇を果たした。2010年にはR15、2011年から2014年までにはR18で出場し合計で5連覇を果たした。ル・マン通算勝利数ではポルシェの17勝に次ぐ13勝を挙げる一方で、1999年の参戦初年度から2016年のWEC撤退までの全18年間に及ぶ連続表彰台入賞という前人未到かつ史上初の大記録を達成した。この事からファンからは「ル・マンの鉄人メーカー」と呼ばれるようになり、一方でワークスドライバーだったトム・クリステンセンは9勝を挙げ、ル・マン最多勝ドライバーとなった。
しかし2016年いっぱいで撤退し、フォーミュラEへの参戦が発表された。
2020年、フォーミュラEから撤退し、LMDhでWECの最高峰に復帰すると共にIMSAへ参戦することが報じられた。
また、2006年のR10がル・マン初のディーゼルエンジン搭載車として、2012年のR18 e-tron クワトロが初のハイブリッドシステム搭載車として総合優勝を達成し、ル・マンにおける技術革新にも貢献している。ヘッドライトに関しては2011年にフルLED化、2014年にはレーザーハイビームを導入した。
2012年9月中国国内の販売店で「日本人を皆殺しにする」という横断幕が掲げられた。中国で尖閣諸島をめぐる反日デモが激化する中で、販売店の中国人社員14人が抗議行動として個人的な意志からこの横断幕を掲げた。内容は「我々は自分たちを犠牲にしても日本人を皆殺しにする!たとえ国家が滅亡しても釣魚島(尖閣諸島)を取り返す!」であった。
日本法人はすぐにコメントを発表。「このような行為があったことは誠に遺憾であるとともに、憤りを覚えております」とのニュースリリースを掲載した。ドイツ本社の「(今回の行為は)受け入れがたい」というコメントも含まれていた。ドイツ本社はTwitterで「我々は今回の中国での行動といかなる暴力からも距離を置く。我々は対話と外交を主張する」というコメントを出した。しかし、このドイツ本社のコメントについては他人事のように述べているという批判が日本のネット上で起きた。台湾やアメリカでも「もっと深刻にとらえ、きちんと謝罪すべきではないのか」との批判の声がネット上で起きた。
フォルクスワーゲン車の排出ガス規制不正問題(フォルクスワーゲン#排出ガス規制不正問題)は同様なディフィートデバイスを搭載した社ディーゼルエンジンにも波及し、A1、A3、A4、A5、A6、TT、Q3、Q5が対象となると発表された。さらに、3リットルV6ディーゼルエンジンを搭載した2016年モデルのQ5、Q7、A6、A7、A8にも不正ソフトウェアが発見されたと米環境保護局が発表した。
2018年6月18日には会長が不正に関与した疑いで逮捕された。
多様なニーズに応えるオーダーメイドプログラムとして「Audi exclusive」がある。11色のレザー、8色のアルカンターラ、9種類のカーペット、7種類のウッド、2種類のインタルシアウッドから成るインテリアのみならず、アルミホイールやオフィスパーツ、また、スペシャルボディーカラーの選択も可能な「自分だけの」を創るプログラムである。